千葉・ちいき発


やっぱり必要、みんなで作ろう!38

 このニュースレターは今号から週刊になります。これまで土日を除く毎日発行してきましたが、2月議会で継続審議になり、中長期的な取り組みが必要になったと判断し、まとまった情報を届けて、みなさんと条例案についてじっくり考えていきたいと思います。

<シリーズ> なぜ条例が必要なのか

 県議会では、なぜこの条例案が必要なのかとの質問が何度かありました。この条例ができると障害者と社会の対立が深くなるのではないかとの批判もありました。この条例案を表層的に見るのではなく、真の理解と融和を目指している条例案のコンセプトを多くの県民に知っていただきたいと思います。

 現実に千葉県内で起きたことです。ある町で知的障害者の小規模作業所がオープンしました。住宅街の真ん中にできた作業所です。初年度の利用者は、大きな声を出したり、動き回ったりする自閉症の人が何人かいました。彼らはわがままやしつけが悪いために、大きな声を出したり、落ち着かなかったりするわけではありません。もともと、そういう特性のある障害なのです。しかも、長年通った養護学校を卒業して、新しい環境の中での生活がスタートしたばかりです。落ち着かないのは当然かもしれません。しかし、障害者になれていない地域の人たちに受け入れてもらえるのかどうか、お母さんたちはとても心配していました。
 数週間が過ぎたころ、地域住民の間で障害者作業所に対する苦情の声が漏れるようになりました。ある日、すぐ近くに住む男性が怒鳴り込んで来ました。
「うるさい! いい加減にしてくれ」
 男性は作業所のドアを開けるなり、そう言いました。ところが、作業所の中にいた障害者たちを見て、男性はその場で立ち尽くしました。小柄で若い女性所長が汗をかきながら、大きな体の障害者の世話をしている様子を、この男性はじっと見つめていたそうです。そして、ひとこと言い残して立ち去りました。「そうか、なんでうるさいのかわかった……」
 そんなに騒音がひどいわけでもないのに、地域住民の人たちがなぜ作業所を警戒したり忌避したりするのか? それは、障害者のことを住民たちがよく知らないからではないか。この話を聞いた後で聞いた自治会長はそう思ったといいます。赤ちゃんの泣き声をうるさいと思う人はいるかもしれませんが、気持悪いと感じたり、不気味に思ったりする人はまずいないでしょう。それなのに知的障害者だとなぜ過剰に反応されてしまうのか……。
 それから、作業所に通う障害者の紹介を自治会の会報に掲載したり、自治会のお祭りなどに自治会長がガイドヘルパー役になって障害者を連れて行ったりするようになりました。会長が率先して障害者と地域との仲介役を買って出たことで、住民たちの意識は劇的に変わっていきました。ある住民は作業所に建材を持ち込んで、割れた窓ガラスや壊れた場所を修理してくれたそうです。障害者は自治会費の集金係になり、自治会の一員としての役割を果たすようになりました。

 障害者が作業所やグループホームを作ろうとすると、地域住民から反対運動が起きることが珍しくありません。「施設コンフリクト(軋轢)」などと言われる現象です。障害者差別をなくすための研究会が発足したときに、県民から700を超える差別事例が寄せられましたが、この中には、障害者がアパートなどを借りるのを断られたというものが何件かありました。作業所ができたが、地域住民から障害者が外出する時間帯をあらかじめ住民たちに教えておくようにと条件が付けられたというものもありました。<障害者=危険、不気味>などという偏見が根底にあるのが透けて見えるようです。県外の例ではありますが、過去には、障害者の作業所が外部から見えないように高い塀を作ることを地域住民に強制された、という事例もありました。

 そうした現実があるにもかかわらず、この千葉県内の作業所はどうしてうまく地域住民たちに受け入れられることになったのでしょう。
 まず、なんといっても自治会長の存在が大きいのは言うまでもありません。いまや福祉の世界にも「契約」という考え方がどんどん導入され、法にのっとった利害調整が図られるようになってきました。しかし、私たちが地域で日常生活を送る上では、互いに譲り合ったり、気配りをしたり、がまんしたりすることによって、無意識のうちに利害調整を図っていることの方が圧倒的に多いことを忘れてはなりません。ところが、こうした「無意識の利害調整」をする力が希薄になっているのが、現在の地域社会の特徴ではないでしょうか。譲り合い、助け合い、気配り、がまん……そのような住民関係の心の機能が働かないところでは、踏みつけられても声を上げられない社会的弱者にしわ寄せが行き、それに誰も気がつかない、ということがまま起きるものです。
 もともと自治会というのはこのような「無意識の利害調整」を有効に働かせるための貴重なシステムであるはずです。このシステムを運営する責任者であり象徴である自治会長が、誤解され踏みつけられている側に眼差しを向けることによって、その地域は障害者だけでなく高齢者や子どもなど、誰にとっても暮らしやすい地域になるに違いありません。
 ただ、地域生活における自治会の役割、自治会が担っている機能はそれぞれの地域によって違います。障害者について知識も理解もある自治会長がどのくらいいるのかもわかりません。自治会長といっても自分の仕事やほかの用事をたくさん抱えている人も多く、障害者のことばかり目を向けるわけにもいかないでしょう。先に挙げた事例での自治会長のような動きができる人は、実際には少ないのではないかと思われます。
 そのために障害者条例で位置づけられた「相談員」が、地域で暮らす障害者にかかわる事例について同様の役割を果たしたり、自治会長の役割を補完したり補佐したりすることができれば、地域社会での「無意識の利害調整」はもっとうまく機能していくことでしょう。この条例案が目指していることの一つは、そうした現実的で地域に密着した活動を促進し、踏みつけられ傷つけられても声を上げられない、上げても気づいてもらえない障害者にも「無意識の利害調整」が円滑に働くようにするためです。決して警察のような強い権限を持った機能を目指しているわけではありません。条例という特性を考えても、それは不可能です。

 もう一つは、作業所の所長の存在です。「うるさい!」と近隣住民に怒鳴り込まれた時、若い女性所長は大汗を流しながら障害者の支援をしているところを見せ、怒鳴り込んできた人に反発するのではなく、あくまで理解を求める態度を崩しませんでした。たいした騒音ではないのに、怒鳴り込んできた人を「差別だ」と反発し、糾弾することは簡単です。その方がこちらの気持はスッとするかもしれません。
 しかし、なぜ近隣の住民たちは「うるさい」と感じたのか、反発や糾弾によって自分はスッとしても、そのしわ寄せはどこに行くのか……そういうことに思いをはせる時、障害者の家族や支援者がどのような態度を取るべきかは、極めて重要です。反発もせず、かといって泣き寝入りもせず、「理解を求めていく」ということは忍耐の要る難しい行為です。しかし、そのような崇高な努力があったからこそ、自治会長の心を動かし、作業所に通う障害者が地域に仲間として受け入れられる関係へと発展していったのです。
 この条例案には、障害者自身や家族や支援者にも意識の変化を求める内容が含まれています。そうは言っても悔しい思いを数え切れないくらいしてきた障害者や家族にはなかなか難しいかもしれません。どこにも味方がいない中で、ただじっと耐え忍べと言われても、いったい誰にそんなことができるのでしょうか。そのために、相談員、指定機関、差別解消委員会などの第三者が必要なのです。地域で暮らす障害者にとっては、何かあったときに、相談に乗ってもらいながら、一緒に理解を求めていってくれる仲間が必要なのです。

 県議会での質疑を聞いていると、この条例ができるとかえって障害者と社会の対立が深まるのではないか……という反対論が何度か出されました。相談に乗ってくれる人がおらず、孤立したまま差別状況について抗議する障害者が現状では多いのも事実で、そのために教育現場や雇用現場が警戒心を抱くのは理解できなくもありません。しかし、この条例案は、障害者が過剰に抗議しなくてもいい状況をもたらすでしょうし、抗議よりも理解を求める方がはるかに障害者にとって暮らしやすい社会を実現できる可能性が大きいことを障害者や家族自身が気づくことができるでしょう。
 そのためには条例の慎重な運用が求められるのは、議会で度々指摘された通りだと思います。相談員や指定機関の職員の研修には念を入れ、その活動が適切かどうかを慎重にチェックしながら運用していかなければなりません。条例案には細かいものを盛り込むには限界があるので、今後の実施に向けたガイドラインなどで担保していくべきだと思います。

■健康福祉常任委員会(3月20日)A

 前回に引き続いて、3月20日に行われた県議会健康福祉常任委員会での質疑です。条例の名称や定義について細かい議論が行われました。また、「過剰な負担」と「適用除外」という、障害者差別の解消というテーマにとって核心の一つである議論についても言及されています。

☆皆川輝夫議員(自民党)
 条例名を変更したのはなぜか。前文で「すべての県民のために差別のない地域社会の実現を」と書かれているが、条例を障害者のない人、高齢者やその他の人まで拡大するのか。これまでの行政がしてきたことをどう考えるのか。

★竹林課長
 条例の名称はパブリックコメントに付したときは「仮称」という形で「障害のある人に対する理解を広げ、差別をなくすための条例(仮称)」としていたものを、正式に議案を提出する際に変えた。
 条例の内容は、研究会報告書に沿って書かれたが、名称については研究会でも「差別という言葉を使わない方が多くの県民に受け入れられるのではないか」「障害者に限った話ではない」などの意見が出ていた。だが、取りまとめまでに具体的なアイデアが出なかったために、報告書では「差別」という言葉を使った名称とした上で、愛称を募集してもっと使いやすい名称にしてはどうかということになった。
 パブリックコメントで「条例の内容には賛成だが、名称だけが取っつきにくい感じがする。せっかくのいい内容なのにもったいない。もっとソフトで前向きな内容としてはどうか」という提案が複数あったので、条例の目的規定の「障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会の実現を図る」というところを名称にした。
 条例の対象については、これまで理不尽なつらい思いをされてきた障害者ですら差別がないような社会になれば、すべての人の差別がない社会にしていけるという意味で、最終的には高齢者や外国人などにも範疇は広がっていくが、具体的な守備範囲は、対象者により「生きづらさ」「暮らしにくさ」も違うし、どういう形でそれを解決していくかという解決の仕方も異なってくる。
 今回の検討はあくまでも、障害者の計画づくりの中で提案されて、障害者差別に当たると思われる事例を集めて、障害者の問題に的を絞って具体的な解決策を検討してきたので、条例の直接の守備範囲は、障害者ということにしている。究極の目標としては広いけれども、直接は障害者。
 今回事例を集めてみて、障害福祉課で働いていてもなお気づかないことがたくさんあった。障害者につらく悲しい思いをさせてしまったものの一部に行政側の施策や事業があったことは事例を見ても明らか。その反省を踏まえまて、これからも当事者の思いをしっかりと聞いて、我々の仕事のどこに反映させていけるか考えていきたい。

☆丸山慎一議員(共産党)
 共産党としては賛成するが、条例の精神を発揮するためには、県の努力こそ必要。前文に「施設や病院での生活を余儀なくされている」とある。ほとんどの人が、差別をされているように聞こえる。これは7条1項の趣旨に合わないのではないか。

★竹林課長
 前文は法令の趣旨、基本原則、制定の背景のようなものを宣言するもので具体的な規範を定めるものではない。条例と一体ではあるが、なぜこの条例を作るに至ったかの背景説明が中心。確かに施設入所にはいろいろな事情があって、必ずしも皆がいやいや入ってわけではないが、障害者への差別、暮らしづらさ、生きにくさを考える時に、健常者であればないのに障害者だからこうした生活を送らざるを得ない典型例として、行政の怠慢も含め、地域の生活支援が十分でなかったことが原因で、施設に頼らざるを得なかった社会的な状況が過去にあったことは否めない。これを反省し、これからは地域で暮らせるようにしていこう、そういうことがこの条例の背景としてあるということを書いている。

☆丸山議員
 施設に入らなくてはならなかったのは、地域資源が不足していたから。こうした背景や経緯は行政の怠慢があったから。県が率先して努力して解決すべき問題。県庁の聴覚障害者の職員について、会議や業務の手話通訳の実態を知事は調査していないと答弁したが、自らの足元がどうなっているか把握すべきだ。県庁には、142名の障害を持つ職員が勤務している。聴覚障害者は18名いるが、条例案についてこれらの職員の意見を聞いているか。

★竹林課長
 県庁で現に働いている方々に特別に聞いたことはない。広くホームページ等で意見も募集していたのでそうした中に県庁の中の方の意見が入っているかもしれないが。県庁の中と意識せず広く県民の中から参加いただいている。

☆丸山議員
 条例ができたら、主務課として県庁の状況も把握し、改善すべきではないか。

★竹林課長
 担当課とどういう状況であるか、どうすればよいかよく相談をしてみたい。

☆丸山議員
 過重な負担については、判断する人によって結果が異なるのは問題ではないか。

★竹林課長
 過重な負担になる場合の適用除外の運用の仕方については、一番難しいところ。まず障害者のニーズがあって、目が見えない人、耳が聞こえない人、車椅子の人みんな必要な支援措置が違う。大企業と小企業、エレベーターがついているところと、ついていないところなど、いろいろなパターンがある時に、民民関係で差別の解消が必ず優先するものではなく、過重な負担まで求める趣旨でないことを条例上明らかにするために書いた。
 例えば、ハートビル法・交通バリアフリー法でも一定規模以下の事業者を適用除外としている例もあり、負担に配慮してどこかで線を引くということは制度的にはよくある。しかし、この条例の「過重な負担」が抽象的な言葉であることから問題を生じる余地はある。いろいろな事例を集積していって、相場感を作っていくしかないと思う。例えばエレベーターは過重かもしれないが、車椅子の方の利用するスペースを5階から1階に持ってくるなどの代替策がないのか、障害者のニーズに100%が無理でも10%でも20%でも対応出来ないのか、そういうことも含めて「過重の負担」を考えており、いろいろな事例を集めて、こういう知恵もあるよと中核地域生活支援センター等で共有するような形で運用したい。

☆丸山議員
 「過重な負担になる場合」としか書いていないが、大企業にはできても、中小企業にはできない。そのような条例になっていることをどう考えているのか。

★竹林課長
 差別をなくすための負担と雇っている企業の負担をどう調整するかは、この分野に携わる人たちが世界中で悩んでいる課題。アメリカの障害者差別禁止法(ADA)でも、第102項(d)の5に「事業の運営に不当な困難をもたらすこと実証できる場合はこの限りではない」というように「不当な困難」であるかどうかで差別を区別している。この「不当な困難」は、費用とか、企業の従業員数とか財政力とかを勘案して決めるということしか書いてない。一律の線は引いていない。
 イギリス障害者差別禁止法でも「個々の事案にとって重大かつ相当とみなされる理由によって正当化されない場合はこの限りではない」となっていて、個々の事案によって判断を変えることになっている。現在検討されている「障害者権利条約」においても「不釣合いな負担になる場合はこの限りではない」となっている。
 法令がなるべく客観的で一律に運用されることが望ましいということは確かだが、世界の立法の方々でも一律に規定できていないのも事実。千葉県の場合でもなるべく事例を集積していきたい。

☆丸山議員
 諸外国の他の法律や福祉の充実の状況を踏まえないで比較するのはおかしい。中小企業の社長も雇用に努力しているが、なかなか障害者を雇用するのは難しい。そんな時こそ県の出番。予算措置をして、適用除外規定で新たな差別的取り扱いのないように中小企業への支援が必要。

☆石橋清孝議員(自民党)
差別に定義規定がないのはおかしい。「障害のある人に対する虐待」の定義は、施設に勤務する職員は当然理解しているので、定義に載せる必要はない。合理的な配慮について、一つ一つがすべて異なる。委員会の開催も大変な労力を要する。この条例を、常時4〜5人の障害者を雇用している障害者雇用に熱心に取り組んでいるある会社に見てもらった。その会社では、採用試験に手話通訳を配置し両親の同席を求めているが、差別になるのではないかとの懸念を抱いている。また、単純作業を外国人にお願いすることとし、雇用していた知的障害者を解雇することとしているが、これも差別とされるのであれば、障害者の雇用に門戸を閉ざしかねなくなってしまう。

★竹林課長
 定義の規定は、法制上の技術的な問題。差別については、第7条以降、分野ごとにこういうことは差別であり、それをしてはいけないという条例の構成になっている。このため、全体にまたがる抽象的な定義は必要ないという法制審査の観点。
 障害者のある人への虐待があることも同じ。高齢者虐待防止法や児童虐待防止法にならって五つの類型を書いてあるが、この定義が複雑で長いもので、各条項に溶け込ませると違和感があるので定義の規定に置いた。これも法制上の取り扱い。
 施設の人はよく障害者のことを知っているから、そういう定義を置かなくてもいいのではないかとのことだが、虐待については、既に高齢者や児童福祉の分野では対応する特別な法律が出来ているが障害者の分野だけできていないので、県の条例で書けることを書いたらどうかといことで入ったもので、相談があってから相談員が顔を出すというより、通報義務のようなものも課す重い類型になっている。
 もちろんいい施設もあるが、外の世界とは切り離されており、虐待が起やすい部分があるので取り扱いを分けて書いている。県の条例なので、市町村に直接事務を課すことができず、県の権限で対応できることしか書けない。この条例の中では、障害者施設の監督は県が行っているので、施設と県の役割だけを書いている。一般の市民の虐待については市町村も巻き込むことになり、国の法律が出来るのを待たざるを得ないと考えている。
 解雇については、障害ゆえの差別か、それ以外かにより変わってくる。知的障害の方を解雇する例でも、障害者だから解雇するということでなく、会社の経営の方針が変わって、海外に仕事を持っていくとか、業務の縮小などは当然あり、結果として職場がなくなることは健常者でもある。個別事例ごとに、障害者だからということで判断していくもの。

☆石橋議員
 「差別」の定義は、しっかり記述すべきである。また、採用する側の負担の事情(差別なのか否か)は障害者には分からない。この条例は結局、過重な負担に当たるとして、採用にいたらなければ、障害者に期待を抱かせておいて、がっかりさせてしまう。

・・・以下は次号に続く

<呼びかけ人> 田上昌宏(千葉県手をつなぐ育成会会長)/竜円香子(同権利擁護委員長)/大屋滋(日本自閉症協会千葉県支部長)/土橋正彦(市川市医師会長)/植野慶也(千葉県聴覚障害者連盟会長)/野内恭雄(千葉県精神障害者家族連合会会長)/成瀬正次(障害者差別をなくすための研究会委員・全国脊髄損傷者連合会副理事長)/佐藤彰一(同・法政大大学院教授)/高梨憲司(同・視覚障害者総合支援センターちばセンター長)/野沢和弘(同・全日本手をつなぐ育成会理事)
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