カリフォルニア州政府のリハビリテーション局長が1981年、空港に降り立った時、出迎えた人たちは肝をつぶした。
手も足も動かない。病院で一生を終えるしかない重症患者のように見えたからだ。ポリオの後遺症で呼吸も自力では出来ない。夜眠る時は、「鉄の肺」に入らねばならない。
本当に、この人物が、230億円の予算の責任をもち、2500人の部下を指揮している州政府の局長なのだろうか。
だが、講演が始まると、疑いは消え、感動が広がった。
カリエスがもとで障害のある樋口恵子さんはいう。
「当時の私は、人生の損なくじを引いてしまった、と思いこんでいました。講演で、人生が変わりました」
たとえば、彼は、言った。
「慈善から自立へ! 寿命がのび、だれもが障害者になる可能性をもつようになった。障害は人間全体の将来の問題です」
「人間は、障害をもつことによって、かえって強い精神力をもつことができる。他人を援助できるようになる」
温かい笑顔を振りまきながら彼は道をつけていった。
介助者つきで大学、大学院と進み、学位をとり、大学で6年間、政治学を教えた。結婚し、父親になった。
62年、自立生活センターを始めた。これは、施設生活から抜け出し介助を受けながら地域で暮らすための拠点である。
そのエド・ロバーツさんが先週、バークリーの自宅で亡くなった。56歳。ニューヨーク・タイムズは三段抜きの記事でその死を悼み、こう書いた。
「彼は、アメリカ人の障害者観を一変させた」。
アメリカ人だけではない。日本にも続々と自立生活センターが誕生している。内気だった樋口さんは、今、市民から頼りにされる町田市議である。
〈雪〉