メディアと障害

埼玉県立大学・社会福祉学科教授(元毎日新聞論説委員) 宮武 剛さん

はじめに

 昨2002年度から、この小論と同名の講義(四年次生・前期)を担当している。
 ジャーナリスト志望者がほとんどいない学科では、どのように報道記事が出来上がるのか、初歩的な作業を語ることが不可欠になる。 例えば、記事の要素は、だれが、なにを、いつ、どこで、なぜ、いかにしての「5W・1H」であることを伝える。そのうえで、この作業が「福祉・保健・医療」の現場と、いかに関わっていくのか、実証的に説き明かしていくほかない。
 この小論では、筆者のジャーナリスト体験と大学での一〇人程度のゼミナール形式によるわずかな講義体験、また別に添える学生たちのレポート三編と、現役の原昌平氏(読売新聞大阪本社科学部次長)、和田公一氏(朝日新聞科学医療部)、野沢和弘氏(毎日新聞東京本社科学環境部編集委員)による三編も読み比べ、当事者・送信側・受信側の間にある共通点や落差を探りたい。

「なぜ」のない記事が、なぜ生まれるか

 1991年6月12日朝刊に「女性都議が万引き」という記事が朝日新聞、毎日新聞にそれぞれ三段見出しで掲載された(東京本社発行版、以下も同様)。共産党の女性東京都会議員が新宿の百貨店でハンカチやベルトを盗み逮捕され、この都議は都会議長に辞表を提出した、との内容であった。いずれも実名報道であった(都議は後に不起訴)。
 記事のコピーを学生たちに配布して、「5W・1H」の原則に照らし、何が欠けているのか、を考えさせてみた。「毎日」には、なぜ万引きしたのか、「理由がない」ことに気付き、「朝日」は「つい魔がさした」との "自供"を載せているものの「具体的に分からない」と疑問を示した。
 また、都議の実名が報じられた点について、学生たちの拒否反応はなかった。公職者には微罪でも社会的な責任がある、との認識は共通であった。
 事件から5カ月余の11月8日付け朝日新聞夕刊・ニュース三面鏡は「女性前都議「万引き」事件・「病気でもうろう 犯罪とはいえぬ」が掲載された。「日本てんかん協会」が「万引きにみえたのは、意識もうろう状態になって、うろつくような症状があらわれていたにすぎない」との見解をまとめたことを報じた。事件直後「てんかん患者を都議にしたのは問題」とする週刊誌の報道もあり、同会理事長の清野昌一・国立療養所静岡東病院長(当時)による「てんかんに対する社会の認識がいかに時代遅れのままか、を示している。アメリカには下院議員の患者もいる」などの談話が掲載された。
 さらに、翌92年12月9日付け毎日新聞朝刊は「探信音」という囲み記事で、女性前都議が「この病気と闘い、頑張っている人は大勢います」と、日本てんかん協会の街頭キャンペーンで叫ぶ姿を伝えた。てんかんについて第一報では触れなかった点に「意識がもうろうとするというのは聞いたことがなく、言い訳ではないか、と当時は思った」という取材記者の反省、「福祉」を掲げて連続当選した女性前都議が「自分の病気が分かって初めて、ハンディを持つ人の痛みを知った」という述懐も紹介された。ちなみに、この囲み記事の筆者は文末に添えられたイニシアルから、今回の現役諸氏の一人、野沢氏であることが分かる。
 二つの囲み記事もコピーして学生たちに読ませ、「WHY」を探ることが、いかに難しいか。本当の「WHY」を伝えられる記事が、いかに少ないか、の例証とした。さらに、すべての記事が記者の直接取材ではなく、捜査当局・政府・行政・諸団体などの発表に頼ることが極めて多い現状、すべて自主的に調べ裏付けを取ることは不可能に近い実態、それゆえ衝撃的な大事件はもちろん市井の小事件でも第一報の欠落部分や、その後に判明した事実をフォローアップする「検証報道」がどんなに大事か、を自らの反省を込めて語るほかないのだ。
 もちろん、この講義では、「てんかん」という疾病に対する正確な理解や、障害者に関わる「欠格条項」の見直しなどを共に学ぶのだが、紙面化・映像化された報道にしか接していない学生たちに取材・執筆の一端を伝える格好の教材であった。

病歴報道への痛烈な投書

 万引き事件では主要な論点にならなかった実名報道か、匿名報道か、については1994年10月25日、東京都品川区の京浜急行・青物横丁駅で起きた「医師射殺事件」の第一報からの主な経過を、これも新聞記事のコピーを学生たちに配布した。
 この事件が精神障害にからむ容疑者・被告について「原則匿名・病歴報道」から「実名・匿名はケース・バイ・ケース・病歴報道は抑制・禁止」への、いわば「転換点」になった、と考えたからだ。
 和田氏が「朝日」内部で社内ルール見直しの契機になったのが、この事件と位置付けているのは興味深い。さらに、この見直しを促したのは精神医療サバイバーの広田和子さんとのインタビュー記事(95年2月14日付け朝刊)であった、という。同じ頃「毎日」でも同様に外部からの投書が社内での見直し論議を喚起した経緯があり、筆者にとって新たな発見でもあった。
 「医師射殺事件」の半年ほど前、毎日新聞社あてに読者の医師から一通の手紙が届けられた(94年5月30日付け書状)。
 要約すると、94年5月21日朝刊で報道された川崎市の女児殺害事件の記事に「疑問を持つ」、「容疑者は『精神分裂病の疑いで2年前から数回の入、退院歴があり、今年に入っても通院していた』とわざわざ記されていた」、「事件のたびに、容疑者が、例えば糖尿病であった、脳卒中であった、肝硬変であった」などと書かれたものをみたことはありません」「どうして精神科の場合だけ、病歴が決まって入るのでしょう。精神病は怖いというイメージを社会にうえつける文面は、まさに百害あって一利なし。必要ないと思います」「こうした無責任な報道がどれだけ多くの患者さんや家族を一方的に傷つけ、生活するうえで自信を失わせ、萎縮させているか、ご存じでしょうか」「貴社は、むしろ積極的に精神障害者に対する理解を広げる活動をしてこられたはずです。このこととも矛盾しています」…。
 鄭重だが、痛烈な批判であった。筆者自身は、論説室に所属し、書状を基にする社会部や編集局の論議に加わる機会はなかったが、文面のコピーをもらい、保存している。

「五つの連立方程式」とは

 「医師射殺事件」は、94年10月25日午前の発生、その後、警視庁は指名手配したことを匿名で明らかにした。27日、警視庁は二次犯罪の危険性や計画的犯行と刑事責任を問える可能性などを理由に実名・顔写真入りで公開手配。28日逮捕。11月8日簡易鑑定、14日正式鑑定という経過をたどった。 「毎日」は、当初は匿名、公開捜査段階で実名に切り換え、その後も実名を通したが、通院歴については正式の精神鑑定まで入通院歴には一切触れない報道を続けた。「朝日」は通院歴記述を一回程度に抑えていたが、他紙、とりわけ「産経」の病歴報道の多さが目立った。
 一方で、公開捜査後も匿名を貫いたのは 「日経」「NHK」「TBS」「テレビ朝日」であった。「日経」は、逮捕後も刑事責任能力の有無が問われることを重視し、「原則匿名」を守った。二次犯罪の危険性については「その言動から不特定多数に銃口を向けるとは思えない」との見解を示していた。
 「毎日」の病歴報道を控える方針については、94年11月22日付け朝刊「記者の目」で、臼井研一記者(当時・社会部)が、メディア各社の対応を比較しながら、「通院歴触れず実名の意味・特別扱いが偏見招く」と題して見解を述べている。半年前の医師からの手紙も短く紹介し、その指摘が方針転換を支えたことが分かる。また「逮捕され再犯の恐れがなくなった時点で社内規定に従い匿名に戻すべきだ」「再び匿名戻す場合は『おことわり』で入退院歴を説明しなければならない」「入退院歴は事件の性格を理解する必要な情報で、読者の知る権利に応える意味で、匿名にしたうえ報道すべきだ」などの社会の議論にも触れ、この方針を貫く難しさもうかがわせた。
 臼井氏は、99年8月31日付け朝刊「追跡メディア」欄でも「精神障害者の実名・匿名報道問題・五つの要素をもとに事件後ごとに判断」という長文の記事を執筆している。
 ちょうど「全日空ハイジャック事件」(同年7月23日)が発生し、またも、この問題をめぐってマスメディアが対応を迫られたからだ。
 この事件で「毎日」は、初報は実名、入院暦が判明した段階で匿名、刑事責任を問えると捜査当局が判断し、起訴が確実になった時点から再び実名に戻した。先の医師射殺事件なども例にしながら臼井氏は、実名か匿名か、の判断基準について、@偏見・差別を助長しない、A刑事責任能力の有無、B被害の重大性、C読者の知る権利、D容疑者の社会的地位の五つを勘案・考慮しなければならない、と提案した。そして「私なら@とCを判断の基礎にしつつ、Aを優先し、次いでBに配慮すべきだ。案外重要なのはDだ」と述べている。Dの重要性とは、例えば、精神を病んで通院中の国会議員が理由もなく通行人を殴って重傷を負わせ現行犯で逮捕のようなケースは、公人ゆえに「初報から実名だろう、精神鑑定の結果、不起訴になっても実名でいいと思う」、しかし「では、元議員ならどうなるか、
 分裂病(統合失調症)と診断が出ていた場合はどうか、などと自問自答し、「マニュアルや原則を決めることは極めて困難で、事件後とに五つの連立方程式を解くほかないというのが、私のいまの結論である」と結んでいる。
 これに対して学生レポートで高田祐光は、@正しい知識・情報を持つ、A精神障害者と関わる経験を持つ、B人権感覚を持つことで、ジャーナリストを含め「一人一人の自己変革」を求めた。
 小金沢優枝は「普段から継続して精神障害者を取り巻く状況や、医療や制度の問題点などを報道し、精神障害に対する社会的理解を促進していく」「社会全体で問題を共有できるようなり理解が深まれば、事件報道によって犯人を糾弾して安心するのではなく、事件から学び、事件の背景にある問題を解決するきっかけになる」と論じた。
 藤賀美枝子は、「触法精神者(心神喪失者)医療観察法案」をめぐるマスメディアの功罪に言及し「一般の精神医療・保健・福祉の改善を後回しにして、犯罪を行うほどまでに病状・生活が破綻するのを待って、そのような状態になったら「手厚い」医療を行うという法案のアプローチは本末転倒の制度設計ではないか。徐々にではあるが、ようやく動き出した地域精神医療・福祉の流れに逆行するものである」と断じた。
 それぞれに、この問題の本質に迫ろうとする姿勢を評価したい。学生たちの指摘は、現役ジャーナリストの次のような反省と重なり合うのではないか。
 「偏見を生んだ五つの社会的背景・精神科病院ヘの隔離収容主義、精神障害者と一般市民の接点の乏しさ、行政による差別、教育機会の少なさ、ふだんの精神障害者のくらしや人間像を伝える報道の絶対不足」(原氏、筆者による要約)。
 「私の過去の記事にしても、ほとんどが精神科医療の「事件」や「不祥事」に関する記事であって、一般的な精神科医療の記事というにはほとんどないのが現状だ」(和田氏)
 「コミュニケーションする相手の特性が鏡に映したように(知的)障害者側に表れるのである。じっくり時間をかければ障害者は理解できるのに、性急な答え(反応)を求める。無意識のうちにこちら側の価値観を押し付ける」(野沢氏)。

推定無罪とすべて匿名報道

 精神障害と強い関係がある、とみられる事件についての報道をパターン化すると、@匿名で、その理由を書く、A匿名で、理由も書かない、B実名で、理由も書く、C実名で、理由は書かない、と4通りの選択肢がある。 どれを選ぶべきか、学生たちの反応は分かれたが、医師の手紙のインパクトはかなり強く、安易な病歴報道の自粛を求める声が多かった。
 ただし、本来は、もうひとつD容疑者は推定無罪の原則を守り、すべて匿名、という選択枝であり、そのモデルとしてスウェーデンでの試行錯誤を紹介した。  同国では早くも1916年に新聞・雑誌の報道への苦情解決機関としてジャーナリスト、新聞発行者らで作る「新聞評議会」が置かれ、69年には、市民代表らを加え、「プレスオンブズマン」も新たに設けた。
 報道された当事者や読者からの苦情、抗議などを両機関で審査する際の判断基準として「論理コード」が作られ「有罪判決まで容疑者の名前は書かない」「有罪でも刑期 2年以上に限る」など自主規制は次第に厳しくなった。
 しかし、1986年2月2日に起きた衝撃的の「パルメ首相暗殺事件」で、朝刊紙「アルべテット」は、容疑者の実名と顔写真を掲載した。「現代史に残る事件の詳細を伝えるべきだ」との編集方針であったが、この人物は人違いとわかり釈放され、同紙はオンブズマンから譴責処分された。88年12月に重要参考人が浮かんだ際にも同紙は実名で報道したが、この人物もまた証拠不十分で無罪になった。
 こんな概要を伝えて学生たちの意見を求めたところ、マスメディアが自主的な「倫理コード」を設けたことへの評価は高かったが、推定無罪の原則を日本でも守るべきだ、との強い主張は意外にもなかった。筆者自身がスウェーデンの匿名報道が逆に裏づけのない記事や不正確な記事の温床になる傾向も招いたこと、隣国のメディアはスウェーデンでの大事件の容疑者らを実名で報道し、国民がそれに容易にアクセスできること、そんなマイナス要因やしり抜け状態も紹介した影響であるかも知れない。
 だが、原氏が精神医療に関わる報道について、反省を込めて指摘したように「実名か、匿名か、という形式的な問題より、どのような内容を伝えるか、という本質的な部分が問われた。これはメディアにとって、かなりハイレベルな要請である。
 それを学生なりにマスメディアに求めていることが、代表例として添える3編のレポートには共通していた。

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