第2部・3部 地域包括〜ニセモノ・ホンモノ〜混沌篇・創造篇 世紀の大事件としての地域包括ケアにようこそ コーディネーター 猪飼周平さん(一橋大学教授) 1.混沌から創造へ    2015年のえにしの会の第2部・第3部は「地域包括ケア」がテーマです。地域包括ケアは、現在厚生労働省が本格的に政策推進していますので、昨年ごろから、保健・医療・福祉関係のさまざまな媒体でも特集が組まれたりして、皆さんもこの言葉を見聞きする機会が増えてきているのではないかと思います。  一方で、「地域包括ケア」は、市民目線からみると依然として縁遠い存在であるように感じられているように思います。特に地域包括ケア「システム」などといわれると、「『システム』が私に何の用?」という気持ちになるかもしれません。このあたりの事情は、行政関係者にとっても似たり寄ったりのところがあるでしょう。植木鉢のポンチ絵などを見せられても、たしかにいろいろなものが寄せ集められているということは分かるにしても、その絵が何を意味しているのか、またその絵が行政やその他の関係者が何をすることを求めているのかを読み取ることは難しいかもしれません。  今年のえにしの会は、時間配分からいっても第3部「創造編」が「本番」です。おそらく現在地域包括ケアにかかわる活動として、すでに皆さんもよくご存じの人びとが、活動の中ではぐくんだアイデアを惜しげなく、シャワーのごとく提案し、フロアと存分に議論するという手筈になっています。 ただ、そのような「創造編」が真に創造的であるためにも、まず地域包括ケアのわかりにくさ、混乱を整理して、頭をすっきりさせておく必要があるように思います。そこで、本年は短い第2部「混沌編」を設けました。 2. 地域包括ケアの目的について    実はコーディネーターとして私には1つ心配ごとがあります。それは、「混沌編」によって話が混沌としてしまうかもしれないということです。そうしますと、混沌から創造へという今年の基本コンセプトが崩れてしまいます。そこで、ここで1点だけ地域包括ケアについて考えるべき焦点について交通整理させていただきたいと思います。  従来、地域包括ケアについては、「患者を一日も早く退院させたい病院関係者」と「財政の窮迫に悩む行政関係者」「よりよりケアを実現したい実践家」「安心して生活を送りたい生活者」の間では、その意味が非常に異なってきました。それはそれぞれの人びとにはそれぞれ異なる目的や課題があるためです。 それぞれの立場から、地域包括ケアが手段としてどのように利用できるか、と考えるから、人によってその意味が異なり、結果として地域包括ケアの全体像がさまざまな利害の引っ張り合いの中でぼやけてしまうのです。以下で述べますように、地域包括ケアとは、ケアの世紀的な転換という大事件が進行する中で生まれてきているもので、上に挙げたようなそれぞれの人の部分利益によって評価するような性質のものではないと思います。  つまり、私たちが地域包括ケアについてまず考えるべきは、「手段」としてどのように使えるかではなく、その「目的」がなにか、ということです。いいかえれば、私たちが、地域包括ケアを何のための手段として利用するかは、地域包括ケアが元来もつ目的に照らして判断する必要があるということです。 3.それでも地域包括ケアは大事件    私のような歴史的な時間の中でケアをみるという習慣をもっている者からみますと、ケアが地域包括ケア化するということは、歴史的な大事件のように思われます。  ここで、地域包括ケアへの変化を、ひとまずざっくりと、ケアの舞台の中心が施設から地域社会へと移って行くことと(地域化)、保健医療福祉などに拡がるケア的なものが統合される方向に進むこと(包括化)、と理解しておきましょう。実は、これだけでも従来のケアのあり方に大きな変化を起こすものであるということは分かるのではないでしょうか。  まず地域化についてみてみましょう。実のところ過去1世紀の間進行していた事態というのは、地域化とは反対の方向でした。たとえば、往診を考えてみましょう。20世紀に入るまで診療は、患者の自宅に医師が出向くのが当たり前でした。それはそうです。医師が病人を訪ねるよりも病人が医師を訪ねる方が大変なのですから。  実は、20世紀を通じて進んだことは、この「当たり前」を反転させることでした。つまり、医療施設は「高度」な設備を有しより「安全」な場所として発展してゆき、その結果、患者の方も、病気をより安全確実に治してくれるのなら、少々大変でも自分の方から医療施設の方に出向こう、ということになっていったのです。20世紀後半に顕著に進んだ往診の衰退、出産や死の施設化などはこの文脈で進行しました。  とするなら、地域包括ケアに含まれる地域化という変化は、およそ1世紀にわたって進んできたケアの施設化の流れを逆回転させるものということになります。これは世紀の大事件という他ないでしょう。  包括化も同様です。たとえば「包括化」を保健、医療、福祉の統合と考えますと、過去1世紀を通じて、保健と医療と福祉はそれぞれ異なる専門的分野として発達する方向にありました。これが、地域包括ケアにおいては、地域を舞台として、保健と医療と福祉が入り乱れることになります。つまり、包括化という観点からみても、地域包括ケア化は、世紀の大事件なのです。  このように地域包括ケア化とは、歴史的時間の中で起きつつある二重の大事件なのです。 とすると、おそらく最大の謎はなぜそんなケアの大転換が今必要なのか、ということになるように思います。私は、この問いを考えることで、地域包括ケアの目的を理解することができるのではないかと思っています。 4.第2部の論点について    本年のえにしの会に先だって、本年の登壇者やえにしの会の会員の方からご意見や情報提供を頂いて、第2部の論点について考え、次の4枚のスライドにまとめました。  論点を尽くすよりも、フロアの皆さんの直観に働きかけることを目指しましたが、いろいろ至らぬところもあるかもしれません。そこは皆さんとのやり取りの中で補って行きたいと存じますので、是非フロアからの積極的なご発言をお願い申し上げます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1. 地域包括ケアのよくわからなさってなんだろう? ◆そもそも言葉が業界用語っぽすぎてよく分からない。 ◆地域に住む人びとが「社会関係資本」になるとかいわれるけれど、住民が資本になっちゃうといわれてもよくわからない。 ◆これまでのケアの何がいけなくて、何をどう変えなければいけないのかよくわからない。 ◆超高齢社会を乗り切るにはこれしかないって言われることがあるけれど、地域包括ケア化すれば何が乗り切れるのかよく分からない。 2. 地域包括ケアはなぜ高齢者のことばかり言うの? ◆子ども、社会的に取り残されている人たち、普通の生活を送っているようにみえるけれど、実は人生に苦しさを感じている人たちもいる。こういう人たちは「包括」されるの?「包括」されないとすればなぜ? ◆高齢社会を乗り切るためにはこれしかないっていうけれど、地域包括ケアは安上がりなケアじゃないかもしれない。とすれば、地域包括ケアにどんないいことがあるんだろう? 3. ケアの場が地域であるべきなのはなぜ? ◆専門家や行政にできなくて地域社会にしかできないことって何だろう? ◆最近の議論では住まいが基本ということになっているけれど、これはなぜ? ◆「多職種連携」とか「地域連携」とか言われるけれど大変そう。なぜやたらたくさんの人で連携しなきゃいけないの? ◆施設ケアはやらなくていいってこと? ◆地域ごとに違う地域包括ケアができてもいい、とかいわれても困ってしまう。 4. 地域包括ケアの目的とは? ◆高齢社会を財政的に乗り切ること? ◆高齢社会に必要なマンパワーを調達すること? ◆私たちが心配なく笑って暮らせること? ◆人が人を支える文化を創ること?