ことの始まりは大阪ボランティア協会の雑誌「ウォロ」2011年夏号の早瀬昇さんの巻頭時評でした。
新聞紙上などで「ボランティア派遣」という言葉が多用されている。
「派遣」は部下など指揮下にある相手に使う言葉であって、自発的に活動するボランティアに使う言葉としてはふさわしくない
私は「福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」ネット」の志の縁結び係&小間使いを名乗って、ほぼ毎週、「えにしメール」を発信しています。
「メルマガ」と錯覚する方もいるのですが、違うことが2つあります。
第1は、送り先。
世の中を変えようという志の持ち主と私が直感した方々に送っています。10年前に始めたときには30通ほどだったのですが、いまは北欧4か国、米、英、仏、独、伊、韓国、マレーシア、ウガンダなど、日本語が読める5000人を超える方が読んだり、転送してくださったりしています。
第2の違いは、目的です。
別々な人脈をつくってしまっている福祉と医療の人たち、なかなか繋がらない現場と政策。ここに橋をかけ、縁結びするのが目的です。そのために、さまざまな分野の話題を盛り込むようにしています。
8月17日の「えにしメール」で早瀬さんの時評を紹介したところ、早速、医療の世界から、反響が寄せられました。
たとえば、在宅ケア医の木之下徹さんからの次のようなメールです。
医療者が習慣的に使っている「認知症患者」という言葉の「患者」を、意識的に「人」に切り替えてはどうでしょうか?
この提案を、2日後に、続報として知らせたところ、精神科医の上野秀樹さんから、あっと言う間にメールがとどきました。
確かに相手を「患者さん」として位置づけた時点で、私たちは、自動的に「管理優先」「上から目線」の医療者モードに入ってしまいます。8月22日に配布予定だった資料を「認知症の方」に書き直しました
「22日」とは、上野さんが各党代表と並んで登壇するシンポジウム「これからの認知症ケアを考える」のことでした。
「ボランティア派遣」という言葉への疑問は、「患者」というレッテルを貼ることへの反省を呼び起こしました。認知症の人を写真@のように精神科病院に収容してしまう過去と決別しよう、住みなれたまちで支えよう、というメッセージに広がり、伝えられてゆきました。
言葉には魔力が秘められています。
85年、高齢化の先輩国を訪ねた私は「寝たきり老人」という行政用語や日常用語が、それらの国々にはなく、日本独特のものと気づきました。
日本だと写真Aのような姿で病院に横たわっている人が、高齢化の先輩国では、ホームヘルパーや車椅子などのなどの支援で写真Bのようにお洒落して外出し、自宅で暮し続けていました。
「日本で“寝たきり老人”と呼ばれている人は“寢かせきり”にされた犠牲者だった」というキャンペーンは、「寝たきり老人ゼロ作戦」や介護保険制度の策定に繋がっていきました。
写真A
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写真B
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政策を誤らせる魔術的な言葉はいくつもあります。
例えば、「特養待機者42万人」という役所の発表。
「ご本人は待機などしていない」とは、現場を知っている誰もがいうことです。
ところが「特養待機者42万人」というミダシが新聞にあふれると、「1部屋に大勢入れよう」「施設を倍増しなければ」と思いつく、軽率な政治家が出てきます。
不足しているのはケアする人材なのに、ハコを増やしたり詰め込んだりすれば解決すると錯覚してしまうのです。
地方主権推進一括法が成立すると、「待機者をなくすために、雑居特養を新設しよう」という、尊厳を無視した自治体が現れました。日本は再び「雑居部屋での人生の最後」という、先進国には例のない貧しい文化に逆戻りしそうなのです。
もしも、この42万人を「在宅支援不足の被害者の数」と呼べば、自宅で暮し続けたいという、ご本人の願いをかなえる支援の仕組みや人材の重要さに、ひとびとは、気付くことでしょう。
政策を誤らせる役所言葉の横綱は「国民負担率」です。
大蔵省がつくった日本独特の言葉で、82年から新聞発表に使われ始めました。
この「国民負担率」は、租税・社会保障費の国民所得に占める割合とされ、臨調で、「50%よりかなり低位にとどめよ」と定められました。
名前は「国民」負担ですが、医療、介護、福祉の自己負担や、老後や病気、子どもの教育に備えての貯金、民間保険、ローンなどの実質的な「国民の負担」は含まれていません。
その上、「国民負担率」という言葉には、錯覚を起こさせる手品のタネが2つ組み込まれています。
まず、「負担」という、人の心に嫌悪感を引き起こす言葉です。
「負担増をいうと選挙に負ける」という恐怖感が各政党に芽生えました。
その結果、グラフ@のように、国際的にみて財源に大きく差がつきました。
その結果、社会保障費や教育費がひどく低く抑えられました。
グラフAのように、国の借金も諸外国と比べケタ違いに増えています。
北欧諸国では「税金にはゴム紐がついていて、イザというとき必ず戻ってくる」といわれているのは対照的です。
↑グラフ@付加価値税率(標準税率)の国際比較 2011.1現在
もう1つの手品のタネは、定義です。
ちょっとややこしいのですが、我慢して読んでくださいね。
租税と社会保障費の水準を比較するとき、国際的には「国内総生産(GDP)に占める割合」を使うのが常識です。
ところが旧大蔵省は、GDPではなく、「国民所得」を分母にした数字に「国民負担率」という名前をつけて発表し続けました。
国民所得は、大づかみにいえばGDPから間接税(消費税など)を差し引いたものですから、間接税の割合が高い北欧諸国は見かけ上、割合が高くなり、デンマーク72%、スウェーデン65%、日本41%と差が開きます。
この数字をもとに「北欧では収入の3分の2以上を税金に持っていかれるそうだ」「働く気はおきず、経済は傾く」という神話が作り出されました。
現実には、日本は経済が傾いているというのに、北欧は貿易収支も財政も黒字。日本より国際競争力も幸福度も、出生率も高いのです。
神話は崩れました。
国民負担率という言葉の魔術から人々に目覚めてもらおうと、私は、20年ほど前「国民連帯率」と「公的負担率」という言葉を考えて新聞で提案しました。
社会保障制度審議会会長だった隅田三喜男さんにも頼み込みました。
隅田さんはわかってくださり、社保審報告では「国民負担率」という言葉をひとことも使わず、「公的負担率」を使ってくださいました。
でも、「国民連帯率」はさっぱり流行りませんでした。
東日本大震災復興の中で「支え合い」という言葉が広まり始めています。
助けるだけでは人は元気になれない、という経験からです。
写真Cは、富山のデイケアハウス「このゆびとまれ」の認知症のお年よりキヨさんと保育所で預かってもらえない赤ちゃんの支えあっている姿です。
東日本大震災復興構想会議検討部会の委員で、仙台を拠点に活動しているNPO・全国コミュニティライフサポートセンター理事長の池田昌弘さんは被災の現場に学んで「支え合い」をキーワードにしようと会議で提案しました。
それを聞いて閃きました。「国民支えあい率」ではどうでしょう?
社会保障の本質は支えあいです。
「国民負担率」を「国民支えあい率」に変えてはどうでしょうか?
(毎日新聞2011.5.27 朝刊「私の社会保障論」に加筆)