今回のシンポジウムは「サンデル教授の白熱教室風にやってみては」というリクエストがありました。ちょっと悩みましたが、浅学非才を顧みず、やってみることにいたしました。   本家サンデル教授の著書『これからの「正義」の話をしよう』には、こんな逸話が登場します。  ブレーキが故障した路面電車が暴走している。前方には5人の作業員がいてこのままでは全員の命が危ない。一方、待避線の方には1人の作業員しかいない。もしあなたが待避線に電車が入るようにポイントを換えれば犠牲者を5人から1人に減らすことができる。これを行うことは正義だろうか?  サンデル教授の講義は「この選択を正義だと考える人も、じゃあ5人を救うために1人を線路上の橋から突き落として電車を止めるのは? と聞くと不正義と感じる。それはなぜだろうか」と、道徳的ジレンマの話に展開していくのですが、私、くまさんでる教授のシンポジウムでは、少し違う設定にしてみましょう。  電車が暴走しているというシチュエーションは同じです。ただ、あなたと5人の作業員には縁もゆかりもないのですが、待避線の方にいる作業員は、なんとあなたの一人息子です。 あなたはどうするでしょう?  子どもを犠牲にしてでも5人を助け正義を貫く? いやいや、そんな正義感でかわいい子どもを死なせるわけにはいかない! 普通の人ならそうですよね。しかし悩みます。どちらとも知り合いではないという設定に比べて、この設定ではぐっと選択が難しくなったと思います。  ではもうすこしえげつない設定にしてみましょう。  あなたと5人の作業員には縁もゆかりもないのですが、待避線のほうにいる1人は、あなたを雇って可愛がってくれている鉄道会社の社長さん、しかも次の異動であなたを鉄道部長に抜擢し特別ボーナスもくれると約束してくれた人でした。さてあなたはどうするでしょう?  作業員の5人には悪いけど、もともと暴走している電車が悪いのだから、ポイントを換えずにそのままにしておいても私はそんなに悪くないと自分に言い聞かせながら、じっと目をつぶる、そんな状況もありそうです。  自らの出世や経済的利益を優先して、結果的に他人(の命)をないがしろにするということは、突き詰めればこういうことなのですが(ワクチン検討部会のメンバーの先生方の顔がちょっと浮かんだ人もいたでしょうが)やや極端なこの例え話でうまく伝わりましたでしょうか。 ----------------------------------------------------------------------------------------- ●くまさんでる教授の巻頭言 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授/元NHK記者 隈本 邦彦  そもそも利益相反の概念は、法律の世界の言葉です。法律家の教育では「裁判で原告被告両方の代理人を務めることはできない」という原則を教えられます。民法等の条文でも禁じられています。あたりまえですね。 どんなに優秀な弁護士でも、原告と被告両方の代理人をしていれば、どちらかの為に頑張ればどちらかの方が損をする状態(利益が相反する状態)が必然的に生まれてしまうことが予想されます。  でもここでこんな反論が考えられます。 「いやいや私は正義を愛する高潔な弁護士なので、原告被告の両方から弁護士費用をもらっていても、どちらかに有利になるような働き方は決してしません」  しかし3ページのコラムの暴走電車の例を挙げるまでもなく、人間というのは弱いもので、どこか行動や判断に手心を加えてしまうことはあり得るでしょう。またどんなに真面目に誠実に弁護をしていても、裁判に負けてしまった方からすれば、あの弁護士はわざと負けたのではないかという不信感が生じるのも当然です。  だから原告被告のそれぞれに別の弁護士がついてこそフェアな裁判が期待できるし、それを世間の人が信頼できるというわけです。  これを医療の世界にあてはめると、次のようになります。  患者は医師の指示に従って薬を飲む。この時、その医師が特定の製薬会社から金をもらっていたり、その会社の役員に就任していたりすると、一番適切な薬を処方してほしいという患者の利益と、その医師の経済的な利益が相反する可能性があります。  さらにその医師が、薬の製造販売を承認するかどうかを決める国の審議会のメンバーであったらどうでしょうか。その薬のメーカーからいくらお金をもらっているのか、その会社の役員になっていないのか、それはとても重要なことになりますね。  あるいはそのメーカーと競合する別のメーカーから多額のお金をもらっている場合、審議結果が別の形で曲がってしまう可能性もあります。だからこそ薬の承認審査にかかわる委員は、メーカーとの利益相反をあらかじめ公開しておく必要があるわけです。 ◆金が動いたディオバン事件  薬は製造承認された後、実際の医療現場で、別の薬と効果や安全性を比較したり併用してみたりする「市販後臨床試験」というものが広く行われています。その結果「これまでの薬よりとても効果と安全性が高い」という結果が出ると、それは論文として学術雑誌に掲載され、それが世界中の医者たちの処方に影響を与えるのです。  自分で勉強するのか、製薬会社のセールスマンから情報をもらうのかは人それぞれですが、臨床試験で効果が確かめられた処方を選ぶことがとても大切であると教育されている現代の医師たちの多くは、こうした市販後臨床試験の結果にいつも注目しているのです。  ここで利益相反の問題がまた浮上してきます。 市販後臨床試験は実際の患者の協力を得てやる研究ですから医師の関与なしにはできません。ではその医師は製薬会社と特別な関係にないのか、製薬会社からお金をもらっていないのかはとても重要なポイントとなります。  どんなに誠実で高潔な医師でも、何千万円もお金をもらっていたり、自分の息子が役員に就任したりしている製薬会社の薬のことを悪く言いにくいでしょう。仮にそんなことがなくても、外からみれば「本当に公正な研究をしているのか」という疑惑が生じることは否めません。  市販後臨床試験にはかなりのお金がかかります。国や自治体が出す公的研究費は少なく、多くの医師たちは臨床試験をやりたいが、お金がないという状態なのです。一方、製薬会社は、市販後臨床試験の結果が良ければ、世界中で売り上げを伸ばすことができるわけですから、ぜひ試験をやってもらいたいと考えています。そのためなら多額のお金を出してもいいと考えているのです。  去年問題になった降圧剤ディオバンをめぐる一連の事件はこうした背景のもとに起こりました。  表向きは全国の五大学の医学部が参加した医師主導型臨床試験(医師が発案してデータも自ら管理する臨床試験)ということになっていました。しかし、実態としては製薬会社が試験の実施を医師にお願いして、しかも各大学の教室に総額十一億円を超える奨学寄付金を贈るという形で資金提供をして行われた臨床試験だったのです。結果は学術雑誌に論文として発表され、それを製薬会社が大々的に宣伝し、ディオバンが他の薬に比べていかにすばらしいかとアピールしていました。 臨床試験に関わった医者たちは、メーカー主催の座談会や講演会に頻繁に登場し、当然謝礼を受け取っていました。  ここまでだけなら、おそらく大きな問題にはならなかったでしょう。しかしデータがあまりに良すぎるなどの疑惑が寄せられ、厚生労働省にこの問題の検討委員会が設置されました。その報告書によると、実際には製薬会社の社員が一部のデータ解析に深く関与し、結果が自分の薬に有利になるように改ざんをしていた疑いがもたれています。その社員は自分の身分を隠して(大学の非常勤講師と名乗って)論文にも登場していました。 「この研究は自分たちの発案で自分たちのお金でしました。製薬会社から一切もらっていません」「臨床試験のデザインや論文作成にも製薬会社は関わっていません」と論文に書いて世間に表明していたことが、いずれも真実ではなかったのです。学者としての面目まるつぶれです。ふつうの大学教授たちは、こんな危険な橋は誰も渡らないでしょう、もしたくさんお金をもらっている等の利益相反がなければ…。 ◆臨床試験の結果も金次第?  ここであの立派な弁護士の反論が思い出されます。 「いやいや私は正義を愛する高潔な医師なので、仮に製薬会社から資金を出してもらっても結果を曲げるようなことはしません」  本当にそうでしょうか?  二〇〇三年に英国医師会雑誌に掲載された論文によると、資金源が明らかにされた三〇の臨床試験を分析したところ、製薬会社がスポンサーになっている研究は、そうでない独立機関の研究よりも、その薬にとって有利な結果が四・〇五倍でやすいことがわかったということです。  一九九四年に米国医師会雑誌に掲載された論文が暴いた実態はさらに深刻です。この研究では、消炎鎮痛剤の各メーカーがスポンサーになって、それぞれの薬と他社の薬の関節炎への効果を比較した五十六件の臨床試験を分析対象にしたのですが、なんと五十六件の臨床試験すべてで、自社の薬が他社の薬より「優れている」か「同等以上」という結果が出ていたのです。 (優れているが二八・六%、同等以上が七一・四%、劣っている〇%)  この結果を完全に信じるとすると、甲は乙よりも優れていて、乙は丙よりも優れているが、なぜか丙も甲や乙より優れているという、なんとも甲乙つけがたい状況になることになります。 悪い冗談のようです。  これは、もしかしたら利益相反によって臨床試験の結果が曲げられているのかもしれないし、単にいい結果が出なかった臨床試験がお蔵入りになって論文として発表されないだけなのかもしれません。製薬会社が多くの臨床試験の資金を提供しているということは、試験結果の公表をめぐっても強い影響力があるということなのです。  世界の医学界は、多数の公表論文をシステマティック・レビュー(多数の臨床試験を吟味して総合的に判断すること)して、診療ガイドラインや投薬ガイドラインなどを作っています。すなわち公表される論文が偏ってしまうと、それで世界の医療全体が偏ってしまう恐れがあるのです。  医療における利益相反の管理がなぜ重大な問題なのか、わかっていただけたでしょうか。