県議会報告(3月10日質疑)
今回は少し長いですが、10日に行われた吉本議員と知事との質疑を詳報します。教育分野における議論で、この条例案での重要な争点の一つです。今議会の中では内容の濃い議論です。教育や就労の現場の人々に誤解や懸念があるのだとすれば、一つずつ丁寧に説明していかなければなりません。議論を聞いての「ひとくちメモ」を最後に付けました。
吉本充議員(自民党)
ノーマライゼーションの理念を広く県民に普及し、誰もが暮らしやすい社会を作ることは大切。このような社会を目指す条例を制定することは意義のあること。
しかし、この条例で、学校現場や市町村教委から「本当に誰もが暮らしやすい社会を実現することができるのか」と危惧する声が上がっている。第11条1号で「教育的要求を把握した適切な指導及び必要な支援を行う教育を受けられる機会を本人又はその保護者の意に反して与えないこと」、第2号で「障害を理由として、本人又はその保護者が希望しない学校への入学を強いること」、第3号で「障害を理由として、本人又はその保護者に過重な人的負担、物的負担又は経済的負担を課すこと」を差別に当たる行為として禁止している。
当局は「市町村教委が行う就学先の決定を否定するものではない」「教育委員会の独立性に配慮する」としているが、条文を素直に読めば、教委が保護者の希望しない養護学校への進学を決定した場合、障害児の通学の付き添いを求めた場合には差別に当たると保護者が誤った解釈をすることが大変心配。
市町村教委や学校現場では、希望に沿った教育を実現できるよう、その子にとってどんな選択が望ましいか、保護者とともに、知恵を出し合い、並々ならぬ努力をしてきた。
一つ例を挙げる。地元で、52人しかいない小学校に特殊学級が設置された。地元の若夫婦が外に出て、障害児が生まれて、地元の学校に通わせたいと戻ってきた。市に掛け合い、過疎地だが、一人のために加配しましょうとなった。県立学校では28人の障害を持つ生徒が頑張っている。しかし、保護者の思いと学校現場の摩擦が起きているのも現実。最終報告では、全部で769の差別事例のうち213が教育分野とあったが、現場が頑張っても「差別」と思うのが親心。
条例が施行されれば、保護者と教委、学校の信頼関係や意思疎通が損なわれ、対立が深まるのは明らか。これは、雇用、サービス提供など様々な場面で想定される。この条例は、障害者に理解を広げ、県民誰もが暮らしやすい社会を作ることを目的としながら、障害者に対する禁止行為を前面に打ち出し、罰則にも等しい「勧告」「公表」で、県民が障害者を遠ざけてしまうと考える。
この条例の施行により、特に教育現場の混乱が予想されるが、知事はそのことを十分認識しているのか。
堂本知事答弁
条例では「障害を理由として、本人または保護者が希望しない学校への入学を強いること」を「なくすべき差別」として例示している。これは、教育委員会の就学指導、現行法を前提にして、本人や保護者の意向に十分配慮し、理解を得ることを求める趣旨。この規定は現在の実務に沿うもの。教育委員会や市町村の独立性・自主性に配慮する規定もあり、教育現場に新たな混乱が生じるとは考えていない。
付き添いなどは、教育現場にも、第三者的が関与することで保護者との意思疎通が容易になり、ボランティアや地域住民の協力が可能となるなど問題解決につながる可能性もある。このような趣旨について、教育現場や障害関係者への周知に努めていく。この答弁は、健康福祉部と教育庁の両方が納得している答弁。教育現場に混乱を招くのであれば、教育庁でそのようなことを書くはずがない。
2点申し上げる。まず、この規定は現在の実務に沿うもの。昨年暮れの中教審の答申に、同じような趣旨が出ている。「障害のある子ども一人一人のニーズに応じて、きめ細かな支援を行うために、乳幼児期から学校卒業後まで一貫して計画的に教育や療育を行うとともに、学習障害、注意欠陥、多動性障害、自閉症などについて教育的支援を行うなど、教育療養などに特別のニーズのあるこどもについて適切に対応すること」が基本方針として盛り込まれた。県は、特別支援教育のあり方について、ノーマライゼーションの進展に対応した障害児教育の検討会議で検討しているが、今の方向性は、国と同じように、障害のある乳幼児生徒の自立や社会参加に向けて生涯にわたる一人一人のライフステージに応じて適切な支援を行う。去年から今年に、特別支援教育については、急激に変わってきた。この条例に書いてあることは既に条例以前に教育現場で方針が国に決められ、県もその方向性で、ことが毎日進んでいる。この規定は、現在の実務に沿うものであり、それを越えるものではない、ということが一つ。
もう一つ、今議員は、なくすべき差別というところだけお読みになった。しかし、その後に、17条で、第7条から15条までに規定する不利益な取り扱いをしないことまたは前条に規定する合理的な配慮に基づく措置を行うことが過重な負担になる場合には、第7条から前条までの規定は適用しない、と明記してある。教育委員会や市町村の独立性、自主性に配慮する規定も設けているので、教育現場に新たな混乱を生じさせるものとは考えていない。ということ。
この条例があろうがなかろうが、国としても県としても、同じ方向性が今進んでいて、特にこの条例が混乱の原因になるとは考えていない。そのことをぜひともご理解いただきたい。一部分だけを読むと、全てを極端にお取りになるかもしれないが、むしろ逆に混乱をなくすためにこそこういった条例の趣旨を入れさせていただいた。第三者が関与することで、今議員がご指摘になった、地元にお子さんを連れて帰られたご夫婦の場合でも、地域全体で受け止めた場合に、単にその家族だけが苦しむのではなくて、ボランティアの方とか地域住民の協力など地域との連携をより可能とすると問題解決につながると、より大きくしていくことも併せて申し上げたい。
吉本議員質問
条例は現状の実務に沿うので、教育現場に混乱が起こることは想定していないとの答弁だった。大変残念に聞いた。また、この答弁は健康福祉部と教育庁が書いたから、教育現場に混乱が生じるのならそういったことがあがってくるだろうという答弁もあった。条例の一部を捉えていうのはおかしいとの指摘もあった。第17条の適用除外条項、第5条の市町村との連携や、その後の運用上の配慮についても説明いただいた。
教育委員会、健康福祉部が問題ないというが、実際に就学の判定を行っている市町村の教育委員会に、差し障りがあるか、実際に問題が発生した場合に解決をするのは市町村、特に義務教育の場合は市町村、その市町村に投げかけをしたか伺いたい。私が聞いた範囲では、この問題がマスコミに報じられてから、地元市、地元市の教育委員会、近隣市の教育委員会、同僚議員の自治体に聞いていただいたが、そんなことは言われてないという回答だったし、多くの教育委員会、責任者である教育長さん、あるいは学校長さんからいろんな声が届いている。本人又は保護者のために教育相談を持ちかけるだけで差別とされたらどうなるか、就学指導委員会のあり方が問われてしまう、保護者の付添い等を要求していることが人的負担と捉えられていく、ある高校では、条例ができたら入学拒否をした校長先生を訴えてやる、公立学校はできるが私学助成すらままならない私学はどうなるのか、就学の判定、就学指導委員会等は県教委でやってくれ、公務員は減少する方向だが人的措置はどうなるのか、ということがたくさん私のところにも同僚県議のところにも来ている。
「適用除外があるから過重な負担になるなら適用しない」とおっしゃったが、研究会の最終報告の中で、例えば、小学校普通学級への入学を希望したのに養護学校への進学を強要された、だから入学を強いることを差別だと謳っている。通学時の保護者の付添いを入学の条件とされた、だからこの負担を課すことを差別とした、これだけ読めば、この保護者は、我が子のことを考えているから、誰だって「これをやったら差別だ」「自分たちの子どもが希望するところへ行けるよ」と思うはず。
この17条の適用除外について質問。「過重な負担」は誰が判断するのか。条例上どこが判断するのか。就学指導委員会で、保護者と就学指導委員と市町村の担当で話し合いが行われて、その場で保護者が嫌だと言った場合は、第三者の相談員に相談し、そこが間に入って調整をする、時間も費用も労力もかかる。その結果、最後知事まで申し立てて、その委員会から「この場合は過重な負担だから適用しません」と言ったら、更に行政に対する不信を増幅させてしまう。逆に「この学校に入れるのが望ましい。」となったら、例えばトイレの問題、どうしても介助が必要となった場合、今普通の小中学校にはほとんど車椅子トイレなどない。ある市では、お母さんが行くという約束になっていたけどこられなかった。その町は財政が豊かだから介助員をつけた。でも全市町村でそれはできない。エレベーター、手すり、スロープ、1つずつお金のかかることがあるのに、県は第5条で「必要な措置を講ずるよう努めなければならない」としか書いていない。必要な財源は人的加配も含めてすべて面倒見る、措置すると書けばよいではないか。努力条項で担保しているというのでは現実には使えない。このあたりのことをお答えください。
堂本知事答弁
各市町村に対しては、研究会中間報告への意見の照会、ヒアリングへの参加及び意見提出、最終報告及び条例要綱案の説明など随時情報提供と意見照会を行ってきた。また研究会委員として教育関係者にも参加いただいており、小学校校長会など教育関係団体からも重点的にヒアリングを行い、条例内容の重要な材料としてきた。研究会の検討を通じて教育現場も含む市町村の意見も聞きながら条例案の作成に取り組んできた。
就学指導委員会のあり方については、障害児の就学については、保護者の意見、専門家の意見を踏まえ、総合的に判断していると聞いている。こうした就学指導をより充実させることがたいへん大切だと思っている。就学指導委員会の役割は今後もより一層重要なものになっていくと考えている。「過重な負担」の程度は、個別事例ごとに地域相談員等を交えて判断し、具体的な解決に結びつけていくことになる。
条例では「強いる」という言葉を使っているが、子どもや家族が望まないことを強いられたことが過去にないわけではない。これをなくしていくのが、日本全部の問題だが大きな問題になっている。今までもどこの学校でも、市町村でも努力してくださったと思う。しかし、片方は強いられたという意識を持っていることよりも、もう少し話し合いをし、ご家族にも本人にも納得をしていただかなくてはならない場合もあるだろう。いま議員が指摘した事例は大変幸せな事例。教員も加配し、教室もあったということで、特殊学級が52人の学校に生まれたということで、感動というか、すばらしいことを地域でやったと思ったけれども、そういった対応を、一律とはいかないが、色々なところで。今まで、はっきり申し上げれば、長い差別の歴史があった。残念ながら。そういった差別を少しでもなくしていこうと、この条例を上程させていただいている。市町村の方々にも教育委の方々にも、そして実際に障害を持って生まれたり、障害を持ったご家族がより豊かな生き方が出来るために一所懸命努力していきたいので、よくご理解いただきたい。
<ひとくちメモ>
激しい議論のようですが、よく読み返してみると、知事も吉本議員も目指している方向にそれほど違いがあるようには思えません。保護者と教育委員会や学校が子どもの就学をめぐって対立している例はあり、この条例案に対して教育現場に警戒心があることは分からないではありません。しかし、当事者だけで感情的な対立に陥っている状況を変えるためには、第三者(差別解消委員会や相談員)が介在して互いの理解を促すことが必要です。この条例案は、悔しい思いをしている障害児や親の相談に乗りつつ、がんばっている教育現場の人をもサポートすることを目指しています。どんな制度も初めは、現場に戸惑いや誤解が生じるものです。しかし、長い目で見たときに、第三者が話し合いの場やそれをサポートする人がいることはとても大切です。