メディアと障害

毎日新聞科学環境部次長(現・社会部次長) 野沢 和弘さん

(1)ステージ

 「ステージ」は知的障害者のための新聞として、1996年9月に創刊された。タブロイド版、8ページで年に4回発行されている。全日本手をつなぐ育成会(東京都港区)が発行元だ。編集には同会職員、知的障害のある本人、毎日新聞の記者などが携わっている。
 全日本育成会のメンバーらがスウェーデンで知的障害者向けに写真やグラフを多用した新聞が発行されているのを知り、日本でも発行できないかと考えたのがきっかけだった。
 「あんまり福祉っぽくないものにしたい」というのが支援者らの要望だった。読者は知的障害者の本人たちである。どのような紙面にするのかを考えると、まず思い浮かぶのが、施設の紹介、福祉の制度の使い方、学校や仕事に関する情報、趣味や余暇活動に関する情報−−のようなものではないだろうか。しかし、そうではないのだという。これまで知的障害者は学齢期を過ぎて成人しても、親に保護され管理されながら生活しているか、入所施設で暮らしている人が多かったが、これからは街の中で自立した生活を送る人が増えていくはずだ。そのためには「情報」が必要で、だからこそ彼らのための新聞を作るというのである。
 知的障害といっても知能指数(IQ)のレベルはさまざまで、どのような家庭環境で生育してきたか、どのような学校教育を受けてきたかによって、文字情報によるコミュニケーションの能力は異なる。そもそも文字や話し言葉でのコミュニケーションが不可能な重度障害者もいる。また、自閉症や学習障害などといわれる障害者の中には知的な遅れはなくても、周囲からなかなか理解されにくいコミュニケーションの特徴を持つ人もいる。
 「新聞」というメディアの特性から、読者層は自ずと文字によるコミュニケーションができる人に限られる。当初、編集委員会に参加した障害者5人はいずれも通勤寮やアパート暮らしの経験があり、パートや正社員として一般就労している軽度の障害者だった。彼らのような知的障害者こそが想定される読者層でもあった。
 ところで、「福祉っぽくないものにしたい」というのは、これまで「福祉」の枠の中で生きることを強いられてきた障害者側からの哀切な願いのようにも考えられる。街で暮らしている普通の人と同じような情報(ニュース)を知的障害者たちも欲しがっているのだ。「抽象的な概念や論理は苦手だが、普通の大人と同じように政治にも経済にも事件にも興味がある。もちろん恋愛や結婚や性への関心だって強い。知的障害があるからと言って子ども扱いはやめてほしい」。それが障害者本人や支援者たちの言葉だった。
 こうした議論を重ねて8ページの中にどのようなニュースや企画記事を盛り込むかを決めた。各ページの内容はおおむね以下のようなものである。

@企画記事
A〜B国内外のニュース
C芸能
Dスポーツ
Eどう思いますか?(読者への問題提起)
F私たちの意見(読者からの意見)
Gやってみよう(障害のある編集委員による体験記)

 フロント面の企画記事は大きな写真をつかって、いろいろな話題を取り上げている。10号(1999年6月)以降のフロント面を紹介すると次のようなラインナップになる。
I沖縄の干潟、ラムサール条約に登録決まる J三宅島のサンゴ礁の調査 K北極圏のオーロラ Lタツノオトシゴ M有珠山の噴火 N沖縄サミット「平和のない世界を」 Oさよなら20世紀 P流氷の下のクリオネに会いたい Q誕生!ユニバーサル・スタジオ・ジャパン R東京ディズニーシーのオープン SサッカーW杯 (21)オリンピックが本当の平和の祭典になる日は?(ソルトレークシティ五輪) (22)同時多発テロ (23)ホッキョクグマがいなくなる日 (24)ハンセン病療養所を訪ねて (25)スウェーデンからの報告 (26)厚生労働省の新障害福祉課長に突撃インタビュー

 環境問題をテーマにしたものが多いのは、障害者本人の編集委員たちからの要望を受けてのことだった。ビジュアルな紙面づくりという点からも、美しい写真を優先して1面には自然や動物の写真が掲載される傾向がある。
 沖縄サミット、オリンピック、同時多発テロなどの写真は、毎日新聞が無償提供している。北極のオーロラ、三宅島の海に潜って撮影したサンゴ礁の写真などは、ステージ編集部に協力している同社の記者やカメラマンが個人的に撮影した写真の中から提供されたものだ。写真家の故・星野道夫さんの事務所の協力で安価で借りたホッキョクグマの写真などもある。
 「福祉っぽくない」という点では2面以降の一般ニュース、スポーツ面などがステージの特徴をよく表している。一般の新聞に掲載されているニュースを、同社の現役記者や論説委員らが知的障害者にとってわかりやすいように書き直している。
 文字は大きく、文字数は少なく、漢字はできるだけやめて平仮名にし、どうしても必要な漢字にはルビをつける。写真やイラストやグラフや地図を多用し、文字情報を補うようにする。しかし、それだけのことでは「わかりやすい」記事にはならない。難しい専門用語がしばしば登場する経済記事や科学記事についても、避けずに掲載している。プロの記者が書いたものを、障害者本人を交えた編集委員会で読み合わせを行い、わかりにくい部分、問題のある部分を指摘し、書き直している。
 試行錯誤の中で、いくつかの決まりごとができた。たとえば、一つの文章はできるだけ簡潔に、短くする。文章の構造はできるだけ単純にする。そのために接続詞はできるだけ使わない。時間的な経過をさかのぼることはしない。抽象的な言葉は避ける。比喩や暗喩や擬人法は禁止。「〜しないわけではない」というような二重否定もやめる、ということなどである。
 次の記事を読んでいただきたい。

 「政府は7日、健全な金融機関を対象に公的資金を投入する新制度について、3年程度の時限立法とする方針を固めたが、危機の予防を目的とした制度ではなく、金融システムの安定を維持するための『デフレ下の特例措置』(金融庁幹部)と位置づけるもので、公的資金の投入規模も一行当たり数千億円程度に抑制し、りそなグループに1兆9600億円を投入する現行の預金保険法の対応と差別化を図る考えだ」

 実際に新聞に掲載された記事を少しだけ加工したものだが、これに近い記事はいくらでもお目に書かれるはずである。内容も難解だが、実に189文字もの長さだ。これを接続詞を使わずに書き直すと以下のようになる。

 「政府は7日、健全な金融機関を対象に公的資金を投入する新制度について、3年程度の時限立法とする方針を固めた。これは危機の予防を目的とした制度ではない。金融システムの安定を維持するための『デフレ下の特例措置』(金融庁幹部)と位置づけるものだ。公的資金の投入規模も一行当たり数千億円程度に抑制する。りそなグループに1兆9600億円を投入する現行の預金保険法の対応と差別化を図る考えだ」。

 単純に一つの文章を句点で切って、五つの短い記事に分けただけでもずいぶん読みやすくなったのではないだろうか。
 次に、できるだけ漢字はやめ、抽象的な言葉や言い回しもやめる。「金融機関」は「銀行など」に、「危機の予防」は「倒産しないために」、「公的資金の投入規模」は「税金をいくらあげるか」に、「差別化を図る」は「ちがうものにする」に、それぞれ言い換える。厳密な意味やニュアンスは、これらの言い換えによって若干異なったものになるが、私たちが日常的に使っている平易な言い方に近くなり、知的障害者にとってもなじみのある表現になるのではないだろうか。
 しかし、これでもまだ足りない。「デフレ」「金融システム」「預金保険法」などの言葉の意味もわかりやすく伝えないと、平仮名やかみ砕いた表現に直しても記事の内容は理解されないだろう。そもそも、金融機関が累積債務に苦しみ、公的資金を投入しなければいけない状況を説明する必要がある。25号(03年3月)のデフレに関する記事はこのように書かれている。

 「デフレ」とは「ずっと物価(ものの値段)が下がり続けること」です。ハンバーガーや牛丼などはどんどん安くなっています。これは、いいことのはずですが、なぜデフレは悪いのでしょうか。
 物価がどんどん下がっていくと、人々は「もっと安くなるだろう」と考え、買い物を先延ばしにします。すると、品物は売れません。品物が売れないと、売る方は値段を下げて買ってもらおうとしますが、それがまた物価の下落と、買い物の先延ばしにつながります。もがけば、もがくほど、値段も売れ行きも落ちてゆき、物を作ったり売ったりする会社の売り上げ成績も落ちていくのです。だからデフレは怖くて「アリ地獄」のようだと言われます。
 また、安くなるのは物価だけではありません。会社からもらう給料やボーナスも下がります。会社の成績が悪いので仕方ありませんよね。牛丼が安くなっても、使えるお金が少なくなるので、ちっとも残らないというわけです。
 安くならないものもあります。それは「借金」です。会社は売り上げが落ち、家庭は給料が減って苦しいのに、借金の額は変わりません。すると、借金をきちんと返していくことは大変になり、会社の経営や家計のやりくりは苦しくなります。

(2)障害者とジャーナリズムの距離

 新聞は分かりやすさを旨としているが、果たして本当に分かりやすいであろうか。たとえば、今ここにある6月7日の毎日新聞朝刊(14版、東京本社発行)を見ることにしよう。まずは、その日の記事の中で最も重要なものが占めることになっている1面トップの記事から。

 「財務省は6日、サラリーマンなどの給与所得の平均30%弱を必要経費とみなして非課税にしている「給与所得控除」について、20%に引き下げる方針を固めた。…ただ、負担が増えるサラリーマン層から強い反発が予想されるため、必要経費の対象を交際費の一部などに広げ、確定申告すれば実質25%程度まで非課税にする考え」

 日ごろから税制問題に関心のある人でない限り、1回読んだだけではなかなか理解できないのではないだろうか。少なくとも、一つの文章の中にいくつもの主語と述語が登場しているため、読み解きにくい構造の文章になっている。
 この記事は、長期不況による財政難に悩む財務省が、サラリーマンなどの給与所得控除を現在よりも大幅に引き下げる方針を固め、05年度税制改正に盛り込むことにしたというものだ。課税対象の所得額が増えれば、その分税収が増えることになる。記事から余分な要素をはぎ取っていくと、「財務省は給与所得控除を20%に引き下げる方針を固めた」が残る。これが記事の「骨」である。
 しかし、給与所得控除が何なのかが一般の人には分からない。そこで、サラリーマンなどの給与所得の中で必要経費とみなして、ある一定の額を非課税にしていること。それが給与所得控除であること、などを「肉」付けしているのだ。さらに、ある一定の額は、現在は平均して所得の30%弱であるということ。財務省はこれを20%に引き下げる方針であること……これらの要素をすべて盛り込んだため、一文の中に主語と述語をいくつも並べて複雑な構造の記事が出来上がっている。
 どの新聞も以前より活字が大きくなり、その分、1ページに掲載できる情報量(文字数)が減った。そのため、一つの記事もより短くなった。最小限の行数に必要な要素を詰め込もうとして複雑な構造の文章になる傾向があるのではないかと思われる。しかも、専門的で難解なテーマについても社会的に比重が大きくなっているため、新聞が取り上げる機会が増えていることが難解記事の登場に拍車をかけている。
 たとえば、同じ日の新聞にはこんな記事もある。

 「宇宙誕生時に存在した反粒子が自然界から消滅した理由を探るため、99年に稼動した高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)の大型加速器「Bファクトリー」が設計時の目標性能を達成した。電子と陽電子を衝突させる性能は世界最高で、米スタンフォード大の2倍近くに達した。Bファクトリーは、B中間子とその反粒子の反B中間子を大量に作り出す。二つの粒子の振る舞いを分析した結果、粒子より反粒子の方がわずかに崩壊しやすいことが反粒子消滅の理由とほぼ確認された」

 1回読んだだけで内容を完全に理解できる人は果たしてどのくらいいるだろうか。「反粒子」「高エネルギー加速器」「電子」「陽電子」「B中間子」。これらの言葉の意味が分からなければ、何度読んでみたところでこの記事を理解することはできない。物理学のシロウトが理解できるように分かりやすく説明するためには、新聞1ページ分のスペースがあっても足りないかもしれない。
 新聞は義務教育を終了した人なら誰もが理解できるような文章で書くことが原則であり、そのために(一部の例外はあるが)常用漢字しか使われないことになっている。また、一つの文章はできるだけ短く単純にすることが心掛けられている。重複は極力避けるのが新聞の文体の一つの特徴でもある。簡潔な文章で必要な客観情報を伝えるためである。しかし、重複を避けることは、分かりやすい文章になることと必ずしもイコールではない。
 たとえば、冒頭の給与所得控除の記事は、重複を増やせばもっと読みやすくなる。「財務省は6日、給与所得控除を20%に引き下げる方針を固めた。給与所得控除とは、サラリーマンなどの給与所得の中で必要経費とみなしてある一定の額を非課税にしていること。この『一定の額』は、現在は所得の平均30%弱とされているが、財務省はこれを20%に引き下げようという」。このように文章を短く区切り、それぞれの文章に重複した「のりしろ」の部分を設けると、ずっと分かりやすくなる。
 知的障害者と話したり、彼らが書いた文章を読んでいると、一つ一つの文章が短いわりに、「のりしろ」の部分が多いように思うことがよくある。次のような文章は比較的よく見かけるのではないだろうか。
 「…飛行機にのって東京にいって、東京と大阪の人たちとで交流会をしてきました。僕は、仕事の話をしました。そして、いろんないけんがでました。話を聞いて、僕が一番おどろいたことは、会費の話です。みんなの会の会費が1000円と一番高く、最低で100円と聞いておどろいてしまいました…」(「手をつなぐ」02年10月号、全日本手をつなぐ育成会発行)
 ところで、「のりしろ」どころか、主語や述語を大胆に省略したり、代名詞や比喩や擬人法を多用したりして、文章と文章が「すき間」だらけでつながっていないように読める記事も新聞には掲載されている。

 「横浜勝利の主役は佐伯と中根。98年の日本一を経験した33歳と36歳が計3本塁打で7打点をたたきだした。左腕・高橋尚対策でスタメン起用された中根はフルスイングが魅力だが、この日は『センター返しを心掛けた』。同点の犠飛、1号ソロとも右方向に放ち、6回の右中間三塁打で『あれで今日の仕事は終わりました』。佐伯も『おじさん(中根)に刺激された』と勝負強い打撃で2打席連続アーチ」

 プロ野球好きの読者はこの軽妙なリズムの文体が合うのだろうが、そうじゃない人には難解な文章であるに違いない。正確に書くのならば、「横浜ベイスターズを勝利に導いた主役は佐伯選手と中根選手」であろう。前後の文を読めば、「33歳」は佐伯選手を、「36歳」は中根選手を指していることは分かるが、プロ野球に興味のない人には「33歳と36歳が計3本塁打で7打点…」はやはり分かりにくい。「センター返しを心掛けた」「あれで今日の仕事は終わりました」も主語がないため、誰が話した言葉なのか分からない読者もいるかもしれない。
 佐伯選手と中根選手は横浜ベイスターズが98年に日本一になった時に活躍した選手。プロ野球選手は30代半ばになると力が衰える人が多く、36歳の中根選手も最近はレギュラーから外れることが多い。野球では左投手には右打者が有利といわれており、左投げの高橋投手が先発したので、右打者の中根選手もこの試合は先発出場した。ふだんは力任せにバットを大振りする中根選手だが、この試合は丁寧なバッティングをした。右打者が右(ライト側)にボールを打ち返すのは丁寧なバッティングをしたことを示している、ということが野球では常識となっている。……このような予備知識を記者と読者が共有していることを前提に、この記事は書かれている。
 新聞の文章は、義務教育を卒業したことで得られる学力がある不特定多数の読者を想定して書かれているといわれるが、正確に言うとそうではない。ふだんから新聞をよく読み、継続的に書かれているテーマについてある程度の予備知識がある読者を想定して書かれている、と言うべきなのではないだろうか。そして、想定される読者の中には知的障害者は入っていないと断言できる。
 もっとも、新聞をはじめとするジャーナリズムはまだ知的障害者にとっては近い存在かもしれない。最近は、写真やグラフや目立つレイアウトや見出しで、ずいぶん取っ付きやすくなってはいる。それに比べて、行政の文書、閣僚や政府委員の国会答弁、裁判所が出す判決文は、この世に出回っている文章の中でも最も難解な部類に入ることは間違いない。つまり、国家の屋台骨である三権が、一般人、とりわけ知的な障害のある人々を遠ざける文章を用いている最たるものなのである。
 たとえば、引用してきた上記の記事が掲載された6月7日の新聞には有事法制関連3法の条文の抜粋が掲載されているが、これはどうだろう。

 「第一条 この法律は、武力攻撃事態等への対処について、基本理念、国、地方公共団体等の責務、国民の協力その他の基本となる事項を定めることにより、武力攻撃事態等への対処のための態勢を整備し、併せて武力攻撃事態等への対処に関して必要となる法制の整備に関する事項を定め、もって我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に資することを目的とする」

(3)分かりやすいとは何か

 一般の記事が知的障害者にとってどれだけ分かりにくいか、もっと分かりやすくするにはどのように書き換えればよいのか。具体的に最近のステージの記事を紹介しながら説明してみたいと思う。最初に元の<新聞記事>を示し、それが<ステージ>ではどのような記事になったのかを示すことにする。

<新聞記事>
 新興宗教団体「ラエリアン・ムーブメント」(本部・スイス)がクローン人間づくりを目的に設立した「クローンエイド」社のブリジット・ボワセリエ博士は27日、米フロリダ州ハリウッドのホテルで記者会見し、「26日にクローン技術による女児が初めて誕生した」と発表した。女児がクローン人間であることを裏付ける科学的データは公表しなかった。
 同博士の依頼を受けたフリージャーナリストのマイケル・ギラン氏が専門家とともに検証する予定で、結果が注目される。
<ステージ>
 「世界で初めてのクローン人間が生まれた」と、「クローンエイド」という団体が発表しました。
 人間は、男の人の精子と、女の人の卵子が一緒になって、女の人のおなかで大きくなって、赤ちゃんとして生まれます。クローンは精子が必要ありません。人のからだをつくっている細胞を少しだけ取り出し、それを卵子に入れて、女の人のおなかで育てます。生まれた赤ちゃんは、細胞を取り出した人とほとんど同じ顔かたちになります。
 *そもそも、人間はどうやって誕生するのかを説明しないと、クローンが何なのかよく分からない。クローンエイドという会社が新興宗教団体によって設立されたことは説明したいところだが、最も読者に知らせたいことが難解な内容なので、それ以上に一つの記事の中に複雑な要素を盛り込むことはできない、と判断した。

<新聞記事>
 飛行士7人を乗せた米スペースシャトル「コロンビア」が、米東部時間1日午前9時(日本時間同日午後11時)ごろ、着陸直前にテキサス州上空で空中分解、炎上の末、墜落した。
 ブッシュ大統領は同日午後、ホワイトハウスでテレビを通じて全米向けの声明を発表し「生存者はいない」と全員の死亡を確認。「遺族とともに全米が悲しんでいる」と述べ、初のイスラエル人飛行士1名と6人の米国人乗員に哀悼の意を表明した。
<ステージ>
 2月1日、スペースシャトルが地球にもどってくる途中で、空中分解する事故が起きて、のっていた7人が死亡しました。
 地球には空気があり、宇宙からスペースシャトルが帰ってくるとき、空気との摩擦でシャトルの機体の温度は1500度にもなります。そのため、熱に強いタイルが機体にはっています。ところが、このタイルが飛行中にはがれる事故が何度も過去にありました…
 *知的障害者の特徴の一つとして、抽象的な事柄や時間などに関する概念を把握するのが苦手と言われる。新聞の記録性から言えば、事故が発生した現地時間と日本時間を併記するべきだろうが、ステージでは読者の特質を考えて、大胆に省略する。4ヶ月に1回の発行なので日時をそれほど詳しく記述する必要もない。新聞の一報の冒頭部分には原因のくだりが出てこないが、大気圏に突入する際の摩擦熱について説明しないと、空中分解して炎上するという衝撃的な事故がよく分からない。

<新聞記事>
 イラク・クウェート国境地帯に集結していた米英軍の陸上部隊は20日午後8時ごろ、イラク領内に侵攻。地上戦を開始し、一部の部隊はイラク領内に約150`侵攻し、首都バグダッドに向け進撃中だ。米英軍は北と西からもイラク領内に入った模様で、英軍報道官は3〜4日中にバグダッドに到達する可能性を指摘している。
<ステージ>
 イラク・クウェート国境に集まった米英軍の陸上部隊は20日午後8時ごろ、イラク領内に侵攻した。地上戦をはじめた。一部の部隊はイラク領内に約150`侵攻した。首都バグダッドにむけ進撃している。
 *日時や距離などの数字が短い文章の中に何度も登場するので、できるだけ短く文章を切った。「集結」は「集まる」、「開始する」は「はじめる」にする。

<新聞記事>
 小泉純一郎首相は24日夜、東京都内の中華料理店で自民党8役と懇談した。席上、「この程度の約束(公約)を守れなくても大したことはない」という小泉首相の国会答弁が話題になり、首相は「皆さんにご迷惑をかけた」と陳謝した。
<ステージ>
 小泉純一郎首相が国会で答えたことが、大きな問題になりました。1月下旬、「この程度の約束を守らなかったというのは大したことではない」としゃべったからです。

 ひらがなの多用、一つの文を短く簡潔に、抽象的な表現は禁止 背景についても説明する−−などの工夫が分かっていただけると思う。ただし、ひらがながたくさんあることが読みやすい、分かりやすいかというとそうではない。たとえば次の例を見て欲しい。新聞記事を全部ひらがなにすることは、漢字がもっている具体的な意味の喚起力を放棄することになり、ひらがなだらけの中に言葉の意味が埋没してしまい、かえって読みにくくなる。そこで、ステージでは名詞を主にして適当に漢字を散りばめる。漢字とひらがなのメリハリが効いて見た目にも読みやすくなることが分かってもらえると思う。
 次は一般の新聞記事をステージ用に書き直したのが@。文中の漢字をすべて平仮名に変換してみたのがA。必要最低限の漢字だけ使ったものがBである。
<ステージ@>
 4月から医療費の負担が2割から3割になります。大会社に勤務して「健康保険」に加入している人は、医療機関で支払う医療費が従来の1・5倍になります。
<ステージA>
 4がつから、いりょうひのふたんがこれまでの2わりから3わりになります。だいがいしゃにきんむして「けんこうほけん」にかにゅうしているひとは…
<ステージB>
 4月から 医療費の負担が2割から3割になります。おおきな会社につとめて、「健康保険」にはいっている人は、病院などでしはらうお金が、1・5倍になります。

 「二重否定」は使わないというのがステージでの取り決めだが、この二重否定は新聞記事だけでなく一般の文章や日常会話の中でも頻繁に登場する。ストレートなものの言い方を避け、自分の主張をぼやかしたり、相手の気持をうかがいながら慎重なものの言い方をするときなどによく使われているといっていい。ところが、これが知的障害者には苦手なのである。「私は東京ドームに行きたくないわけではない。楽しくないとは言ってない。だから、どうしても行かないと言ってるわけじゃない」などと言われると、いったい相手は何を言いたいのか障害のない人にもにわかにはわからないだろう。
 もっとも、流行歌にもこんな歌詞があるから、二重否定は現代の日本人の鬱屈した心情を表すのに必須の表現なのかもしれない。「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対…」

(4)バリアを解く

 一般ニュースはプロの記者が執筆しているが、芸能面などの取材には知的障害者の編集委員が同行することが多い。工場で働く知的障害者の虐待がテーマのテレビドラマ「聖者の行進」のロケ現場に取材に行き、主役の知的障害者を演じていたいしだ壱成らにインタビューした。NHKの大河ドラマ「徳川慶喜」の主役の本木雅弘、知的障害者が主役のドラマ「アルジャーノンに花束を」のユースケ・サンタマリアなどもロケ現場を訪ねてインタビューした。また、プロレスラーの藤波辰爾、国会議員になった大仁田厚などにも障害者本人が「体当たりインタビュー」を試みた。これらの記事も同行した支援者や記者が執筆しているが、知的障害者の編集委員も感想やメモなどを書いて記事の別項として掲載している。
 芸能面やスポーツ面だけでなく、最近は1面の企画記事でも知的障害者本人たちが取材に行くケースが増えている。25号では、ハンセン病療養所の栗生楽泉園を知的障害のある編集委員らが訪ね、50年以上も療養所で暮らしている人にインタビューして、療養所内をルポした記事を掲載した。入所施設偏重の障害者福祉から地域生活への変換が模索されている中、入所施設解体の先例ともいえるハンセン病療養所で過酷な差別と闘ってきた元患者の話をじっくり聞こうという企画である。
 26号では、03年春の厚生労働省の定期異動で障害福祉課長に就任したばかりの高原弘海課長に、知的障害者の本人たち3人がインタビューした。支援費導入の直前になって地域療育等支援事業の一般財源化、ホームヘルプの「基準」などを厚生労働省が決めたことに対し、障害者側から強い反発が出て騒ぎとなった。障害者側から前課長がその責任を追及されたのだが、新し課長はいったいどのような考えを持っているのかを障害者本人がインタビューするという企画だった。このように、「障害者っぽくない」をキャッチフレーズに作成してきたステージだが、最近は知的障害のある本人たちが、自らの問題について社会的に考え取り組んでいくための「取材」も始めている。記事の主要部分の執筆は支援者や記者が行っているが、いずれ障害者本人たちが執筆する記事が増えていくと思われる。
 知的障害者は抽象的な概念や論理が苦手だということはすでに触れたが、彼らのコミュニケーションの特性は、知的障害に由来しているものだけでなく、生育歴や生活歴の中で環境から学び取ったものも大きな比重を占めていると思われる。
 勉強がついていけないことへのコンプレックス、いじめ、抑圧や孤立という心理的体験を積んでいる知的障害者は多く、こうした体験のために少しの成功でも満足する傾向が見られる。能力的には完全にできることでも、少しできればそれで満足してしまい、それ以上の達成を求めない傾向があるといわれるのだ。このため、質問をされたときに、質問の内容よりも、質問者の方に意識を集中させ、質問者から肯定的な反応を導き出せば、そこで満足して反応が止まってしまうということがよくある。
 また、だれかの指示を受けたり、他人の判断に依存して生活している傾向が強い知的障害者は多く、質問の意味がよくわからなくても肯定する反応を示したり、誘導に乗りやすいとも言われている。
 一度出した答えを確認されることも苦手で、「本当ですか」「間違いありませんか」などと繰り返されると、前の答えは間違っているのだといわれていると思い込み、前言を撤回することがよくある。
 知的障害者にとっては記憶力や証言能力そのものよりも、質問者との関係性や質問者の態度の方がコミュニケーションにおいては、より大きな影響を供述に与えてしまうということが理解されていないのである。
 編集会議では、企画を立てたり、原稿の読み合わせなどの際に知的障害者と支援者や記者が率直な意見のやり取りをしているが、障害者がどこまで自分自身の意見を言っているのかよく分からなくなることがある。プロの記者が書く原稿に対して、障害者たちは時には辛らつな批判や疑問に思っていることを述べるが、それは「遠慮なく批判する知的障害者」であることを支援者らが望んでいるのを言外に汲み取って、自分でも知らず知らずのうちに、そうした知的障害者を演じているのではないかとすら思えることがある。こちら側がステージ編集に携わる障害者たちに、「主張する障害者」になることを性急に求めると思わぬ陥穽が待っているのではないか。
 コミュニケーション特性とは、障害者側だけの問題なのではない。コミュニケーションをする相手(社会)の特性が、鏡に映したように障害者側に表れるのである。じっくり時間をかければ障害者は理解できるのに、性急に答え(反応)を求める。無意識のうちにこちら側の価値観を押し付ける。相手の能力を過小評価しているため、少しの進歩を過剰に評価する……こうしたこちら側の価値観や心情によって知的障害者のコミュニケーションは大きく影響される。
 ステージが発刊して6年。途中で知的障害者の編集委員は新しいメンバーに交代したが、多くのメンバーはゆっくりではあるが企画会議や取材活動を通して、本当の意味での自信=主張する根拠を育んでいるようにも思える。それは編集に携わっている支援者や記者が知的障害者のコミュニケーションや心理の特性を理解し、彼らの内面世界で起きる小さなさざ波の音をキャッチできるようになったからかもしれない。
 これまで社会から一方的に流されてくる情報の洪水に、そのほとんどを理解できないまま押し流されていた知的障害者たちが、今度は自らが情報を発信する側に回ったのがステージである。彼らが発する情報には貴重なメッセージが込められている。

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