精神病棟から町に出る(くらしの明日:私の社会保障論 )  その国の社会保障がどの程度ホンモノかを見破るノウハウがありました。その土地の平均的な精神病院を訪ねてみる、という方法です。  72年にスウェーデンの医療を取材した時、日本では想像できない光景に出会いました。精神病院が町の公園の中にあるだけでなく、厚生省の計らいで、隣に母子保健センターや歯科診療所が建てられていたのです。わけを尋ねたら、こんな答えが返ってきました。  「初めは町の人たちも怖いと思ったようです。でも、ここに来れば、偏見だったと分かります。それが伝わって、みんな安心して訪れるようになりました」  89年にイタリアのトリエステを訪ねた時、私のノウハウがもはや通用しないことを知りました。1150人が入院していたサン・ジョバンニ精神病院がなくなっていたのです。病院はイベントホールなどに改造され、院長の豪邸は病院で年をとった人の住まいになっていました。  医師やナースは精神保健センターを拠点に、入院していた人を支えていました。センターは中学校区に一つ、アパートの一角などにあり、さりげなく町に溶け込んでいます。診療だけでなく、憩いの場やレストランを兼ね、危機状態の時に泊まるベッドも8床用意されていました。真ちゅうの小さな表札が出ているだけなのに、センターは住民によく知られ、人々は気軽に相談に来ていました。  病院で行われていた「作業療法」ではなく、レストランの調理助手や庭師など、30ほどの「ホンモノの仕事」が開発されていました。  ◇欧州の博物館に日本の「今」が  93年に再びスウェーデンを訪ねたら、ここでも精神病院はなくなり、博物館になっていました。博物館で再現されていた「かつての精神病棟」は、今の日本の精神病棟そのものでした。  今月、イタリアの脱精神病院改革の担い手の一人、T・ロザービオ教授が来日。長崎で開かれた「福祉のトップセミナーin雲仙」で「治療からケアへ」の道筋を語りました。これを機に日本でも「施策改革全国ネットワーク」が発足。 同ネットワークは今回の衆院選にあたり、各政党に質問状を送りました。 「日本の精神病床は、人口あたり諸外国の3〜10倍と圧倒的に多く、海外から奇異の目でみられています。諸外国なら退院可能な人々が精神科病院への長期入院を余儀なくされ、認知症の人々が精神科病院に多数入院しているからです」。 こんな文章で始まる質問状に、各党がどう答えるか。認知症になっても心を病んでも、住み慣れた土地で安心して暮らせる社会にしていくつもりがあるのかどうか。それが問われています。 ==============  ■ことば  ◇政治とメディアと精神保健  精神保健改革の父、F・バザーリアは、イタリアのNHKにあたる放送局と協力し、精神病院の現実を明るみに出した。トリエステ県知事のM・ザネッティは保守系のキリスト教民主党だったが、理論と実践を兼ね備えた社会主義者のバザーリアに県立精神病院を任せた。ここがモデルとなり、78年に「脱精神病院」を定めた法律が、極右を除く事実上の超党派で成立した。                (毎日新聞 2012年12月14日 東京朝刊)