公的介護保険に必要な視点(朝日新聞社説)
1995年7月9日 朝刊

 親がいればその介護が心配だ。いなくても、自分が介護を受けなければならなくなる日の不安がある。介護は、だれにもふりかかる身近な問題になってきた。
 国として、この問題にどう取り組めばいいか、を検討している老人保健福祉審議会(厚相の諮問機関)の議論が大詰めだ。今月出される中間報告は、今後の介護政策を大きく方向づけるものとなる。そこで、最低限のことを注文しておきたい。
 第1は、介護サービスの公的保障の水準を値切らないことだ。
 その水準は、妻に先立たれた一人暮らしの夫、夫を見送った妻、あるいは独身を通した人が、介護が必要な身になった時、自宅を根拠地に生き生きと生活を続けられるものであるべきだ、と私たちは考える。
 公的サービスの水準を低く抑え、民間介護保険が活躍しやすいようにとりはからうというようなことがあってはならない。それでは、国民の支持は得られない。
 厚生省の高齢者介護・自立支援システム研究会も、昨年暮れの報告書で「二十四時間対応を基本とした在宅サービスの整備」を提言している。二十四時間対応は、「二十四時間つきっきり」ではない。たとえば朝や夜の着替え、入浴、トイレなど、介護が必要な節目、節目に巡回する方式だ。
 日本国内でもすでに実践が始まっている。老人病院や特別養護老人ホームで介護するより安い費用でできるという報告もある。
 第2に、費用負担については、選択肢を示し、それぞれの方式の利点や欠点、欠点克服の方法、費用計算の結果を示して国民に判断を求めてほしい。「公的介護保険方式がよい」という結論を引き出すため、利点のみを述べたてるというやり方では、説得力がかえって薄れる。
 費用は、社会保険や租税の負担を示すだけでなく、公的負担を増やすことによって、本人や家族の金銭的、精神的、肉体的負担がどう減少するかも、あわせて明らかにしてほしい。それが、先日の社会保障制度審議会の勧告にこたえることにもなる。
 第3に、システム全体として、費用の無駄が減り、介護の質が上がるような仕組みの提言を期待したい。
 たとえば、本人の意向を無視して病院に送り込んだり、家族に介護を押しつけたりしない自治体、在宅福祉サービスの充実に熱心な自治体が報われるような仕組みだ。こうした方法で医療と介護の総費用を減らすことに成功した国も、現に存在する。
 在宅福祉サービスの代わりに手当を出して家族に介護をさせる方式は、一見、安くあがるようにみえる。
 だが長い目でみれば家族を疲れさせ、入院患者を増やし、医療と介護をあわせた総費用をふくらませることになる可能性が大きい。
 制度の対象を65歳以上に限らず、介助を必要とする若い障害者に広げることも質の向上につながるかもしれない。日本のいまの高齢者は、不当に低いサービスにもがまんしてしまう傾向があるからだ。

 最後に求めたいのは審議会の公開だ。
 この審議会は、会議の配布資料や議事録を公開するなど、他の審議会に比べ透明度を高める努力の跡がうかがわれる。これをさらに一歩進め、同じ厚生省の遺伝子治療臨床研究中央評価会議のように、会議そのものを公開してはどうか。
 そうすれば、出身母体のエゴイズムむきだしのような発言はしにくくなり、文字通り「利用者本位」の議論ができるだろう。租税や社会保険料を支払う国民の支持を得るための、それが王道だと思う。