医療費と医療の質の部屋

(1989年2月23日 朝日新聞社説)

 制がん剤と並んで、今後の薬市場の売れ筋とされるのが老人性痴ほう症の薬。
 その第1号として、国の製造承認を受けて老人病院などに広がっていたホパンテン酸カルシウムが、重い副作用も広げていた。

 薬に副作用があるのは避けられないことだろう。
 問題は、それに見合うだけの効用がどれだけあるか、そして適切に使われているかどうかである。
 痴ほう症のおとしよりをかかえた家族は、少しでも症状が改善する薬に飛びつきたい気持ちだ。そこに、この種の薬が安易に大量使用される素地がある。なかには、副作用は少ないが、ほとんど効き目がないものが出回る可能性もある。
 この際、痴ほう症薬全般の効能と副作用を洗い直すことを求めたい。

 今回問題となった薬の副作用の広がりをみると、以前のキノホルムやクロロキンによる薬害の構造に似ている点がある。
 キノホルムは当初、アメーバ赤痢の特効薬として登場したが、やがて下痢一般の治療薬に使われ、とくに日本では整腸剤として長期服用されて、多数のスモン患者を生んだ。
 クロロキンもマラリアの薬だったのが、腎炎やてんかんの患者に適用が拡大されて、被害者を増やした。

 ホパンテン酸カルシウムは、脳内の物質代謝を盛んにする作用を買われて、1978年に、軽い知恵遅れのこどもの言語障害やぼんやりを改善する薬として、田辺製薬が製造承認を受けた。
 5年後に、脳卒中や脳動脈硬化症に伴う意欲低下や情緒障害を緩和する効能が付け加えられるや、日本に多い脳血管性の老人痴ほう症の「救世主」として迎えられた。
 田辺製薬の「ホパテ」のあとにぞろぞろ出てきた29銘柄を合わせて、昨年は300億円の売り上げがあった。この薬を中心に日本の痴ほう症薬市場規模は4000億円にのぼり、老人医療費をふくらましている。

 この背景には、老人病院などでの薬づけ医療があると思われる。この痴ほう症薬には、特別に高い薬価がつけられた。病院にとっては、値引き購入によるもうけの幅が大きいことになる。勢い使用量が増える。
 その結果、因果関係がはっきりしたものだけで11人死亡ということになったが、これがすべてだろうか。この副作用については、2、3年前から医療現場で気づかれ、使用を避ける医師も出ていたが、厚生省はもっと綿密に実態を点検し、薬害防止や患者救済に先手を打つべきである。「後継薬の準備ができてから乗り出す」という疑惑をもたれないような薬事行政を望みたい。

 痴ほう症薬は、脳の刺激伝達物質に作用するので、効き目が劇的であるほど、副作用の方も強いことが予想される。それに、老人の代謝機能は個人差が大きい。きめの細かい管理が必要なのだが、痴ほう症患者は自ら症状を訴えることが困難なので、重い副作用が見落とされがちだ。高齢者医療のなかでの副作用情報システムを再検討する必要はないか。

 薬効は、迅速に、そして客観的な研究者の目を通して見直してほしい。痴ほうの薬物治療そのものを考え直す必要もある。効果がはっきりしないまま、売り上げだけがどんどんのびる薬がはびこると、薬に対する信頼が失われる。
 ますます薬への依存度が高まりそうな高齢化社会で、薬業界や医者の責任は重い。

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