施設を解体し、地域に展開して、地域包括ケアを実現したこぶし園の小山剛さんの 戦略と遺言  東日本大震災の被災者支援に走りまわっていた小山剛さんは、避難所風景をスクリーンに映し出して言いました。 「ここで暮らしている方たちにはプライバシーがありません。見知らぬ人と共同生活しなければなりません。ここに来たかったわけではありません。最大の関心事は、『いつ、帰れるか』です」  そして、次の言葉で、この運命が、日本の誰にでも、被災地でなくても、起こりうる、ということを参加している人々に強く、印象づけました。  「夜、ヘルパーさんがいない、包括的なケアのないまちに住む皆さんは介護被災という災害の被害者です。生活保護よりはるかに水準の低い、トイレもバスもない特養ホームや病院に心ならずも集められます。自然災害と違うのは、帰れる見込みがないことです」  2011年4月23日に開かれた〈福祉と医療・現場と政策の「新たなえにし」を結ぶ会〉のシンポジウムでのことでした。  小山さんは新潟県長岡市にある高齢者総合ケアセンターこぶし園の総合施設長。 嘆き、批判するだけでなく、“避難所ケア”から脱出する筋道をつくりあげました。  内閣府に特区申請し、園長をつとめる山の上の特養ホームを5つに分散する計画に着手しました。入居している人たちを元々住んでいた地域に戻すだけでなく、地域のケアの拠点にするという計画です。  長岡市を大学院生と一緒に訪ねました。  まちの中に「小さな特養」があると想像していた私たちのイメージは、心地よく裏切られました。 例えば、ケアの複合拠点「摂田屋」。ごく普通の家のたたずまいで、通り過ぎてしまうところでした。  親しい人がいつでも訪ねられるように、それぞれの部屋に玄関がありました。  バーカウンターやキッズコーナーが設けられ、「まちの茶の間」といった風情です。  自転車に乗った子どもたちが続々と集まってきていました。七夕飾りをお年寄りと一緒につくるためでした。  山の上の特養も訪ねました。入居者が街に戻ったため、雑居部屋だった施設は空き室だらけ。救援物資の置き場になっていました。 ◆◇◆  話は、1989年に遡ります。私は、デンマークの高齢者福祉を世界一にした元社会大臣のアンデルセン教授を招いて当時の厚生大臣に引き合わせました。  助言は3つありました。きめ細かく、ひとりひとりにあわせて包み込む「包括ケア」、入院中から始める「継続的なサポート」、そして、施設という概念を無くし、思い出いっぱいの「自宅」にしてしまう。  「すると、老人は社会の一員として輝き、社会全体の費用は少なくなります。デンマークでの経験です」と教授は話しました。  夢を語ることは誰でもできます。  けれど、夢をかたちにできる人はめったにいません。  官僚や政治家を説得して、思想を、制度にしてしまう人はさらにまれです。  そのために、小山さんは、一度聞いたら忘れられない、心に突き刺さる表現を次々と編み出しました。  「特別養護老人ホーム解体」「精神病院に拉致する」「在宅ケアも、回転寿司のような出来高払いから、飲み放題食べ放題の施設同様の定額払いに」「介護つき住宅から、介護つき地域社会へ」。 冒頭の避難所のたとえも、その1つでした。  2014年、山の上の特養はすべて解体されて、お年寄りは、思い出のまちに戻りました。  20年余前には夢物語に思えた3つの助言が、長岡で現実のものになったのでした。しかも、日本独特の文化をまとって。。。  その小山さんを病魔が襲いました。  余りの痩せようと顔色にまわりの人が心配し、2015年2月17日、しぶしぶ病院へ。その場で余命1〜2カ月と知らされました。病名はすい臓がん、それも、あちこちの臓器に転移して末期症状。この日は剛さんの誕生日でした。  以下は、4日ご、2月21日発のメールの抜粋です。 お聞きおよびのとおり、まさか〜の状態になっております。 不摂生とか働き過ぎとか言われるのですが、 これは見つかった時に手遅れがわかるという予測不能な疾病らしいです。 幸いにも性格が後ろを向かないタイプですからなんとかなっています。 小規模の創設、楽しかったですね〜、 毎日がドキドキワクワクの楽しいチャレンジの連続でしたし、 本当に素晴らしい仲間たちとの出会いに感謝・感謝です。 「みんなでいい事を言いながら赤字に苦しむ会」 なんて、そうそうありませんよ。 でも、つよがりとやせ我慢のおかげで、こんなに広がりましたし、 これからも、地域包括ケアの中心になる素晴らしい事業だと思います。 私はもう活動できませんが、 その分皆さんが活躍していただけるものと期待しています。 みなさんの優しい気持ちを大切にその日が来るまで前向きに生きていきます。 素晴らしい仲間たちの事は忘れません。本当にありがとうございました。  「その日」は3月13日に訪れました。午後2時47分、自宅での旅立ち。まだ、60歳でした。  最後に小山剛さんの笑顔を(^_-)-☆  福祉と医療・現場と政策の「新たなえにし」を結ぶ会でプレゼン中の小山さんと、 恒例の「えにし結びたい・む」での小山さんです。