由紀子さんの旅立ちをお祝いし、新たな縁を結ぶ会
2001.5.12 プレスセンターホール
呼びかけ人/
アルバムから・・・
後藤芳一さん
「今日お越しいただいた方の共通点は、現状に満足せずに、何かを変えようとなさっていることです。挑戦の精神があり、人とつながって新しいこと始めるのを厭わない方です…」
医療や福祉の社説を担当された大熊由紀子さんが、三月末に朝日新聞社を卒業した。大熊さんは同紙女性初の論説委員として、この国の医療・福祉の進歩を導いた。四月からは、大阪大学大学院人間科学研究科教授の任にある。
大熊さんのキーワードに「変える」がある。後日お伺いすると「実践する人(福祉現場)、制度や予算を動かす人(役所)、理論で裏付ける人(研究)、そして、ジャーナリストが出会うと変わる。やろうという人がいても、一人だと変わらない。つながらないとダメなようよ、経験的に。」との由。
結ぶ会には四百五十人が集まった。大熊さんが伝えてきたメッセージと、つなぎ合わせてきた人の縁が道になった。浅野さん、榎本さん、鴨志田さん、京極さん、白石さん、寺山さん、羽毛田さん、樋口さん、堀田さん、…お馴染みの顔があった。「結ぶ会」は定期的に開かれることになりそうだ。
大熊さんの視点は、「『寝たきり老人』のいる国いない国−真の豊かさへの挑戦」(ぶどう社、一九九〇年)と「福祉が変わる医療が変わる−日本を変えようとした70の社説+α」(同、九六年)という二冊の著書に記されている。読み返すと、依然として指摘の新鮮なことに驚かされる。
私事ながら、大熊さんに初めてお目にかかったのは、共用品の普及をめざす市民団体、E&Cプロジェクト(現(財)共用品推進機構)の会合であった。九四年の末、当時、筆者は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)で医療福祉機器開発の仕事をしていた。
私事が長くなったが、その目で見ると厚生労働省の政策にも同じ傾向がある。特養を「何床」から「何人」へ、老人施設の一人当たり面積の拡大・個室化、拘束をなくす、介護労働の労働基準法上の問題、精神障害者の地域での生活など。
ところで、大熊さんの目線はどこが違うのか。記者の目か、人間性か、その他にも沢山ある「すごい」を合わせたものか。全部正しそうだ。
もう一つ重要なのは、大学生時代までは科学者をめざしていたという大熊さんの科学の視点ではないか。事例を集めて個別対処に終始するか、それとも背景にある普遍的原理に目を向けるか。個人で動くか、それともシステムを作ってそれを動かすか。科学であることの違いは、そういうところにある。なぜかを考え、組織を動かす。自然に動くしくみを作る。 シルバー産業新聞・2001年6月10日・連載「遠望」21 (後藤芳一さんは、経済産業省経済産業省中小企業庁技術課長(日本福祉大学客員教授、早稲田大学客員教授を兼務)、経産省製造産業局次長をへて、大阪大学 工学系研究科 教授(出向中))
九鬼伸夫さん
診療を終えて、朝日新聞の先輩大熊由紀子さんの定年・阪大教授就任記念パーティーに駆けつける。四百人の大盛会。大熊さんは、日本で初めての女性デスク、日本で初めての論説委員、小説のモデルにもなった有名人だが、そんなことはどうでもいい。すごいジャーナリストだ。 http://www.asahi-net.or.jp/~mh9n-kk/tokaido17.html (九鬼伸夫さんは、朝日新聞記者から 医師に転身、現在、銀座内科診療所長。「記者のち医者ときどき患者」などの著書でも有名です) |