地域を繋ぎ“住み慣れた家での生活”をつくる 猿渡進平さん(大牟田市白川病院MSW)    「今日ね。息子がやっとお見舞いに来てくれたの。そしたらね。『おふくろ。明日から、施設で生活してくれ』だって。あんなに可愛かったのに。息子から施設に行けと言われたの。私はただ生かされるだけ」 これは、ある女性が私に話した言葉である。女性の頬を、涙がつたった。この体験が、私の原点である。  私は、2002年入職後、療養型病院の医療ソーシャルワーカーとして退院支援を行ってきたが、家族や介護保険サービス事業所は長期療養を望み、多くの患者が希望している在宅退院には介護保険サービスのみでは結びつかないのが現状だった。その為に、長期入院、施設への入所を検討せざるを得ない状況が続いていた。   そのような状況の中、退院支援においても自分力、家族力、行政力以外に「地域の見守り力」が加われば、一人でも多くの高齢者が自宅に帰ることができるのではないかと考えた。そこで、地域の民生委員や地域住民に支援協力を試みることとした。なお、大牟田市内の代表的な地縁組織である公民館組織率は35%と非常に低く、地域の連帯感は脆弱しており、地域の中での支援は殆ど期待できない状況であった。民生委員に見守りの依頼をしたことがあったが、民生委員も日頃の活動に困憊しており、積極的な協力は得られなかった。そこで別の方策を考えることとした。  2007年に「認知症の人を地域で見守る為の徘徊模擬訓練」を白川病院が所在する白川小学校区で、私たちが事務局となり実施したが、参加者は校区人口7500人中わずか9人であり、認知症に対する地域の理解度の低さが露呈した。   校区住民からは「認知症の人を地域で見るのは難しい」「施設に入所するべき」というような意見が聞かれ、退院後の患者の生活に地域住民から協力を得ることの難しさを実感した。   そこで私たちは、訓練で関係を築いた地縁組織や地域包括支援センターなどの行政機関と継続的に「白川校区でいつまでも住み続けていく」ためにはどうすればよいかをテーマに議論を深めていった。当初は各地縁組織それぞれが、各々の事業を組織内のみで行っていたが、議論を重ねるなかで目的や事業を共有することの必要性を見出し、団体の連合体として「白川ふれあいの会」を結成した。そして子どもから高齢者までが住みやすい町を形成するための議論を始めた。  徐々に地域の中での協力者が増えていき、地域の中での要援護者支援システムやサロンを作り、地域の顔の見える関係づくりなど、地域内の関係性を醸成するためのシステムを作ろうということになった。しかし、ボランティア団体では、立ち上げ資金等もないし、社会的信用度も低い。そこで活動の中心となっていた地域関係者と共に白川病院を事務所としてNPO法人の立ち上げを検討し、2009年11月に「NPO法人しらかわの会」を設立した。2014年10月現在、会員数は149人である。   NPO法人しらかわの会の活動  高齢者や障害者の世帯を対象に戸別訪問を実施し家事支援及び生活相談に応じ自宅で安心して生活できるように支援する。また安心して住める町づくりを目指すために、環境整備や安全確保を重点に地域の活性化に寄与する。と掲げ、子供からお年寄り、また地域の防犯、環境問題も積極的に取り組んでいる。 地域住民の変化からの事例  平成19年より開催している徘徊模擬訓練も3年目以降は200人程度の参加があり、地域内での一層の啓発を促すためにNPO法人しらかわの会員を中心としたボランティア50人が住民を個別訪問し、認知症の高齢者への対応を模擬的に行っている。そ のような試みを続けてきて、地域住民がサロンを通じお互いが顔見知りになり、認知症の徘徊者を無事に家族の元に送り届けるような体制も構築できるようになった。 写真は、徘徊する認知症高齢者を見守ろうと40人程度の住民が集まり当院の小規模多機能型居宅介護サービス事業所で支援の検討をしている写真である。「高齢者を地域の中で見守ろう」ということが趣旨であり、地域住民から、我々が知らない情報を知ることも多数ある。徘徊は本人にとっては目的があるが、その方の人生の中から見出せることも多くある。例えば、朝は昔働いていた近所の商店街へ行き、夕方は数十年前に息子が行っていた小学校に迎えに行くといったことである。私たちのみではこのような情報を得ることはできないが、地域住民からきくことができ、本人に呼びかけ、地域内で見守り続けることができるようになり、その本人の想いが人を繋げるのだ。  本人は去年の秋に亡くなったが葬儀の際に地域住民からは「介護のサービスと地域の人たちの身守りがあれば認知症になって徘徊しても住み続けることが出来る」との意見も多く聞かれた。地域住民と病院が1つの方向性を見出し最後まで支え続けた事例である。  これは、地域内に暮らす知的障害者の女性と徘徊する高齢者のルームシェアを行い暮らしている写真であ る。2名とも親族に虐待を受けており、崩壊寸前の借家で生活をしていた。自宅での生活を断念しようとも考えたが、地域には空き家が多数存在する。その資源を有効活用し退院支援を行った事例である。  リビングには地域のサロンを立ち上げて見守りを行った。本人達を孤立させない。この取り組みで地域住民との協働で在宅退院が可能となった。  本人たちは「一人暮らしには不安があり、一人は寂しい。でも、施設には入りたくない」と言っていた我が家により近い第2の住まいだと思う。 三方よしの取り組み  住民と行政と事業所が「住み続けたい、住み続けられる地域」について本音で何度も話し合い、合意形成を果たし取り組んでいくことが必要である。  退院支援に携わり、一人の生命の重みを考えた際に「今まで生きてきたのに、最期は自分の生き方が選択できず、それが許されないのか」と問われ、高齢者が、自分が望む地域や自宅で生活することができないのかと思った。2007年から地域住民等と協働し「誰もが安心して住める地域にしよう」と取り組んできた。まだまだ到達できていない部分も多くある。しかしながら活動の成果により、自宅退院者は3倍程度に増え、地域の人の支えがあってからこそ、自宅で暮らし続けることができる高齢者もいる。  「施設へ退院しましょう」と言うのは簡単であり、私たちが「家へ戻るのは難しい」と言えば、施設へ退院となるだろう。しかし、私たちの専門性は、生活者としての患者の声を代弁することだと思う。高齢者が残された人生をできる限り、自分らしく過ごせるようにする。  住み慣れた地域で、時間に縛られた介護ではなく自分のペースで、その人らしい時の刻みに合わせて暮らしていくために年老いていけたらと思う。家族、専門職、地域などが、みんなで少しずつ関りを担い、責任の分担と本人の想いを共有すれば、良いのではなかろうか。それをそっと支える私達。  誰が誰を責めるということをなくし「多様の縁で生きる」。これこそが人間としての尊厳を保てる地域のあり方だと考える。患者も「よし」、病院も「よし」、地域住民も「よし」なのである。