だれも、のけ者にしない、排除しない/「人生」番外地に追いやらないために。 コーディネーター 生井久美子さん (朝日新聞 しんぶんきしゃ) この場に来られなかった人たちの声を伝えたい、と願って壇上にいます。 1.経営のための入院とは……認知症ケアの達人の話から: ■お昼に出されたカツ丼を前にしたら、気持ちが悪くなったんです。吐き気がして。一口、二口食べて,それ以上はどうしても食べられなかった。何だろう、この吐き気は…。  良心的といわれている精神病院の閉鎖病棟を見学した後のことでした。  職員は命令口調でまるで軍隊のよう。ほとんどが認知症のお年寄りで、昼なのに、なぜかみんな、パジャマ姿。  「便秘でここにきたはずなのに、ここに閉じ込められてね。何のためにいるのかわからない。お風呂はイモ洗いみたいで。お風呂からあがると、着がえを裏返しのまま投げつけられて、『ひどいじゃないの』というと、職員に『へえー、あんたにそんなことわかるの』っていわれて、もう、くやしくてねえ」。ベージュのパジャマを着た女性が嘆いた。  数十人がテレビの前の長いソファーに座って、テレビ画面にむかっている。その後ろに職員2人が、足を組んでだらしなくすわり、お年寄りとは関係ない、世間話をしている。  「僕が見た限り、ほとんどは地域で暮らせる人ばっかり」。その町には空き家も多いから、「地域で十分、暮らせるのに…」と院長先生に言うと、「そうしたら経営が成り立たないですよ」。お年寄りのためではなく、「経営のための」入院、医療だと認めている。いなくていい人が精神病院にいたのでした。 2.「もう耐えられない」……アルバイト医の話から: ■500床の精神病院(全部が閉鎖病棟)に、1年ほど前からアルバイトで週に1度行っていたけれど、つい最近、耐えられなくなってやめました。勤務といっても特にすることはない。回診といても30分で終わる。1日8万円の収入は魅力だけれど、限界でした。この病院で、カルテにサインをするのは、入院を容認することになる。いいケアや支援があれば地域で暮らせると知ってから、ずいぶん苦しみました。  何十年と入院している人がたくさんいました。40代から6,70代の人が多い。地域とは全く関係ない。そこまで長く入院していると、もう、帰れないし、本人も、「もう帰りたくない」と思っている。まったく入院治療の必要がない人たちを、何十年も…。病院の「既得権益」のようになっている。  ふつうなら「逮捕監禁罪」。それが、精神科医療なら許される。日本の社会の闇が精神病院にありました。本当に必要な入院は、もっと少ないはずです。 3.京都の軌跡:「認知症を生きる人たちから見た地域包括ケア」    東京で、桜が一気に咲き始めた3月末、お茶の水女子大学で開かれた「市民のための福祉勉強会」の会場は、京都の取り組みを知ろうと駆け付けた人たちでいっぱいだった。  ■京都府は、山田啓二知事が「京都式地域包括ケア」構想を打ち出す、と宣言。2011年6月、京都地域包括ケア推進機構が京都府医師会館にでき、スタートした。予算も3年間で約150億円。京都では「地域包括ケア」を、「認知症を生きる人たちから見た地域包括ケア」と考え、現場の医療・介護関係者に呼びかけたところ、認知症に関わる人たちが一堂に会する集まりをもつことになった。  出発点は「地域から排除される認知症の人たちが存在する」ことを直視することだった!  排除された認知症の人の行き先、どんな運命をたどったかを明らかにし、排除された人を「地域包括ケアに再包摂する道筋」を描く。  何もかも失った後で医療やケアと出会うのは不幸だ。「出会いのポイントを前に倒す」具体策を考え、独居、孤立、支援の拒否など条件の悪い人と出会う技術や方法もみんなで考えた。 ■2012年2月、同志社大学で開かれた第1回のつどいに、1000人を超える人が集まり、2012京都文書を採択した。「認知症の疾病観を変えることから始める」から始まり、終章は「大変な人がいるのではなく大変な時期があるだけ。認知症を生きる人たちから見た地域包括ケア、それは認知症の人を地域から排除しないケアのことでもある」、と締めくくった。 ■2013年2月、第2回のつどいで、「認知症本人の声を評価の指標」にすることが決まった。 認知症の「私」を主語に、2018年3月の社会を描く、それを共有の理念(たどりつきたい地平)とする。 「〜かなえられた私の思い 5年後の12の指標〜」 1. 認知症を持つ私の個性と人権に十分な配慮がなされている 2. 私のできることは奪わず、できないことを支えてくれるので、バカにされ傷つき不安になることはない 3. 私が言葉で十分説明できないことがあることも理解されている 4. 趣味やレクレーションなど人生を楽しみたい私の思いが大切にされている 5. 社会(コミュ二ティー)の一員として社会参加が可能であり、私の能力の範囲で社会に貢献している。 6. 若年性認知症の私に合ったサービスがある 7. 私の身近なところにどんなことでも相談できる人と、つねに安心して居られる場所がある。 8. 私はまだ軽いうちに認知症を理解し、将来について決断することが出来た 9. 認知症を持つ私に最初から終いまでの切れ目のない医療と介護が用意されて、体調を壊したときも、その都度すぐに治療を受けることができる 10.私は、特別具合の悪くなった一時(いっとき)を除いて、精神科病院への入院に頼らない穏やかで柔らかな医療と介護を受けて暮らしている 11.心と脳の働きを鈍らせる強い薬を使わないでほしい、認知症を治す薬を開発しほしいという私の願いにそった医療と研究が行われている 12.認知症を持つ私を支えてくれている家族の生活と人生にも十分な配慮がなされている 平成30年までに、認知症の人は以上のことが言えなければならない 「12の指標」は2013年2月の第2回のつどいで、拍手で採択されたが、10,11はその後、関係団体などから「集中砲火をあびて」最終的には削除された。 「本人評価の10のアイメッセージを何とか残したかったので」。 辛い選択だった。そして生き残ったのが「10のアイメッセージ」だ。 http://www.kyoto-ninchisho.org/?page_id=1429 ■2015年2月の第3回つどいで、10のアイメッセージ本人評価(本人によりわかりやすく取り出した22項目、87人が参加)による中間評価を発表し、「本人評価の文化の確立に向けて」を採択した。 http://www.kyoto-houkatucare.org/ ??  認知症の年齢別の有病率(グラフ)をみると、80代後半は41、4%。ほぼ半数だ。夫婦そろってこの年代を迎えると、どちらかは認知症という数字だ。平均寿命まで生きるということは「認知症に向かって生きている」「認知症への旅」ともいえる。 ★最後に→「排除する社会は、貧しく、もろい」★ ■東京大学教授の福島智さんに教わったことばを、お伝えしたい。福島さんは目が見えず、耳も聞こえない障害がある、世界で初めての「全盲ろう」の大学教授だ。  2005年4月19日、「障害者福祉 改革の岐路/自立支援法案の課題」として、朝日新聞オピニオン面に掲載したインタビューの一部です。  ちょうど10年前のことですが、今にぴったりです。  福島さんは、私の「障害者福祉の問題は、なかなか関心が高まりません」との問いに、こう語りました。  「障害者は国内に少なくとも600万人。20人に1人は障害があることになります。20年余り前、国連は国際障害者年行動計画に『一部の構成員を排除する社会は貧しく、もろい』と明記しました。日本は『貧しい』。弱い者に必要な支援をしない現状は、バラバラになっていく社会の始まりです」  「その意味で、障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示す『ショーウインドウ』なんです。皆いずれ年をとるし、難病や障害をもつかもしれない。すべての人が自分の選んだ地域で、つつましくても、心豊かな人生がおくれるような社会。こうした方向に進まないと、日本に未来はない、と私は思います」  その通り、子どもが生まれなくなり、日本は今、「もろさ」をあらわにしていると思う。多くの人が生きづらさや、いきづまりを感じる今だからこそ、社会を根っこから変える、変革のチャンスにできないだろうか。 このシンポジウムを、高齢者だけではなく、子どもたちも、障害のある人も、難病の人も、だれもが生まれてきてよかったと思える社会になるように、「排除しない文化」を生み出すことに生かしたい。  「人生」番外地に追いやらないために。そして、いったん排除され、長期入院や入所をしいられてきた人も戻ってこられる、だれもが迎え入れられる街になるために。  WHOは障害をもって暮らす人を、人口の15%といい、米国、EUは20%だという。  日本の人口は世界の2%足らずだけれど、精神科のベッドは世界の約20%を占める。日本全体の入院ベッドの20%は精神病床だ。そして、知的障害者でいったん入所施設に入った後、また街に出て暮らせる人はわずか1%。こんな国はほかにはない。この数字を忘れないでほしい。  この根っこを変えないで、ホンモノの地域包括ケアなんて、実現するのだろうか。