「魔法」の高齢者ケア◇フランス発、国境超える「ユマニチュード」  まるで魔法のようでした。  千葉県にある特別養護老人ホーム。丸2年間、ベッドから起き上がろうとしなかった90歳の女性が、 実に楽しげに、歌いながら歩き始めたのです。  気位が高く職員が誘っても立腹するばかりだったその女性を わずか10分足らずで変えてしまったのは、フランス人男性のイブ・ジネストさん。 ロゼット・マレスコッティさんと共に30年余かけてつくりあげたケア体系 「ユマニチュード」の創始者です。  ユマニチュードは、「ケアすることとは何か」という問いに始まる人間哲学に裏打ちされた 150を超えるテクニックの集大成です。 母国フランスでは、400以上の病院やケアホームで利用され、 スイス、ドイツ、カナダと国境も越えています。  秘密は、誰でも身につけることができるワザにあります。 例えば、見つめること、話しかけ続けること。 前から静かに近づき、水平な視線で見つめて自己紹介し、これから何をするかを丁寧に説明します。 声は優しく、歌うように、静かに。言葉には愛と尊敬を込めます。  最近、高齢者の入院が激増しています。 白い壁、白衣、体に差したチューブ類を抜かないようにと施される身体拘束。 高齢者は叫んだり、暴れたりしますが、それはスタッフを 「暴力を振るう敵」と思い込むからです。  見つめたり話しかけたりするのがおろそかだと 「あなたは存在しない」と言っているのと同じで、人としての関係が生まれません。  日本への紹介者、東京医療センター総合内科医長の本田美和子さんが 「日本の患者さんにも応用できる」と確信したのは、 入院中の80代の女性の変わりようを目の当たりにしたからでした。 1年近く、一言も発しなかった女性に、通訳を介してジネストさんが接すると、 目を開き、「手を上げてください」と言うとその通りにしたばかりか 「ありがとう」と言ったのです。  体験した看護師たちは「目に見えて患者さんが笑顔になるので、うれしくなります」 「管を入れる必要が本当にあるのかを考えるようになりました」 「つらいから辞めようと思わなくなりました」とこもごも言います。  患者の暴言、暴力に苦しみ、薬でおとなしくさせ、 そのことに罪悪感を抱いていたある私立病院の急性期病棟の看護師はユマニチュードに接して 涙ぐんで言いました。 「患者さんによかれと思って今までしていたことが間違っていたと知りました。 患者さんに申し訳なかった」  安全第一、利用者が自尊心を持った人間であることを忘れがちな 病院や施設の文化を変えるときが来ているようです。 ■ことば◇職員研修と効用■  フランスでは、従業員10人以上の企業や医療福祉機関は、 人件費総額の1・5%を職員の研修に充てなければならないと法で定められている。 ユマニチュードの4日間の研修に190万円かけたあるケアホームは、 ケアの質の向上で医療費が3800万円節約でき、 差し引きプラスになったと報告している。 (毎日新聞 2013年8月28日 くらしの明日:私の社会保障論)