●第五章 癒着をひきはがす処方箋 ◆その1 “見えざる利益相反”との闘い  神経内科医/TIP正しい治療と薬の情報代表 別府 宏圀  ある大学病院のホームページをみますと、「利益相反」とは、「外部との経済的な利益関係により公的研究で必要とされる「公正」かつ「適正」な判断が損なわれる、または損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態のこと」だとありました。 しかし、もともと利益相反とは「当事者の一方の利益が、他方の不利益になること」を指すわけで、そこには、それが「良いこと」なのか「悪いこと」なのかの倫理的判断が含まれているわけではありません。また「公的研究で必要とされる」というのも、あまりにも限定的です。なぜなら、一般的な診療場面においても利益相反が「公正」かつ「適正」な判断を損なうことがしばしば見受けられるからです。  「外部との経済的な利益関係により」と言うと外部から金銭、または金銭的対価を有する「もの」または「便益」などの供与があり、これに影響されて、「公正」かつ「適正」な判断が損なわれる場合を指すようにとれますが、これ以外にも「公正」かつ「適正」な判断を狂わせる要因があるように、私などは感じます。そこで、「無形の利益相反」、あるいは「目に見えない利益相反」というテーマで少し私が考えることを述べて見たいと思います。  いまから、三〜四年前に、アメリカのNPOパブリック・シチズン(例のラルフ・ネーダーが率いる消費者問題や環境問題について鋭い問題提起を行ってきた市民団体のことですが)から、ピーター・ルーリーという人物を招いて講演をしてもらったことがあります。彼は、利益相反を「金銭的利益相反」と「知的・心情的利益相反」とに分けて、次ページの表に掲げるような違いを述べていました。  彼の説明によれば、金銭的利益相反とはまさに「金銭的利害関係」によって「公正」かつ「適正」な判断がゆがめられる場合であり、知的・心情的利益相反とは、「個人的な成功への願望」などによって「公正」かつ「適正」な判断を誤る場合などを指しているようです。最近の事例をあげれば、たとえばSTAP細胞に関わるデータ操作などがこれに相当するのかもしれません。  しかし、金銭的利益相反の対極に「個人的な成功への願望」を置くのは少し特殊に過ぎるような感じもします。これ以外にも非金銭的利益相反は沢山あり、むしろそれらの方が害が多いように感じるからです。  たとえば、同じ学閥、同じ医局の出身者が他の医師・研究者を排除するような行為。学会の権威筋が他の学説を力で押さえ込むような圧力。医療過誤訴訟の原告や薬害被害者に対する感情的な誹謗・中傷なども心情的利益相反にあたるでしょう。  診療ガイドライン作成なども、客観的に誰もが認めるエビデンスをもとに検討・作成されれば良いのですが、自分たちが行っている治療法や診断法を良しとする独善的な考え方で導入すれば、それは自らの権益を拡大するための道具になります。派閥意識もまた利益相反を生み出す大きな源泉なのです。  医師の卒後教育の一環として行われる各種講演会や学術総会の定番となっているランチョン・セミナーも利益相反の温床と言えるでしょう。たとえ製薬企業から個人の懐に直接入ってくる利益はないとしても、結局は学会や一部権益集団の勢力範囲を拡大し、自らの地位を高めたいという願望が潜んでいるからです。これらを「知的(?)利益相反」と呼ぶのは相応しくありません。もちろん、このような感情が科学的進歩を促すとはとても思えません。  この種の利益相反で、私の記憶に強く残るのは、薬害イレッサ訴訟をめぐる「下書き提供事件」です。第三章で水口真寿美弁護士が書いていますので詳細は省きますが、そこに金銭の動きはなかったものの、厚労省の要請を受けた学会の面々が、国からの並々ならぬ圧力を感じたことは申すまでもないでしょう。国からの研究費などの支援が断たれる恐怖を感じたかもしれません。否、むしろ積極的に国を応援することで、更に有利な見返りを感じて、喜んで協力したといったほうが正しいかもしれません。これこそ究極の利益相反と呼んでもいいのかもしれません。  そこには、人々が思い描くような、悪代官と悪徳商人の謀略以上の、したたかな利益相反の構造がみえます。このような目に見えない利益相反と闘うには、どうすればよいのでしょうか。先に示した表にもあるとおり、金銭的利益相反は比較的攻めやすい弱点があるのですが、目に見えない利益相反に立ち向かうためには、どんな工夫が必要なのか、ぜひ今日は皆さんと一緒に考えてみたいと思うのです。   利益相反の種類とその特徴 金銭的利益相反 知的・心情的利益相反 科学と無関係 科学的進歩と関係 様々なレベルでみられる 至るところにみられる 数量化できる 数量化は難しい 議論の中に表れやすい 議論の中で見えにくい 矯正可能 矯正困難 法的に区別可能 法的に区別が難しい --------------------------------------------------------------------------------- ◆その2 利益相反をどう見抜くか 弁護士/薬害オンブズパースン会議事務局長 水口 真寿美  利益相反は、「産学連携(産業界と大学等が共同して商品開発やそのための研究をすること)」を促進する法律が制定されてから、いよいよ深刻な問題となりました。米国では一九八〇年代、日本では九〇年代の終わりからです。  そして、「事件」をきっかけとして、研究や治療の公正さを保ち、患者や被験者の権利を守るため、利益相反を管理するルールづくりが促進されました。 その事件とは、米国では主任研究者が対象薬による商品開発を進める企業の創設者だった臨床試験で被験者が死亡したゲルジンガー事件(九九年)。日本では、第一章で紹介されているインフルエンザ治療薬タミフルをめぐる利益相反問題(〇七年)です。それ以前にも利益相反の管理に触れた倫理指針はいくつかありましたが、厚労省は、この事件をきっかけに、検討会を設置し、次のルールをつくりました。  そのひとつが、「厚生労働科学研究における利益相反(conflict of interest: COI)の管理に関する指針」です。この指針ができたことで各大学は,利益相反管理に関する規定や委員会を設置しなければ、自分の大学の研究者が国の資金による研究費を申請することができなくなりました。その結果、大学での管理体制づくりが進みました。  もう一つは、厚労省の審議会や検討会委員の利益相反を管理するルールです。審議に関連する医薬品の臨床試験に関与している場合や、その企業の役員・顧問をしている場合などは、受領している金銭の額にかかわらず審議に参加できないこととしました。そして、これ以外の場合には、個別企業からの受取額が年間五〇〇万円を超える場合は審議にも議決にも参加できず,五〇万を超え五〇〇万円以下の場合には審議に参加できるが議決には参加できないとしたのです。 ★管理の実効性は?  さて、それから五年が経ちました。利益相反の管理はうまくいっているでしょうか。  〇八年当時は利益相反に関する管理規定をもっている大学は約三割だったのが、一二年には九割を超えましたので、確かに仕組みは整いつつあるようです。  しかし、肝心なのは管理の実効性です。一三年に明らかになった高血圧治療薬ディオバンをめぐる臨床試験の不正問題では、研究に参加した五大学すべてで利益相反管理は失敗しています。製薬企業の社員が大学講師の肩書で臨床試験に関与していたのです。学内ルールはできたが、実質的管理は不十分というのが日本の大学の現状です。  厚生労働省の審議会や検討会の利益相反を管理するルール(運営規程)も形だけは定着し、審議会を傍聴していると、冒頭で委員の利益相反が読み上げられる風景は日常になりました。  しかし、たとえば、五一万円なのか、四九九万円なのかでは随分違いますが、五〇万円を超えて五〇〇万円以下というグループだと知らされるだけです。また、一社ごとに見るので、ワクチンメーカー五社からそれぞれ四〇〇万円ずつ受領していれば二〇〇〇万円ですが、それでも、審議に参加できるという矛盾も生じます。そして、第一章で紹介されているように、子宮頸がんワクチン問題では利益相反だらけの委員によって審理がされているのです。  学会の利益相反管理に関しては、特に学会が作成する診療ガイドラインに問題があります。  診療ガイドラインは病気の診断や治療方法などについての指針ですから、医薬品による治療の開始時期などが決まります。これは、売り上げに直結し、医療現場に与える影響も大きいのに、利益相反のある研究者がその作成にかかわることを排除するルールづくりは不十分です。          ★徹底した開示が基本  利益相反を管理するための基本的な対策は、言うまでもなく、徹底した開示、情報公開です。  厚労省の審議会を含め、製薬企業から提供を受けた具体的な金額を徹底して公開させていくルールに切り替えることが必要です。  一三年から、製薬業界の団体である製薬工業協会がスタートさせた「透明性ガイドライン」(大学や医師に製薬企業が支払った金額を製薬各社のホームページで公開するしくみ)を充実させ公開対象を広げて利用しやすくすることが最低限必要です。しかし、これは自主基準ですから限界があります。日本医師会が、個別の医師が受領した講演料の公開に反対したので一部の公開が一年遅れになったという経過がありました。業界団体も会員企業の自主性を尊重しながら実施しているのが実情です。  米国では保険医療法のサンシャイン条項によって、開示が法的義務となっています。日本でも法制化が必要です。今は研究者の利益相反関係を調べるにはひとつひとつの企業のホームページを訪問しなければならず忍耐が求められますが、法制化して、ひとつのウェブサイトで串刺しに調べることができるようにするべきでしょう。  大学側からの利益相反開示も必要です。現在は、公立大学の研究者については情報公開法による開示請求ができます。しかし、私立大学研究者の利益相反関係については開示制度がなく、問い合わせても開示されません。各大学で自らの大学の研究者や研究室の利益相反関係を開示することも必要です。 ★開示にも限界がある  さて、ここまでは開示の重要性を書いてきたのですが、「開示の徹底は必須だが万能ではない」ということも強調しておきたいと思います。  開示されて利益相反関係が明らかになれば、それを考慮して論文や研究を評価・批判することができ、利益相反の抑止効果も期待できるだろうという考えに基づいて、開示のルールは成り立っています。  しかし、現実はどうでしょうか。私たちが利益相反を理由にその論文を批判したり、批判的報道がされたりしても、肝心の専門家集団にはその中だけで通用するような文化があり、「どこ吹く風」。他の論文で繰り返し引用され、厚労省の審議会の資料として利益相反には触れられず使われていくのです。  企業べったりだからといって学会や大学のポストに悪影響が出るということもありません。むしろその逆で、お金を引っ張ってくる人が重要なポストにつきます。よほどのスキャンダルでもない限り影響がないのです。  今求められていることは、関与を排除するルールをより厳しくすることです。少なくとも審議会のルールを見直し、企業と経済的関係のある人は参考人を限度とする。 「国の政策にかかわる審議会委員になりたければ、製薬企業とは距離をおかなければならない」  それくらいの文化をつくる必要があります。  「そんなことをしたら委員のなり手がいなくなる」「優秀な人を委員にできなくなる」と言われますが、本当にそうでしょうか。審議会を傍聴すると金太郎飴状態、厚労省が本当に人を探す努力をしているとは思えないのです。 ★法制度を整備する  この問題は、利益相反関係それ自体を規制するルールだけでは解決しないことも強調しておきたいと思います。  最終目標は、臨床試験や治療の公正さを守り、被験者や患者の権利を守るということなのですから、そのためのいろいろな制度を整備することが、結局は、遠回りにみえても有効な利益相反対策にもなるのです。では、具体的にどんなことが必要でしょうか。思いつくままに挙げてみます。  まず、五章のその一に詳しく書かれていますが、臨床試験の登録を法的な義務として、登録の対象には臨床試験全体の計画書(プロトコール)や結果を含めることです。  次に、臨床試験全体を統一的に管理する法的制度をつくることです。日本では、「治験」と呼ばれる医薬品を製造販売するうえで必要な、国の承認を得るために行う臨床試験だけが法律によって規制され、それ以外の臨床試験は、倫理指針(ガイドライン)で管理されています。  同じ臨床試験でありながら、「治験」とそれ以外の臨床試験を区別して、法律で管理するのは治験だけ、などとしている先進国は、日本の他にはありません。ガイドラインは法律ではないので強制力もありません。法律の力を借りなくても皆が守るはずという前提で成り立っているものです。  しかし、その前提が崩れていることは、ディオバンをめぐる不正事件がよく示しています。これは製薬企業の寄附金で行われた臨床試験ですが、治験ではないので、法的な管理のもとには置かれていなかったのです。やはり、法制化が必要です。  三つめとして、医学研究における不正行為を調査する制度をつくり、調査機関に適切な権限を与えることです。この事件をめぐっては、薬害オンブズパースンと厚労省が刑事告発をしていますが、それは虚偽誇大広告を禁止する薬事法違反の疑いです。臨床試験の不正そのものを罰する法律がないので、広告を問題にするしかなかったのです。  日本には、海外にあるような、臨床研究の不正を調査する権限をもった専門機関もありません。ここでも法律に根拠をもった制度をつくることが必要です。もっとも、法制度ができる前にも、各研究機関が懲戒処分に関する内規をつくったり、不正行為を行った場合には、戒告、業務停止または免許取消などを行うことはできますので、厳正に実行するべきです。  企業資金を頼らなければ、研究ができないことも利益相反を生む土壌になります。国による臨床試験の支援資金を増やすべきでしょう。企業のプロモーション費用の五%の拠出を求めて公的基金をつくり、それが本当に患者のためになるかどうかを審査して支援するイタリアの制度が参考になります。厚生労働省の薬害肝炎検証再発防止委員会も同様の制度を提言しています。  ほかにも、医学部生のうちから利益相反に対する意識を高める教育を行う、企業頼みになりがちな生物統計分野(臨床研究のデータ解析などを担う学問)の専門家を育成するなど、様々な課題があります。  大事なことは、患者や被験者の権利にかかわることなので、各制度の屋台骨はガイドラインや自主基準ではなく、法律で支えるということです。   ★産学連携を改めて問う  「産学連携はいいことだ」「ただそこで利益相反が生まるのは避けられないので、マネジメントが必要」という説明を何度も聞かされました。産学連携を癒着と片付けるつもりはありませんが、そうした説明には違和感を覚えます。  米国タフツ大学教授のシェルドン・クリムスキーが十年前に書いた『産学連携と科学の堕落』(海鳴社)という本があります。彼は産学連携が商業的利益に結びつかない研究をすたれさせ、「公共」のための研究をする大学本来の使命を失わせ、大学の文化を変えるだろうと警告を発していました。  残念ながらそうなりつつあります。「産学連携」で何をしようとしているのか、本当に患者のためなのか、一つひとつ問いかける姿勢が大事ではないかと考えています。 -------------------------------------------------------------------------------------- ◆その3 海外の利益相反退治 江戸川大学教授/元NHK記者 隈本 邦彦  このシンポジウムの準備のなかで、こんな質問を受けました。「利益相反が悪なのですか? それとも利益相反を隠すことが悪なのですか?」  なかなか難しい問題です。  法律の世界では、民法に「同一の法律行為については、相手方の代理人となり、又は当事者双方の代理人となることはできない」とはっきりと書かれています。ですから、法律家としては「利益相反行為はやってはいけないこと」。わかりやすいですね。  ただ医学界でそこまで徹底できるかどうかは疑問です。医師が製薬会社から金をもらっていると処方に影響するという理由で、すべての利益相反を排除しようとすると、たとえば製薬会社から講演を依頼されても講演料なしで話をしなければならなくなり、製薬会社との共同研究も一切できないことになります。  また薬の承認にかかわる審議会でも、製薬会社から一円でも金をもらっている人をすべて排除してしまうと、委員のなり手がいなくなるという恐れもあります。そこで利益相反の適切な管理が必要になるわけです。  利益相反の管理でもっとも重要なのは「開示」です。  その人の立場によって開示が要求されるレベルは変わります。例えば臨床試験など薬の評価にかかわる研究を行う場合は、その薬の会社あるいは競合他社からどのような資金提供や利得を受け取っているか、当然開示する必要があります。論文の読み手はその利益相反関係を考慮して(あるいは差し引いて)、その論文を吟味するのです。  国の審議会などで薬の製造承認などにかかわる委員はもっと厳しく、どこからいくらもらっているか全面的な開示が求められます。  最近では日本でも、厚労省の薬に関する審議会メンバーには、直近三年間の最も多い年度で製薬会社からいくらもらっているか、「五〇万円以下」「五〇〇万円以下」「それ以上」という三段階にわけて金額の申告をさせています。そして五〇〇万円超もらっている人は審議から外す、五〇万超もらっている人は審議には加われるが議決からは外すというルールを運用しています。        ◆  利益相反の「開示」という点では、二〇一三年に大きな進歩がありました。  主な製薬会社七二社が加盟する日本製薬工業協会が、「企業活動と医療機関等との関係の透明性ガイドライン」に基づいて、前の年に医療関係者に渡した金額等について開示する制度をスタートさせたのです。二〇一三年六月以降、各社のウエブページをみると、奨学寄付金については大学の教室ごとの個別の金額を明らかにしています。  ただし日本医師会等の反対で、個人の講演料、原稿料等については、渡した相手の肩書きと名前だけが開示され、個別金額はまだ隠されています。また薬の宣伝目的で行っている説明会の費用も年間の総額しか開示されていません。しかもこうした開示はあくまで業界の自主ガイドラインに沿ったもので、法律に基づくものではありません。中身が嘘っぱちでもなんら法律違反にはならないのです。        ◆  アメリカは違います。  二〇一〇年三月、いわゆる「サンシャイン法」が制定され、製薬会社、医療機器会社から、医師、教育病院に贈られる一〇ドル以上(あるいは年間総計が一〇〇ドル以上)の金品はすべて公開することが法律で義務づけられました。市民がアクセスできるデータベースに、「○○大学の××医師は△△製薬から何ドルの贈り物を受け取った」と公開される決まりです。  予定では二〇一三年八月以降の支払いが今年二〇一四年九月に、すべて文字通り白日(サンシャイン)のもとにさらされます。  日本でも業界のガイドラインに頼るだけではなく法制化すべきです。金の流れの公開が法制化されれば、例えば国の審議会のメンバーが仮に嘘の申告をしていても、後で必ずバレるので、みんな嘘をつかなくなります。        ◆  一方、医療を利益相反の影響から守る手段の一つとして、欧米では以前から、臨床試験の事前登録と結果の公開に取り組んでいます。  臨床試験が製薬会社の資金ばかりで行われている現状があるために、「製薬会社に都合の悪い結果が出た臨床試験が発表されずお蔵入り」になるという現象が深刻になっているからです。  その対策として、米国食品医薬品庁や欧州医薬品庁では、@すべての臨床試験は公開のデータベースに登録して、どこでどのような試験が行われているかわかるようにする、Aその結果はすべて公開されるよう企業・研究者に求めるという活動を行っています。  特に最近欧州では、結果だけでなく臨床試験のデータそのものも完全公開すべきだとキャンペーンを強化しています。  日本でも臨床試験の事前登録制が進められていますが、二〇一〇年の日本臨床薬理学会で発表されたデータでは、事前登録率はすべての治験の六割程度、そのうち結果が公開されている率は一?二割程度に留まっています。  法律で利益相反を開示させ、さらに臨床試験の事前登録、データの完全公開を求めていく、世界の大きな流れはその方向に向かっているのです。  ----------------------------------------------------------------------------------------- ◆その4 医師のプロの誇りこそがカギ 産婦人科医 打出 喜義  どうすれば、医療における利益相反を克服することができるでしょうか。そのためにはまず、医療の本来の目的を再確認しておく必要があります。  医療現場とは、病に冒された人とそれを癒そうとする人とが共同して病魔に立ち向かう、そのような場ですね。そこでは、医業に加え薬業にも大きな役割が課せられていて、患者、医業、薬業の三者が一体となった営みが繰り広げられています。医業は新しい治療法を模索し、薬業は新薬開発に精を出すのは当然、一人でも多くの病魔に取り憑かれた人を救い出すためです。これが医療の本来の目的だと思います。  こうした「新しいモノ」を探り出そうとする営為には、患者の身体を「モノ化」する「実験」がどうしても必要です。これが、医療現場で利益相反状態が生じやすい大きな理由の一つだと私は思います。  厚生労働省は、医学研究などにおける利益相反をこう定義しています。 「外部との経済的な利益関係等により、公的研究で必要とされる公正かつ適正な判断が損なわれる、又は損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態をいう」(厚生労働科学研究における利益相反の管理に関する指針)。そして、その例として、「データの改ざん、特定企業の優遇、研究を中止すべきであるのに継続する等の状態が考えられる」としています。  これを患者、医業、薬業の関係に置き換えると、こう言い直すことができるでしょう。 「医療における利益相反とは、『薬業(外部)』との経済的関係によって『医業』の公正かつ適正な判断が損なわれ、それが『患者』の利益と相反する状態になってしまうこと」  新治療法や新薬が開発されれば、医師は有名になって地位も得られ収入も増えます。製薬会社には莫大な利益が転がり込むので、両者の利益は一致します。一方、その開発実験の被験者となった患者はどうでしょう。  もし、新治療法や新薬が従来のものに比べ良いモノだとしたら、被験者になった患者は真っ先にその恩恵に浴すことになります。しかし、場合によってはただ新しいだけで、本当は大きな副作用が生じるモノかも知れません。そうなると被験者には不利益しか生じません。つまり、患者の利益と医業・薬業の利益は、時には一致し、時には相反するのです。そんな話をすれば、被験者になる人は居なくなると危惧した揚げ句、本人に黙って患者を実験材料にし、モノ扱いしてしまったところに、医療現場の利益相反は生まれて来たと言えるのです。  では、どうすれば本来の目的を忘れず、患者の利益と一致する医療を実現することができるでしょうか。そのために欠かせないのが、医師の「プロフェッショナリズム」です。「プロ意識」「職人気質」などと訳される言葉ですが、「プロ」の対義語は「アマ」ですから、これら二つの言葉を対比させると、あるべき「プロ」の姿がイメージされてくるかもしれません。  職業人として一人前の腕も自信もない駆け出しの段階が「アマ」。これに対し、自立した職業人として確かな腕を持ち、誇りを持って働いているのが「プロ」。朝ドラではありませんが、「あまちゃん」ばかりが幅を利かすようでは、社会は崩れます。医療現場でのプロの誇りとは、患者の利益(健康、命)を守ること。医療の本来の目的を忘れて、医療や薬業の利益ばかりにとらわれ、患者の利益から目をそむけた医師は「プロフェッショナリズムを放棄している」と言えるでしょう。  プロフェッショナリズムを放棄した医師は、医師としてアマであり、恥ずかしい。こんな「恥の文化」を育てることが、医療現場で必要です。医療現場の利益相反を克服するために、今こそ医師のプロフェッショナリズムを問い、倫理を確立すべきときと言えます。 ただ、倫理だけに頼るだけでは心もとない現状があり、法に裏付けられた具体的な対策も必要です。  新薬開発(治験)は薬事法で規制されていますが、この法の処罰対象は治験依頼者および実施者です。製薬会社から治験を依頼された立場である医師に非倫理的行為があったとしても、その医師には何のお咎めもありません。  治験においてさえそうですから、薬事法が及ばない臨床試験では、さらに無責任な医師があちこちに出てくる可能性があります。 「臨床研究に関する倫理指針」が医師には示されていますが、元々倫理の備わっていない人に、いくら「倫理」を「指針」として呈示してみても馬耳東風。そうであれば、現場の医師をも処罰できるような「法」の整備が喫緊の課題となります。  とはいえ、法にばかり頼るのも問題です。医師は眼前の利得に捕われずに患者を第一とする。患者を出汁に私利私欲に走るものが居れば、自浄的にそうした輩を教育する。医療現場でこうした自浄作用が働けば、自ずと利益相反問題はなくなるはずだからです。 「人々の善が最高の法律である」   これは古代哲学者キケロの金言です。  小悪は人、大悪はシステムが原因ですから、小悪は法で裁けたとしても大悪はそうはいきません。であれば、人々の善(プロフェッショナリズム)を育てることが第一です。そして大悪については、それを内側から指摘し改善する同僚審査(ピアレビュー)の推進と、自浄が困難な場合に備え、公益通報する者の保護や育成も必要でしょう。 ------------------------------------------------------------------------------------------- ◆その5 情報公開が癒着を防ぐ 元秋田県鷹巣町長 岩川 徹  先月の出来事です。秋田県にかほ市の市長が、昨年10月に行われた市長選の後、対立候補の支持者が関わる企業や団体に対して、同市が発注する工事の指名から外したり、補助金を減額したりしていたことが報道されました。  指名から外されたのは対立候補の家族が社長を務める会社で、「市が発注する公共工事の業者指名からこの会社を外せ」と市長が担当課に指示をしたというものです。また、補助金を減額されたのは同市商工会ですが、会長が対立候補の後援会長を務めたのが、理由のようです。  市長は指名から外した理由を「選挙運動で、間違った数字を用いて市政を批判した責任を取ってもらう」と述べました。商工会に対しては「選挙で信頼関係が崩れたので減額した」と説明をしています。  この問題の根幹にあるのは「首長の強大な権限」です。  地方自治法は市町村長の権限について、「市町村の予算を調製・執行したり、条例の制定・改廃の提案及びその他議会の議決すべき事件について、議案を提出したりすることができる」と定めています。つまり簡単に言うと、市町村の事務のうち、他の機関が処理すると定められたものを除いて全てを担当することができるというのです。  この強大な権限を巡り、首長はこれまで多くの不祥事を繰り返してきました。  中でも公共工事に絡む「汚職」は後を絶ちません。公共工事や建設業に対して、国民は決して良い連想をしません。一般的に、「創造」「地域振興」「環境整備」といったプラスイメージよりも、むしろ「贈収賄」「癒着」「談合」「利権」などといった、社会的マイナスイメージが根強いのです。  公共工事を巡る不祥事がなくならないのには理由があります。  その代表的なものの一つは、工事関連業者に対する首長の「指名権」です。この権限は法的に認められたもので、それ自体は問題ではありませんが、この「指名権」を巡って別の問題が発生する恐れが十分にあります。業者は指名を受けたいので、あらゆる手を駆使して首長に攻勢をかけてきます。勿論、全ての業者が皆そうだというわけではありませんが、私が知る限り、そうでした。  その結果、不幸にして納税者の大切なお金が、首長と業者の癒着によって作為的に使われるケースが生じます。自治体予算は税金です。大事なことは、納税者が主人公であり、自治体のお金は納税者が納得する形で使われるべきです。でも納税者は、業者指名の陰で何が行われているのか、実際にはよく分からないのです。  そこで、納税者が公共事業をチェックできるように、その重要ポイントともいえる「発注形態」についてまとめてみました。 ★1「指名競争入札」  一定の条件を満たす希望者すべてを入札に参加させる一般競争入札とは異なり、特定の条件により首長が指名した業者同士で競争に付して契約者を決める方式です。つまり、首長が意図的に業者を指名に入れたり、逆に外したりと自由に決定することができ、極めて関係者にとっては都合のいい方法です。  参加業者が少数になるために「首長と業者の癒着」や「業者間の談合」が起こりやすくなっています。また、官製談合による「天下りの温床」となっているとの指摘もあります。 ★2「最低制限価格」  入札にあたり、首長は工事予定価格(落札上限価格)を事前に設定し、これより高い入札額は無効となります。一方、最低制限価格は工事予定価格の下限を決めたもので、この価格を下回った場合は失格となります。これは、工事をしっかり行うのに最低限必要な経費などを首長が勘案した額で、質の担保のための価格とも言えます。  しかし、入札する業者にしてみれば極めて価格決定が難しく、事前に最低制限価格を知ろうと首長に近づき、予定価格が事前に漏れてしまう可能性があります。 ★3「総合評価落札方式」  価格のみの競争による最低価格落札方式とは異なり、価格のほかに技術力や創意工夫等を評価するので、価格と品質が総合的に優れた内容を提案した業者を落札者とするものです。  首長は、評価するポイント(例:施工内容なのか、企業規模なのか等)がずれていると公平な判断ができなくなります。  また、学識経験者を入れた第三者委員会が選定することになり、委員の個人的評価が入りこむ可能性が高く、選考側の委員にも左右されやすい方法です。その委員を選定するのも首長です。  これらの方法による公共工事の発注は違法ではないものの、中には首長と業者の「癒着」の結果、決定されたと疑われても仕方がないものもあります。  では、どうすれば癒着がなくなるのでしょうか。  首長は、どのような入札であっても、手続きの客観性や透明性を確保するために、積極的に情報公開をする必要があります。本来、自治体行政において、納税者たる住民に秘密にすることなどないはずです。当然、入札の内容も過程もガラス張りでなければならないと考えます。  さて、皆さんの町はどうなっているのか、何よりも皆さん自身が鍵になります。情報公開条例等を有効に活用しながら、「首長の強大な権限」をチェックしてみては如何でしょうか! -------------------------------------------------------------------------------------- ◆その6 薬害を防いだ労働組合 製薬研究者/大鵬薬品工業労働組合元中央執行委員長 北野 静雄  製薬企業は不況の波を受けにくい業種です。国民皆保険制度で、誰もが保険で医療を受けることが出来る反面、薬を出さない医師は敬遠されたりします。  製薬企業の新薬開発における投資は、ダニロン錠のような抗炎症剤でも、当時十億から三〇億円必要といわれていました。一度開発のレールが敷かれると、開発を途中で断念するのに大変な決断が必要なのは確かです。一九八一年に発覚した大鵬薬品の「ダニロン錠事件」は、製薬企業が持つべき倫理観と儲け主義が真っ向から利益相反した事件といえるでしょう。  労働組合結成前の大鵬薬品での労働条件を一言でいうと、他の製薬企業に比べ長時間労働で、低賃金でした。働く者にとって自由にものが言えない労働環境がその根底にあり、労働者と会社の関係は対等ではなく、研究労働者も例外ではありません。 ★隠された発癌性データ  ダニロン錠は抗炎症剤として長期にわたって使用されることを目的に開発された薬でした。ところが、ダニロン錠の販売を厚生省(当時)に申請する際、意図的に隠されたデータは、薬の安全性に関わる次の三つのデータでした。 1ダニロン錠は、飲むと腸内で分解され、ホルムアルデヒド(発癌物質)が発生。 2変異原性試験によってダニロン錠あるいはその代謝物が遺伝子を傷つける。 3ダニロン錠をマウスに投与した発癌性試験で、ダニロン錠の量に応じて肝臓に前癌病変が発生し、その一部が癌に移行していた。  ダニロン錠の担当研究者は会議で、ダニロン錠を発売しないように進言しました。しかし、全く相手にされないばかりか、「他言すると解雇もあり得る」、「君の将来に影響するぞ」、「口で損をするぞ」と口封じされる始末でした。それでもなお危険性を指摘した研究員は、重要な仕事から外されていきました。  大鵬薬品は八〇年一月、上記データを除外してダニロン錠を申請することに決定しました。次に研究員たちは厚生省の中央薬事審議会が、こんな薬はダメと正しく判定してくれるだろうと考えました。ところが期待に反して、ダニロン錠は実にあっさりとパスしてしまいました。もう研究労働者は知らないふりをして目をつむるか、何か行動を起こすしか道はなくなったのです。  長い議論の末、八一年十月八日、研究者は労働組合の結成を通告。会社への最初の要求は労働条件の改善と、「ダニロン(錠)の製造、販売を中止し、発癌実験(マウス)及び復帰変異原性実験の全てを公表せよ」でした。これが新聞報道され、大きな社会的問題となりました。 ★労働組合潰しとの闘い  会社の労働組合潰しは組合結成直後から始まり、その弾圧は「凄まじい」の一語に尽きました。八〇名程いた組合員は一挙に七名に落とされ、会社は「秘密漏洩調査委員会」を設置。「秘密を漏らした人間を徹底的に調査する」と公言しました。ビラ配布に対して暴力、破る、投げ返す、集めるなど、会社組織丸ごとで攻撃してきました。そして、とうとう一枚のビラさえ読まれなくなってしまいました。  そのうえ「ダニロン錠事件」の火元である安全性研究部門から組合員のみを強制配転し、人間的差別、昇格差別、毎年の昇給差別、副委員長の職務変更、隔離勤務、暴力事件など、あらゆる労働組合潰し攻撃を行ってきました。状況は組合にとって最悪。組合は「労働条件の改善と薬害を起こさない」という旗を掲げて闘いを始めましたが、存在し続けるだけの闘いと人の目には映ったかも知れません。  しかし、企業の誤った論理に職場生命をかけて闘う労働組合に対し、市民が支援しようと、八二年、「支援する会」が地元徳島で結成され、八三年に「関西支援する会」が結成されました。八三年四月、国連諮問機関である「国際消費者機構(IOCU)」のファザール会長以下各国代表団が徳島市の大鵬薬品を訪れ、「良心的研究者を守るよう」申し入れを行うなど、市民運動としての盛り上がりも見せました。大鵬薬品労組は「薬害・医療被害をなくす厚生省交渉団」に加わり、厚生省との交渉を続け(現在も続けている)、医薬品のデータ不正事件をテーマに厚生省との交渉も行うようになりました。  ただ、社内でどうしても解決がつかない問題があり、法廷での長期の闘いにも取り組まざるを得なくなりました。組合潰し、不当配転、担務変更、昇格差別、賃金差別、懲戒処分事件などでした。八四年十一月、地労委で労働組合潰し事件の勝利命令。八六年十月、地裁で勝利判決。九一年三月、地労委で副委員長の業務変更無効の勝利命令──と続きます。  次々と出される組合の勝利に、「少数でも闘えば勝てる、展望が開ける」と自信もでき→不退転の決意が固まる→楽しくやれるというサイクルが回りはじめたのです。 ★販売断念を勝ち取る  五年後の八六年十二月十六日、朝日新聞は「奈良県立医大が、ダニロン錠に発癌促進作用があることを、その年の日本癌学会総会で報告」と報じました。その二日後、ダニロン錠発売前の八一年以前に、社内で同様の発癌促進作用の実験を行っていたこと、そしてその実験結果(発癌促進作用がある可能性)が、なお隠されていたことが判明しました。  大鵬薬品は再び、ダニロン錠に関して知り得た事実の報告義務に違反したことになりました。データ隠しが発覚して、厚生省が大鵬薬品に対して行った措置は、「発癌性試験が不十分である」として、「ラットの混餌法による発癌性試験を第三者機関で行うように」という命令でした。  しかし、第三者機関で実施した発癌性試験結果の評価が実施される前に、上述のように度重なるデータ隠しが発覚するに至り、大鵬薬品は「ダニロン錠の販売を断念する」と発表しました。これは労働運動、市民運動、反薬害運動と連携した大鵬薬品労組の大きな成果と言っていいと思います。疑惑の医薬品は、ついに患者に投与されることもなく消滅する結果となったのです。  大鵬薬品労組は会社では少数ですが、社会的には意識的多数です。大鵬薬品労組は他の労働組合・市民団体・薬害被害団体あらゆる組織に支援を訴えました。その中で出会った、ある薬害被害者の言葉が今も印象的です。 「これまで製薬企業の労働組合は敵だった。我々被害者が門前で座り込みをやった時、率先してごぼう抜きをやったのは労働組合員だった。大鵬薬品労組の存在はそんな敵の中に風穴をあけた」  大鵬薬品労組はその後も、薬害・医療被害撲滅キャンペーン活動、医療被害講演会の開催、薬害・医療被害裁判の支援などにも積極的に取り組み、厚生省交渉も継続させました。そんな中で社会的な成果も勝ち取ることが出来ました。 ・GLP(医薬品の安全性試験実施規範)の一年早期実施(一九八二年一月) ・発癌性試験の義務化(一九八四年五月) ・医薬品申請データ公開の方針 (一九八四年十二月) ・薬事法の改正…施行規則第十八条の三の三の新設(一九八三年八月) 「医薬品の品質、有効性、又は安全性を有することを疑わせる資料は厚生大臣又は都道府県知事に提出しなければならない」 ・新薬のデータ(サマリー・べーシス)公開の方針(一九九二年三月) ・ダニロン錠が日本から消えた  大鵬薬品労組の一人ひとりは、「勝てる」という確信から闘ったわけではありません。薬害被害者の犠牲を忘れないという考えから出発しました。  労使紛争の解決のため、東京総行動、大阪総行動、支店・代理店要請行動、徳島駅を中心に情宣活動、徳島工場要請行動、行政要請行動を十一年もの間、支援の人たちと取り組んできました。  結果、九二年、大鵬薬品創立三〇周年記念行事の三日前、十一年の長い闘いに労働組合は勝利しました。和解協定にあるように、「自社製品の問題についても組合と話し合いの場を持つ」と会社が協定したことは画期的な内容でした。  八一年の「ダニロン錠事件」から九四年までに、大きな社会問題に発展した医薬品データ不正事件は十一件(次ページの表)です。いかに薬事行政のザルの隙間に医薬品のデータ不正事件が起こっているか、お分かりいただけることと思います。  大鵬薬品を中心に述べてきましたが、「ダニロン錠事件」が特別なものでなく、製薬企業は一般的に、どす黒い体質を持っているということが分かるでしょう。  事件全体をみると製薬企業→大学→厚生省の癒着構造が浮かび上がってきます。たくさんの薬害被害者を出した日本の薬事行政が、進展していない証拠です。 ★労働組合の社会的責任  労働組合が企業不正の問題に取り組めば、内部での解決が可能になり、企業の社会的信用の低下が防げます。また、個人が告発するのに比べ圧倒的に攻撃が少なく、しかも団体交渉という交渉権が憲法で保障されています。  大鵬薬品労組の闘いから言えることは、自社製品の安全性なり、企業の不正を内部で正す役割を担うのは、労働組合だということです。  それが労働組合の社会的責任です。  そのことは企業を守り、労働者の雇用と生活を守ることになります。この社会的責任をなおざりにし、賃上げや処遇改善のみに始終する労働組合がストライキで闘っても、国民の共感は得られないでしょう。  「大鵬薬品の薬は労働組合がしっかりしているから安心だ」と薬害団体が大鵬薬品労働組合に言ったことがあります。運動や差別に耐えた二十七年の苦労が一挙に吹っ飛んだ思いでした。大鵬薬品労組の旗頭は「労働条件の改善」と、もう一つは「薬害の根絶」を目指すことです。  大鵬薬品労働組合は、「人として大事にされる職場作りが、第二の『ダニロン錠事件』を起こさせない保障になる」と考えています。 表 薬事行政と医薬品データ不正事件 大鵬薬品のダニロン錠・データ隠し事件(1981年) 発癌性の疑いの濃いデータを隠して申請。使用されることなく販売中止に。日本で初めての医薬品データ不正事件。 明治製菓/昭和大学のエクセラーゼ・データねつ造事件(1983年) 毒性実験を委託された昭和大学の教授が、実験中の犬がバタバタと死亡したが、データ改ざんを指示。明治製菓もそれを知りながら厚生省に申請。 扶桑薬品のビタミンK2注射剤・データごまかし事件(1984年) 主成分を溶解するために試験もせず別のものを使用。そのため溶血・筋障害の危険性があることを大学の研究者が学会で報告し、社会問題となった。 ミドリ十字の人工血液・データ書き換え事件(1982年) 老女に生体実験を行い、そのデータを改ざん。 日本ケミファのノルベダン・臨床データねつ造事件(1982年) 日本大学医師に金を渡して名前を借り、臨床データをねつ造。企業と大学の馴れ合いが表面化した事件。 塩野義製薬の臨床試験実施要綱違反事件(1994年) 臨床試験の実施要綱を無視し、患者の腹腔内に抗癌剤を散布。死亡例が出る。治験する医師のモラルの低さが明らかとなった事件。 日本商事のソリブジン・データ隠し事件(1994年) 抗癌剤と併用すると毒性が増強することを動物実験で事前に知りながら周知徹底せず、臨床試験で死亡した報告も隠して申請。このため発売後1ヶ月間で15名が死亡。株の暴落を事前に知った社員と医師がインサイダー取引をしていたことも判明。 藤沢薬品の新薬申請データ・スパイ事件(1983年) 藤沢薬品が国立予防衛生研究所の技官を通じて他製薬企業の新薬資料を盗んでいた。企業と行政の結び付きが表面化した事件。 大塚製薬のアーキンZ錠・市販後臨床データねつ造事件(1991年) 心臓薬の画期的な新薬として発売されたが、販売直後から多数死亡例が報告された。厚生省は市販後の臨床調査を指示。しかし、大塚製薬は症例報告をねつ造して報告。 チバガイギー/山之内製薬のブタゾリジン事件(1984年) 副作用で死亡したのは1182人。チバ社はそれを知りながら販売を続行。厚生省は副作用を重視し、要指定薬とし、他の薬に効果がない場合のみ使用を制限。 大鵬薬品のマイルーラ・毒性データ無視事件(1983年) 主成分に関して海外では多数の危険性を示すデータが出ていた。効果の低さ、体内吸収と蓄積、胎児障害の危険性など。それをマスコミに指摘した労組委員長を大鵬薬品は会社の製品を誹謗中傷したとして懲戒処分。 ----------------------------------------------------------------------------------------- ◆その7 いまこそ、利益相反と決別するとき  ジャーナリスト 鳥集 徹  大学病院や有名病院に取材に行くと、一般の患者は目にすることのない、異様な光景を見ることができます。 「関係者以外立ち入りをご遠慮ください」。そう書かれた先に「臨床研究棟」などと呼ばれる建物があり、そこに教授室や講師室、研究室などが並んでいます。目的の部屋を訪ねるために歩を進めると、扉の外の廊下に同じような黒っぽいスーツを着た人たちが立ち並んでいて、時々「お疲れ様です」と頭を下げられることがあります。  この人たちこそ、製薬会社の営業担当者、「MR(医薬情報担当者)」と呼ばれる人たちです。彼らは教授や部長とコンタクトを取るため、部屋に呼ばれる順番を待っているのです。ときには、なかなか医師が戻ってこないのか、夜遅くまで何時間でも立ち続けていることがあります。  それを見るたび、「気の毒な仕事だな〜」と心の中で呟いてしまうのです。だって、そうじゃないでしょうか。たぶん一流の大学を出て、病に苦しんでいる人々を救おうと狭き門を突破し、一流の製薬会社に入ったのです。そして、がんばって勉強して、認定試験をクリアし、晴れてMRとなったはずなのです。  なのに、まるで忠実な下僕のように廊下でずっと立ち続けて、医師の帰りを待っているのです。なぜ、そこまでするのか。それは決まっています。自分が雇われている会社の薬(商品)の売り上げを伸ばすためですよね。  そこに「悪」があると言えるでしょうか。必ずしもそうは思いません。世の中が資本主義で動いているかぎり、企業が売り上げを伸ばし、成長しようとするのは当然だからです。  それを怠れば株主に突き上げられ、他社との競争に敗れて会社がつぶれてしまいます。もちろん、企業にも社会的使命があり、法令や倫理を順守する義務はあります。しかし、そもそも資本の論理とは、そういうものなのです。製薬会社の社員にも生活がかかっているのです。  けれど、医療はどうでしょうか。もし医療が資本の論理で動くようになったとしたら──これは大変なことになってしまいます。無駄であろうが、患者が苦しもうが、検査や治療や投薬をとにかくたくさんする。需要を掘り起こすために、あれも病気、これも病気ということにする。「この病気を予防しなければ、大変なことになる」と不安を煽りに煽る。薬の副作用で病気になれば、さらに薬を使ってもらえる。  そうすれば、医療の「売り上げ」はもっともっと増えるでしょう。がん免疫細胞療法クリニックの培養を担う、某株式会社のIR(投資家)情報に、「今期は売り上げ目標を達成するために、患者数を○○まで増やす」といったことが書かれているのを読んで、ぞっとしたことを覚えています。  医師のみなさんも、製薬会社の方々も、いつか患者さんになります。そんな、患者を犠牲にしてまで儲けようとする医療でいいと思われますか?   そもそも、医学研究者には資本の論理に抗して、製薬会社が売りたい薬や市販後の薬がほんとうに患者の役に立っているのか、チェックする使命があるはずです。 「この薬は宣伝されているほど効きませんでした」「この薬では副作用が多発する恐れがあります」。そのようなネガティブな情報も、患者にとっては非常に有益です。そのようなデータを発表する医師も、研究者として高く評価されていいはずなのです。  しかし、今の医学界では、そうした発表はあまり評価されないと聞きます。「がんの特効薬になりそうだ!」「従来薬に比べ画期的な効果!」。そんなポジティブな発表のほうが、マスコミに注目されて、学会でも評価されるのだそうです。そうかもしれません。それがほんとうならば多くの患者を救うことになり、「医学の進歩」に貢献するのですから。  でも、そうした発表をした後に不正を指摘され、製薬会社からお金を受け取ったことも明るみに出て、社会から批判されるって、科学者として恥ずかしくないのでしょうか?  「製薬会社だって、研究のパートナーとして、医学の進歩に欠かせない」  そんな声が聞こえてきそうですが、子宮頸がんワクチンの裏側やディオバン事件、それに数々の薬害事件の事態まで知ってしまった今、そうした弁明はまったく説得力に欠けてしまっています。  利益相反が疑われるようなことは、もう、やめるときです。国立大学病院の医師でさえ、新薬のロゴ入りボールペンやマグネットを平然と使っていますが、その感覚はおかしい。市役所の職員が「○○工業」のボールペンやマグネットを使っていたら、談合を疑われることでしょう。  利益相反で批判されるのは恥ずかしい──医療界の方々(そして、これまで利益相反に甘かったジャーナリストの方々も)、これを機会にぜひ、そんな文化を作ってほしい。そんな思いで、福祉と医療・現場と政策の「新たなえにし」を結ぶ集いのプログラム、夜の部の編集作業を買って出ました。  原稿を寄せてくださった執筆者のみなさま、レイアウトに尽力された神保康子さんとボランティアの方々、そしてなにより、このような機会(試練?)を与えて下さったゆきさん(大熊由紀子さん)に心より御礼申し上げます。