千葉・ちいき発


やっぱり必要、みんなで作ろう!12

vol.12

 毎日新聞千葉版の連載「共にきずく〜障害者条例提出を前に」(下)の抜粋を紹介します。記事の全文はホームページをごらんください。
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/chiba/news/20060214ddlk12010346000c.html

「障害のある県民は暮らしにくさを表現し、周囲に伝えるよう努める」
 条例案には障害者に差別の実態を明らかにするよう努力を課した一文がある。条例が、障害者に「特権」を与えるものだと県民が誤解すれば、障害者と健常者にかえって距離ができてしまう。条例案は、障害者側にも「一歩踏み出す力」を求めた点に特徴がある。
 90年代前半の冬。県庁の教育委員会前で、脳性まひの男性を先頭に、母親らが座り込みを続けた。定員割れの高校を受験しても入学できない。「普通高校に入学できるよう道を開いてほしい」との要請行動だった。県教委は「養護学校がある」などの理由から話し合いの場を持とうとせず、障害者らは泣きながら県職員を追いかけた。条例案は、こうした不毛の対立を避けるため、第三者を含む話し合い解決の原則が盛り込まれた。
 「千葉『障害児・者』の高校進学を実現させる会」世話人で、今回の研究会メンバーの山田晴子さんは「互いにつらい思いをした。条例があればあんなことしなくて済んだだろう」と話している。
 佐倉市の横山典子さんは統合失調症で、睡眠時間が1日10時間必要だ。福祉の専門学校入学を望んだが、必要な睡眠を確保できる実習時間を調整してもらえず、入学を断念した。個々の障害に応じた対応を求めて、条例案に盛り込まれた「合理的配慮」が実現すれば、進学の道が開けることになる。
 「自分の障害を話すのは恥ずかしいことではない」。視覚障害者の高梨憲司さんはこう語る。小学2年生の冬、レスリングで目を打った後遺症から失明した。「何のために生きているのか」と絶望した時期もあった。しかし、より障害の重い子供たちの一生懸命な生き方に触れ、気持ちが変わったという。
 高梨さんは法務省の依頼で、法に触れる行為をした「触法少年」に「生きる意味」を伝えるボランティア活動をした。高梨さんの体験を聞いた少年の中には、改心し生活を改めた少年も出始めている。
 「障害者には人を変える力もある」。障害を語ることが社会の役に立ち、社会認識を変える原動力にも成り得る。高梨さんはそう考えている。
※県議会に提出される条例の名称が「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」と決まりましたので、今号からニュースレターのタイトルも変更します。
<呼びかけ人> 田上昌宏(千葉県手をつなぐ育成会会長)/竜円香子(同権利擁護委員長)/大屋滋(日本自閉症協会千葉県支部長)/土橋正彦(市川市医師会長)/植野慶也(千葉県聴覚障害者連盟会長)/野内恭雄(千葉県精神障害者家族連合会会長)/成瀬正次(障害者差別をなくすための研究会委員・全国脊髄損傷者連合会副理事長)/佐藤彰一(同・法政大大学院教授)/高梨憲司(同・視覚障害者総合支援センターちばセンター長)/野沢和弘(同・全日本手をつなぐ育成会理事)
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