物語・介護保険下巻の紹介
浅野史郎さん(慶応義塾大学教授・元宮城県知事)

「物語介護保険――いのちの尊厳のための70のドラマ」(岩波書店)の下巻が届いたので、一気に読んだ。厚生省での先輩後輩をはじめ、ごく親しい人たちがたくさん登場してくるので、ことさら興味深い。

改めて思うのは、この時代に介護保険制度を導入したことは、奇跡に近い快挙だということである。関わった人たち、一人ひとりは、知的能力だけでなく、身体的、精神的にも極めて優れた資質を持ち合わせていた。さらに、理想を実現しようという情熱、現場に出向いて答を探す行動力が際立っている。そして、介護保険の実現という一つの目的に向かって、役所の壁を突き抜け、職域を越えての見事なまでのチームワークが形成された。同じ志も持つ人たちの人的ネットワークの存在が、実現にあたっての大きな力になっていたことを、この「物語」を読んで、改めて確認することができた。

私の名前も、ちょこちょこと出てくるが、私は介護保険制度の準備の時期には、厚生省を離れていたので、波乱万丈の歴史に直接関わることがなかった。それが、少しばかり残念ではある。直接関わって尽力した人たちにとっては、当時はきつい仕事ではあったとしても、まことに貴重な経験であっただろう。それをうらやむ気持ちもないではないが、それ以上に、彼らのことを誇りに思う気持ちのほうが強い。

著者の大熊由紀子さんは、この物語の語り部だけではなく、実際にこの壮大なプロジェクトで重要な役割を果たした人である。彼女が主宰する「えにしの会」は志を同じくする人たちを結びつけるネットワークである。「まさに縁(えにし)の下の力持ちですね」と由紀子さんに言ったことがあるが、ものすごい力持ちである。そのネットワークに属する人たちが、介護保険制度実現においても、大きな働きを示した。

霞ヶ関の官僚にいい印象を持っていない人も、この本に登場する官僚のことを知れば、評価を変えるはずである。カリスマ自治体職員の存在も、このプロジェクトの推進の過程で注目されることになった。新しいタイプの市民運動も、ここから芽生えたとも言える。介護保険制度ができたことだけではない。今後に引き継がれるたくさんの財産を残したのだと、「物語」を読みながら、納得した。

浅野史郎のジョギング日記2010.8.13(金)より