感謝のことば

謹啓
 皆様には、これまでの私の人生において公私共にご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。お先に黄泉の国へ参らせていただきます。多大なるご迷惑をお掛けいたしますこと、衷心よりお詫び申し上げます。

 アメリカ留学で「死の教育(デス・エデュケーション)」という学問領域に触れたのは1979年のことです。帰国後も研究を深めたいと思いましたが、交通遺児育英会や国会議員の仕事が忙しく、できませんでした。箴言家のフーコーは「人は、太陽と死を直視できない」と看破しましたが、自分自身も、死と向き合う勇気がなく、本格的な「死の社会学」の研究から遠ざかってしまいました。
 「良く死ぬとは、良く生きることだ」と頭では理解していても、死の受容は難題です。しかし、がん告知を受けても、割りと冷静でいられたのは、「どれだけ長く生きるかではなく、どのように生きるか」を考えなければならないと、自分に言い聞かせたからだと思います。「一日一生、一日一善、一日一仕事」。そう言い聞かせて、新しい一日一日を重ねて参りました。

 私が、あしなが運動を通して同志の皆さんと歴史に残る仕事ができたこと、また、国会議員として、薬害エイズ、臓器移植法、年金、介護保険、自殺対策基本法など、国会議員の先頭に立って厚生行政の推進に関与できましたことは、大きな喜びです。

 特にがん対策基本法では、本会議で「がん患者」であることを公表し、皆様を驚かせることとなりましたが、法案も成立し、残された時間は、がん患者の先輩から引き継いだバトンを手に、がん医療の水準向上のために頑張らせていただきました。そう考えますと、がんに罹ったことも、本会議場での公表も、私に課せられた使命、天命のようにも思えます。これも、国会議員冥利に尽きるのではないかと思っています。ご期待にお応えできなかった政策課題もがん対策を始めたくさんありますが、どなたかが引き継いでくださることと確信いたしております。

 戦後も60年以上が経過し、日本が再び誤った道に進もうとしているように思えてなりません。惨禍が繰り返されることのないことを、また、日本社会において、民主主義が成熟し定着することを願ってやみません。

 末筆ながら、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

 大変幸せな充実した人生でした。みなさん、本当にありがとうございました。さようなら。

謹白 山本孝史