写真や図もふんだんに取り入れ、筆致は至って軽妙
梶本章さん(早稲田大学客員教授)

介護保険が始まって10年。世界最速の高齢化が進む中、2012年に向け制度の見直しも始まった。本書はちょうどそんな時期、介護保険はどうしてできたのか、もう一度振り返ってみるための好著となる。

日本で5番目の社会保険である介護保険の制度化には多くの人たちが関わった。政治家、首長、官僚、医者、介護者、学者、記者、そして親の介護にあたる家族たち。論議は賛否入り乱れ、山あり谷ありでこぎ着けた。

著者の大熊由紀子さんは朝日新聞論説委員として17年。北欧と日本の先進的実践をを取材、『「寝たきり老人」のいる国いない国―真の豊かさへの挑戦』といった名著をものにし、制度化に向けての論陣を張ってきた。

本書は300人の関係者からのインタビューからなり、様々な人脈を大事にする著者ならではの力作だ。写真や図もふんだんに取り入れ、筆致は至って軽妙。どんなに困っても最後はうまくいく。そんな「物語」を読み終えた感じもする。

しかし、評者のように制度化の前史を知らない者には教えられるところが実に多い。そのいくつかを紹介すると――。
第5話 「ヨメ」たちの反乱。@朝日新聞に「人を見る目」があったならA女子東大生、柴田恵子さんのお見合いが不調に終わっていたらB1978年の厚生白書が、同居は「我が国の福祉における含み資産」と書かなかったら。この三つの「もし」が重ならなかったら、介護保険もっと後退したか、誕生していなかったかもしれない、というのだ。
実際には、柴田さんは朝日の入社試験に落とされ、早々と見合い結婚し、その夫が若くして亡くなって再就職し、親の介護は長男の嫁に集中していた当時の「日本型福祉」に反発して運動に立ち上がった。「介護保険の猛母」といわれる評論家の樋口恵子さんはこうして誕生した。

第28話 「雑居」と「和気あいあい」の神話的関係。日本の貧しい介護環境の常識を揺さぶった外山義・京大大学院教授の話だ。
日本の人情や文化を考えれば和気あいあいと過ごせる雑居の方があっている。当時の老人ホーム経営者のこうした主張に疑問を抱いた外山さんは、学生を配置して実際に誰と誰がどんな会話を交わしたか記録した。その結果、お年寄りはほとんど会話を交わしていないことが分かる。逆に同じホームが個室に改築されると、ベッドを離れお互いに訪問し合うようになり、口から食べる人が増えた。

インタビューは厚生省最大の推進役、最後は収賄事件で逮捕された岡光序治・元事務次官にまで及ぶ。「要介護患者を病院から介護施設や在宅に移すことによって、医療界に入ってくる収入のポケットを一つから二つに増やすことができるでしょう」。老人医療費の抑制を警戒していた医師会をこう説得したという。
対する当時の坪井栄孝・日医会長はこう振り返る。「残念だけれど、こういう収入増につながる言い方が多くの会員を説得できるんですよ。恥ずかしい話です」
こんな調子で偶然が重なり、新しい知見が得られ、様々なネットワークがつながり、介護保険の中身が固まっていった。

しかし、高齢化はさらに進む。財政の厳しさも増す。首長から雑居もやむなしとの声が上がり、利用者から「適正化の嵐に翻弄されてきた」と批判があがる。「いのちの尊厳のためのドラマ」はこれからも続く。

(社会保険旬報 2010.9.1号より)