縁を結ぶ会ことはじめ 2001

由紀子さんの旅立ちをお祝いし、新たな縁を結ぶ会

2001.5.12 プレスセンターホール

呼びかけ人アルバムから・・・
出会う→変える、をシステムにする「新たなえにしを結ぶ会」〜(後藤芳一さん)
東海道中くきこけた−5月12日(土)(九鬼伸夫さん)

呼びかけ人
(当事者ネットワーク)
池田省三(介護の社会化を進める一万人市民委員会)
勝村久司(医療情報の公開・開示を求める市民の会)
川内美彦(障害をもつ人の権利リーガルアドボカシー)
見坊和雄(老いを共に楽しむネットワーク)
佐々木信行(ピープルファーストをはなしあおう会)
佐藤きみよ(ベンチレーター使用者ネットワーク)
高岡正(全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)
田中徹二(障害分野NGO連絡会)
多田宮子(さくら会)
芳賀優子(弱視者問題研究会)
樋口恵子(高齢社会をよくする女性の会)
樋口恵子(全国自立生活センター協議会・JIL)
山崎多美子(全国精神障害者団体連合会・ぜんせいれん)
山田昭義(障害者インターナショナルDPI)
渡辺啓二(ジョイプロジェクト)

(支援ネットワーク)
池田昌弘(宅老所・グループホーム全国ネットワーク)
伊藤哲寛(精神医療をよくする市民ネットワーク)
北岡賢剛(全国地域生活支援ネットワーク)
熊谷崇(日本ヘルスケア歯科研究会)
小林洋二(患者の権利法をつくる会)
菅原弘子(福祉自治体ユニット)
高橋儀平(福祉のまちづくり研究会)
高見国生(呆け老人をかかえる家族の会)
坪井栄孝(女性・こども・命・未来を守る会)
藤井克徳(共同作業所全国連絡会)
藤田康幸(医療改善ネットワーク)
別府宏圀(正しい治療と薬の情報)
星川安之(共用品を広めるネットワーク)
山岡義典(日本NPOセンター)
リャン・スンチ(日本ホスピス・在宅ケア研究会)
渡辺文学(たばこ問題情報センター)

(自治体)
浅野史郎・宮城県知事
岩川 徹・鷹巣町長
國松善次・滋賀県知事
坂本祐之輔・東松山市長
潮谷義子・熊本県知事
福田昭夫・栃木県知事
光武 顕・佐世保市長
森 貞述・高浜市長

  (厚生行政)
伊藤雅治・医政局長
篠崎英夫・健康局長
今田寛睦・障害保健福祉部長
堤修三・老健局長
大塚義治・保険局長
辻哲夫・年金局長
中村秀一・審議官(医療保険担当)
河幹夫・参事官(社会保障担当)
山崎史郎・老健局計画課長
香取照幸・内閣府参事官(社会システム担当)

(朝日新聞社)
佐柄木俊郎(論説主幹)
田辺功(編集委員)
内山幸男(科学部長)
臼井敏男(社会部長)
吉田慎一(くらし編集長)
川名紀美(論説委員)
伊中義明(論説委員)
浜田秀夫(論説委員)
高橋真理子(論説委員)
和田公一(社会部)
生井久美子(くらし編集部)

アルバムから・・・

リレートーク「変えるのは、私たち自身」
 −写真左2人目から

清水里香さん・広瀬美香さん・向谷地生良さん
 …「べてるの家」
熊谷崇さん
 …日本ヘルスケア歯科研究会
佐藤きみよさん
 …ベンチレーター利用者ネットワーク
惣万佳代子さん・西村和美さん
 …「この指とーまれ」
樋口恵子さん
 …全国自立生活センター協議会JIL
浜田静江さん
 …「たすけあいゆい」
池田省三さん
 …介護の社会化を進める一万人市民委員会
(雪社説・雪コラムの登場人物たちが、
北から南から駆けつけてくださいました)

ミニミニシンポジウム「ネットワークのややこしさ、素晴らしさ」
 −写真右から

樋口恵子さん
 …高齢社会をよくする女性の会
田中徹二さん
 …障害分野NGO連絡会・日本点字図書館
早瀬昇さん
 …大阪ボランティア協会

坂本祐之輔東松山市長が白のタキシード姿でギターを抱えて登場
「君といつまでも」を語り入りで歌って会場はうっとり

浅野史郎宮城県知事の司会で、第3部
「だれを選んでも恨まれるので」と厚生省代表は、入省同期の大塚義治保険局長を指名。
森 貞述・高浜市長
光武 顕・佐世保市長
バックの大型スクリーンに映し出されている文字は耳の不自由な方のためのパソコン要約筆記の文字です。
バソコン要約筆記についてお知りになりたい方は、たとえば次のページをどうぞ。
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/kb3/haruyasu/
なぜか、俳優の滝田 栄さんが
(どんなえにしなのかは、インフォームド・コンセントの部屋をお読みください)
首長ケアマネ第1号熊坂義裕宮古市長

敏腕論説委員をよろしくm(_ _)m……左から

伊中 義明・論説委員……自治体行政・政治
浜田 秀夫・論説委員……医療費・社会保障
高橋真理子・論説委員……医療・科学
川名 紀美・論説委員……介護・福祉・女性

『雪』の論説−福祉を変えた科学の視点
〜出会う→変える、をシステムにする「新たなえにしを結ぶ会」〜
後藤芳一さん

「今日お越しいただいた方の共通点は、現状に満足せずに、何かを変えようとなさっていることです。挑戦の精神があり、人とつながって新しいこと始めるのを厭わない方です…」
 五月の半ば、東京で「由紀子さんの旅立ちをお祝いし、新たな縁を結ぶ会」が開かれた。

 医療や福祉の社説を担当された大熊由紀子さんが、三月末に朝日新聞社を卒業した。大熊さんは同紙女性初の論説委員として、この国の医療・福祉の進歩を導いた。四月からは、大阪大学大学院人間科学研究科教授の任にある。
 結ぶ会は、大熊さんを中心とするネットワークをさらに発展させることをめざして開かれた。冒頭の言葉は、大熊さん本人による会の趣旨の説明である。

 大熊さんのキーワードに「変える」がある。後日お伺いすると「実践する人(福祉現場)、制度や予算を動かす人(役所)、理論で裏付ける人(研究)、そして、ジャーナリストが出会うと変わる。やろうという人がいても、一人だと変わらない。つながらないとダメなようよ、経験的に。」との由。
 この"大熊理論"からは、人をつなぐこと自体が重要な推進策になる。

 結ぶ会には四百五十人が集まった。大熊さんが伝えてきたメッセージと、つなぎ合わせてきた人の縁が道になった。浅野さん、榎本さん、鴨志田さん、京極さん、白石さん、寺山さん、羽毛田さん、樋口さん、堀田さん、…お馴染みの顔があった。「結ぶ会」は定期的に開かれることになりそうだ。

 大熊さんの視点は、「『寝たきり老人』のいる国いない国−真の豊かさへの挑戦」(ぶどう社、一九九〇年)「福祉が変わる医療が変わる−日本を変えようとした70の社説+α」(同、九六年)という二冊の著書に記されている。読み返すと、依然として指摘の新鮮なことに驚かされる。

 私事ながら、大熊さんに初めてお目にかかったのは、共用品の普及をめざす市民団体、E&Cプロジェクト(現(財)共用品推進機構)の会合であった。九四年の末、当時、筆者は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)で医療福祉機器開発の仕事をしていた。
 それで「寝たきり老人…」を読ませていただいた。「補助器具センターは地下室がすごい」とあり、北欧の事例をもとに、各種の専門家や機能をつなげてシステムにすることの重要性が指摘されていた。
 翌年筆者は、通商産業省に新設された医療・福祉機器産業室に戻った。大熊さんの指摘は「福祉用具センター構想」の予算要求につながり、通産省の福祉用具産業政策の最初の一歩を決めた。

 私事が長くなったが、その目で見ると厚生労働省の政策にも同じ傾向がある。特養を「何床」から「何人」へ、老人施設の一人当たり面積の拡大・個室化、拘束をなくす、介護労働の労働基準法上の問題、精神障害者の地域での生活など。
 これらは大熊さんが指摘してきたことである。いまの政策が、二冊の中にある。

 ところで、大熊さんの目線はどこが違うのか。記者の目か、人間性か、その他にも沢山ある「すごい」を合わせたものか。全部正しそうだ。
 ここでは特に二点に注目したい。第一は「変えよう」という意志である。能力や権限を持ちながら、必要なときに用いないのは不作為である。大熊さんは「"知らなかった"というのは、ナシよ」と信号を発し、「あなたは、何を変えるのかしら」と問うてくる。

 もう一つ重要なのは、大学生時代までは科学者をめざしていたという大熊さんの科学の視点ではないか。事例を集めて個別対処に終始するか、それとも背景にある普遍的原理に目を向けるか。個人で動くか、それともシステムを作ってそれを動かすか。科学であることの違いは、そういうところにある。なぜかを考え、組織を動かす。自然に動くしくみを作る。
 大熊さんの足跡は、日本の福祉がこういう目線を必要としたことを示す。
二冊の著書での指摘が新鮮であることは、他方、課題が未解決であることを示す。「結ぶ会」は、出会う→変える、をシステムにする試みであり、大熊さんが着手した"次の一手"なのだった。

シルバー産業新聞・2001年6月10日・連載「遠望」21

(後藤芳一さんは、経済産業省経済産業省中小企業庁技術課長(日本福祉大学客員教授、早稲田大学客員教授を兼務)、経産省製造産業局次長をへて、大阪大学 工学系研究科 教授(出向中))

東海道中くきこけた−5月12日(土)
九鬼伸夫さん

 診療を終えて、朝日新聞の先輩大熊由紀子さんの定年・阪大教授就任記念パーティーに駆けつける。四百人の大盛会。大熊さんは、日本で初めての女性デスク、日本で初めての論説委員、小説のモデルにもなった有名人だが、そんなことはどうでもいい。すごいジャーナリストだ。
 今日初めて知ったことだが、乳癌と闘いニューヨークで死んだ故千葉敦子さんと大熊さんは、高校時代からの友人だった。千葉さんが、もう最期という帰国の時に、長く会っていなかった女友達十数人を中華料理店に集めて会を催した。
 そこでできた人のつながり、ネットワークは今も生きている。大熊さんは、自分は今すぐ死ぬわけではないけれど、朝日新聞という場を失うに当たって、千葉さんがしたように、新たな人のつながりのきっかけを作りたかった。そんな話しをした。
 本当に、ただのパーティーではなくて、大熊さんとはつながっているけれど、その場では初めて、という多くの人がこれから実りあるネットワークを作るきっかけになるような配慮が本気でいっぱいの会だった。すごいと思う。ジャーナリストにとって、人とのつながりは、最大の財産だ。
 僕のような卑小な心は、大新聞の看板を失うことになったら、自分の財産である多くの人とのつながりを、自分だけのものとして死守したいと望むに違いないと思う。そうではなくて、自分のモノにしようとするのではなくて、みんなの中に開いてしまおうとする。これは本当にすごいことだ。

http://www.asahi-net.or.jp/~mh9n-kk/tokaido17.html

(九鬼伸夫さんは、朝日新聞記者から 医師に転身、現在、銀座内科診療所長。「記者のち医者ときどき患者」などの著書でも有名です)


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