医療費と医療の質の部屋

国民皆保険のない米国のシビアな現状――映画SiCKO(シッコ)を観て――
伊原和人さん 内閣官房内閣参事官

「はい。○○○医療保険お客様窓口です」
「被保険者番号×××のイハラと申しますが、妻が切迫早産で入院が必要となりました。今、救急車がこちら(主治医の診療所)に向かっているので直ちに入院許可をいただきたいのですが・・・」
「ちょっと待ってください。主治医の名前と連絡先、それから入院予定の病院の名前と連絡先を教えてください」
「主治医は○○医師、連絡先は△△△。クリニックの名前は・・・」(隣の看護師さんに教えてもらう)「そう、◇◇クリニックです」
「今、検討しますからちょっとお待ちください」

 先方がそう言ってから10分。診療所に救急車が到着。大男二人に小柄な女性一人がどやどやとやっている。
 受話器の向こうから「この電話は私どもにとって大変重要なものです。お切りにならずにこのままお待ちください」とテープ音の繰り返し。
 それから10分。まだ返事はない。救急隊員の「いい加減にしてくれ」といった雰囲気がびんびん伝わってくる。みかねた看護師が「産まれてしまっては大変だから、保険は後にして病院に向かったら」
「それじゃ、先に行っててください。私は後で追いかけますから・・・」

 搬送ベットに乗せられた妻が救急車とともに行ってしまう。それから返事を待つこともう5分。
「お待たせしました。入院許可がおりました。許可番号は○○○○です。今回の許可は3日間有効です。3日経ってもなお入院が必要でしたら更新いたします。お大事に」

 以上は、8年前、私自身がアメリカ滞在中、妻が入院した際に実際に体験した話である。今回、マイケル・ムーア監督の 「SiCKO(シッコ)」を観て、こうした事情は相変わらずなんだなと、改めて思った。
 この映画は、既にご覧になった方も多いかもしれないが、先進国の中で唯一ユニバーサルな医療保障制度が存在しない米国の医療の負の側面を、隣国カナダをはじめとして、イギリス、フランスそしてキューバのそれと対比させながら描いたドキュメンタリーである。「sicko」とは病人、病気といった意味の俗語らしいが、日本語の「シッコ」もその語感からして何となく情けない状況を連想させ、映画の内容にフィットしている。

 「SiCKO」では、米国で4700万人にも及ぶ無保険者の医療事情からスタートする。冒頭、一人の男が自分の膝の裂傷を自分で縫合するシーンが現れる。続いて、事故で2本の指を切断した男が、手術費用として薬指は12,000ドル(130万円)、中指で60,000ドル(660万円)かかるといわれ、高額な中指は諦めたという話が出てくる。こうした無保険者の医療事情は、日本でも放映されている「ER」でもしばしば登場するが、保険証一枚でどこの医療機関にもかかることができる日本ではちょっと想像がつかない。

 しかし、米国では無保険者だけが悲惨なのではない。無保険者の物語に次いで、保険に加入している者でも、安穏としていられないケースが次々と登場する。がん治療等による高額な自己負担のために家を売り、娘夫婦の物置部屋での暮らしを余儀なくされる夫婦の話、救急車を利用するに当たって保険会社の事前承認を得なかったために保険給付を拒否された話、保険加入に際してとるに足りない既往歴を申告しなかった故に、いざ保険を使おうという段になって給付を拒否された事例など、いわゆるマネジドケアの恐怖物語(ホラーストーリー)である。

 所得の多寡によって保険料が決まる日本では想像できないことであるが、公的医療保障が低所得者(メディケイド)や高齢者(メディケア)に限定され、民間医療保険が基本となっている米国では、年齢が高い、既往歴があるなど、リスクの高い者ほど保険料が高額となる。がんなどに罹患していると事実上、加入することすらできない。我が家でも経験したことだが、入院や手術に当たっては保険会社の事前承認が必要であるし、保険によっては救急車の利用すら、そうした手続きを求めている商品もある。また、医薬品についても保険会社が決めた品目しか使えないというケースも多い。もちろん一部の金持ちや大企業の従業員など高額な保険に加入している者は、自分の望む至れり尽くせりの医療を受けることが可能であるが、米国社会の中にあってはほんの一部であり、多数の保険加入者は、制約の多い保険に入っている。

 自由であることに最大の価値を置き、規制を嫌う米国人がなぜ、こんな保険商品に我慢しているのかと不思議になるくらいであるが、それにはわけがある。
 日本や欧州諸国のように公的な医療保障を基本としてきた国と違って、マネジドケアが普及する以前の米国では、個々の治療費は原則として医師・病院が自由に設定することができた。その結果、個々の医療行為の価格は他国と比べて、極めて高額となってしまった。一度、高額となった価格を引き下げることは難しく、様々な規制を通じて医療費抑制を図ろうとするマネジドケアといえども限界がある。今日なお米国の医療費は、対GDP比でも、1人当たり医療費でも世界一である。この上、自由度の高い仕組みへと立ち戻ることは、保険を提供する事業主にせよ、メディケアを提供する連邦政府にしても、現実的ではなくなってしまっている。

 かくして保険に加入できている中間層も、いざ医療を受ける段になると、自国の医療システムに対する不満を募らせることとなる。どこの国でも医療制度に対する不満はある。「SiCKO」では隣国カナダをはじめ他国の医療が礼賛されているが、これらの国でも入院や手術の待機期間の長さや階層化につながる私費医療の存在など批判も多い。しかし総じてみれば、この映画に出てくるような眉をひそめるような事例は少ない。一言で語れば、より安心な医療システムと言えるだろう。

 米国では大統領選挙に向けて、現時点で民主党候補のトップを走るヒラリー・クリントンが今度こそ国民皆保険の創設をと訴えている。夫の政権時代に彼女自身が手掛けて失敗したテーマだけに捲土重来をというところだろうが、正直なところ、世界一の医療費水準の国で、人口の2割近い無保険者をカバーするだけの新制度を実現することは、至難であろう。選挙戦の展開と合わせて、どこまでゆけるか見守りたい。

 翻って日本である。世界に誇る国民皆保険を標榜してきたが、最近は、産科、小児科の医師不足、お粗末な救急医療体制など、「医療崩壊」などと形容される状況になってきた。世界的にみて低い医療費水準からすると、この問題の解決のためには、もっと多くの資金の投入が必要であろう。選択肢を単純化すれば、公的負担を引き上げるか、それとも混合診療をはじめとする私的負担の拡大となる。政治的には、税にせよ社会保険料にせよ引き上げは容易ではないが、「SiCKO」が教える国民皆保険の重要性を考えれば、懸命に知恵をしぼって、皆で医療を支える仕組みを守っていきたいと切に思う。

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