「私はアルツハイマー病と告げられています。でも、まだ大丈夫です。家族と一緒に人生の旅を続けます」  「家族にのしかかる負担や責任は重くなっていきます。妻の苦しみを和らげることができるよう願っています」  レーガン米元大統領が94年、国民にあてた手紙です。手書きのこの文章は、3つのことを示していました。  誰もが認知症になりうること、何もわからなくなるのではないこと、個人の力だけでは解決できないことです。  当時の米国のベストセラー『ぼけがおこったら』は訴えていました。「多くの家族の苦しみの原因は国家の政策、価値観、財政にある」と。  皮肉なことに、レーガン元大統領や、同様に認知症になった英国のサッチャー元首相が押し進めた新自由主義の政策は認知症に優しい政策の対極にあるものでした。    ◇  21世紀に入ると多くの国が認知症を「大統領や首相のもとの国家戦略」と位置付けるようになりました。そうした国々、イギリス、フランス、デンマーク、オーストラリア、オランダの政策責任者を招き、日本の厚生労働省も加わって「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」が先月末、2日にわたって開かれました。  5つの国にはいくつもの共通点がありました。  国家戦略は超党派で定め、政権交代しても揺らぎませんでした。 「認知症は精神病院で」という考え方は過去のものになっていました。  診断が確定した後は「住みなれた地域でのケア」に引き継ぐことが国家戦略の中心になっていました。  抗精神病薬は認知症の人の死亡率を高めとして、減らす政策がとられていました。  日本の参加者には「目からウロコ」の連続でした。   ◇  逆に、海外からの参加者を驚かせたのは、NHKの「クローズアップ現代」が放送した日本精神科病院協会の山崎學会長の病院の写真。磁石つきの身体拘束の道具や殺風景な病室で認知症の人々がうなだれている姿でした。  一方、地域の拠点で多世代で過ごす認知症の女性が、笑顔で赤ちゃんをあやしている様子に称賛の声があがりました。  ◇  日本でも昨年6月、「精神病院から地域へ」と流れを変える政策転換が打ち出され、これに基づき認知症施策推進5か年計画、オレンジプランが策定されました。 新政権が、この政策を確実に実行するよう注視ししたいと思います。  その後、政権は後退しましたが、新政権がこの政策を確実に実行するか、各国が注視しています。  さのオレンジプランに魂を吹き込むための集い「認知症を生きる人たちからみたオレンジプラン」が17日、京都市で開かれます。  「本人の立場から政策の成果を評価する」2度目の集いです。日本も捨てたものではありません。 ◎京都式・認知症の本人による政策評価  政策目標が数字の上で達成できたかどうかではなく、認知症の当事者自身の「思いが、かなえられたか」で政策を評価するのが京都方式。  「私の個性と人権に十分な配慮がなされている」「軽いうちに認知症を理解し、将来について決断することが出来た」など12項目に対し、認知症になったすべての人が、5年後には「イエス」と答えられるようにすることを目指す。