超高齢化社会に求められる、優しさを伝えるケア技術 「ユマニチュード」 その基本と日本への導入 本田美和子さん(総合内科医) 1.なぜ臨床医がケアについて語るのか  私は東京の住宅地にある総合病院で働く内科医です。この病院で初期研修医として2年間を過ごし、その後はさまざまな医療機関で働いて来ました。 仕事をするにあたって私がめざしていたのは、疾患をもつ方々に質の高い医療を提供して、そのお役に立つことでした。 特に高齢者の医療はたいへん興味深い分野に思え、米国で老年医学の勉強をする機会を得ることもできました。 老年医学では、「ひとりの患者さんに取り組むべき健康上の問題はひとつだけではなく、常に複合的で、目の前の問題を1つだけ解決しても、患者さんの健康を回復させることは困難である」ことを日々実感します。そんなことを考えていたときに、初期研修医のときの先輩から「総合内科の患者さんが大変なことになっていて、検査と薬だけではもう患者さんを治せない。何か別のアプローチを行わなければ、高齢社会の医療は破綻する。もしよかったら、新しい老年医学を一緒にやってみないか」と誘いを受けました。尊敬する先輩からのありがたいお言葉に、ぜひ、と思い赴任することにしました。  医療者は、「患者さんが病気を治したいと思って病院に来ている」ことを前提として仕事をしています。しかし、この前提は現在の医療の現場では必ずしも正しいとは限りません。認知機能の低下によって周囲のことがよく理解できないために、「自分が病気であることを知らない」「自分がどこにいるのかわからない」「自分の前に現れた人が誰なのか、何をする人なのかわからない」「自分が何をされているのかわからない」状態になっている高齢の患者さんが病院の中で増えています。このような状況のもとでは医療者が届けたいと願っている医療を、相手に届けることが困難です。具体的には、診察や検査、処置が本人の拒絶によって実施できなかったり、拒食や拒薬、点滴やカテーテルを自分で抜いてしまったり、といったことが日常的に起きています。  このような事態に陥った患者さんに対して私たちができることは限られています。すなわち、患者さんを身体的もしくは薬物的に抑制せざるを得なくなってしまっています。 そして、この抑制は本人の健康回復の妨げとなることが多く、入院するまでは自宅で歩いて過ごしていた方が、退院の時には自分で食事もとれず、歩くことも困難になり、そのため自宅に退院することができずに施設入所となる、という例も珍しくありません。  これは、私がそうありたいと思っていた「疾患をもつ方々に質の高い医療を提供して、そのお役に立つ」ことの実現とはほど遠い結果です。私たちが届けたいものを、うまく届ける方法は何かないだろうか、と私は考えるようになりました。 2.ユマニチュードというケア技法があるらしい。  職場を変えることにした私は、辞職の前に2週間の有給休暇をとりました。 3年ほど前に雑誌で読んだ、「高齢者ケアに有効」というケア技法を実際に見学することにしたからです。2週間、南フランスのいくつかの施設・病院を見学し、「ケア実施困難」な「困った患者さん」にこの技法を用いたケアを行うと、信じがたいほど穏やかに受け入れてもらえる現場を目の当たりにしました。 この知覚・感情・言語に基づく包括的ケア技法:ユマニチュードは、これからの日本にも絶対に必要であると強く思いました。 しかし、その一方でいわゆるマニュアルとして学ぶだけでは、この技法を身につけることはできないことも痛感しました。生理学・医学・心理学などの理論に基づいた具体的な技術からなる技法は、「ケアをする者とは何者か」という哲学的な命題を常にケアを行う者に問い続けるものでもあったからです。  ケアを受けている人に「優しさを届ける」ための具体的な方法があり、それは「名人芸」ではなく、誰もが理論に基づいて学ぶことができる技術であることを、私は新しい職場で同僚の看護師に話してみました。 彼女たちもまた、高齢者医療の直面する問題に悩み、その解決法を求めていました。 ほどなく、興味をもってくれる看護師の友人が何人か集まり、東京医療センターでユマニチュードの研修が始まりました。この技法を身につけた看護師が働く病棟では、明らかに患者さんの様子が変わってきました。患者さんだけでなく、看護師も変わってきたことにも多くの人が気づき始めました。これらの経験を通じて、伝達可能で再現性のあるこのケア技術は、欧州各国と同様に、日本でも有効であることを私は確信しました。 3.メディアによる紹介と学際的な研究の始まり  研修を始めて2年ほどたったある日、この技法に興味を持って下さった研究者、臨床家、メディアの方々とともに、特別養護老人ホームを訪ね、そこでケアの実践をする機会をもちました。そのときに来てくださった方のおひとりが、大熊由紀子先生です。そのときの様子をご紹介くださった、ゆきさまのコラムが最後のページにありますので、ご参照ください。  ゆきさまのコラムを皮切りに、テレビや新聞、雑誌でユマニチュードが紹介されることが増えました。いずれも、このケア技術の4つの基本要素:見る・話す・触れる・立位援助について詳しく紹介してくださいました。 しかしながら、この4要素はいずれも、従来看護・介護の分野では「基本中の基本」として教えられてきているものです。「これは、看護・介護の基礎として昔から教えてきました」、「新しいものは、何もない」、というような指摘もありました。これがすべての看護・介護職の教育の中で教えられてきたのであれば、それでは、なぜ、私たちは今日の困難に直面しているのでしょうか。  私たちは「見る」ときに、自分の業務の対象となる場所、例えば口の中や、点滴の管に視線を集中していないでしょうか。返事をしてくれない相手にケアを行うとき、たとえ最初の挨拶はしても、その後は無言で仕事をしていないでしょうか。相手が了承していることを前提に、いきなり腕を掴んで血圧を図ったりしていないでしょうか。 ユマニチュードの基本の4要素は、業務としての側面だけでなく、双方向のコミュニケーション手段としての側面を有しています。また、すべてのケアを1つのシークエンス(訪問から辞去までを5つのステップに分けて行う)として行うことを推奨しています。これらは無意識に行うことは困難で、学ばなければ実践することができない技術です。 4つの基本要素と1つのシークエンスを用いるケア技術を客観的に分析評価することが、「この技法の何が他と違うのか、なぜ有効なのか」の検証には必須です。そう考えていたとき、思いがけない研究分野の専門家から、興味を寄せていただくことになりました。現在、静岡大学情報学部の竹林洋一先生とケア要素の情報学的な分析を、日本大学工学部の酒谷薫先生と脳科学に関する測定・分析を共同研究として行っています。また、東京大学大学院総合文化研究科では科学哲学の分野で私たちが講義をする機会を設けて下さいました。さらに、厚生労働省の科学研究費による在宅介護を行う家族へのユマニチュード教育研究も現在進行中です。 また、研究と並行して、ケアに困難を感じている医療・介護専門職を対象とした、ユマニチュード研修事業も2015年の1月から本格的に始めることができました。  2011年の秋に初めてフランスに見学に行ってから3年半、数々の幸運に恵まれ、「患者さんの役に立つ」医療・介護を提供するための手段が日本に広がりつつあることを、心からうれしく思い、感謝しています。