精神科病院に入院する認知症の人が増えている。しかし、認知症になっても今までの暮らしが続けられるよう、自宅や施設へ訪問診療をする医師がいる。家族からは「入院させるか、心中するかしかないと思っていた。家で介護できるまでになり、本当に感謝している」との声が上がっている。(佐藤好美記者)
千葉県旭市に住む原幸子さん(64)=仮名=は元看護師。しかし、昨年秋、同居の母、トミさん(88)=同=に認知症状が出始めると、親を殺して自分も死のうとまで思い詰めた。
発端は、トミさんが「おカネをとられた」と言い出したこと。娘婿を敵視し、「垂木で殴られた」「『死ね』と言われた」などと触れ回り、原さんが取りなすと、矛先を原さんに向けた。原さんが夫に「母は病気だから我慢して」と言うと、夫婦仲もギスギスした。母親は夜中は大きな音でタンスを開け閉めし、明け方は大声で徘徊する。病気の自覚はないから、医者には頑として行かない。原さんは「不眠とストレスで考えられなくなりました」と振り返る。
その頃、精神科病院「海上寮療養所」が認知症の人への訪問診療をすると聞いた。電話で相談すると、上野秀樹副院長が来てくれた。上野医師は訪問診療で病名診断をし、薬の数を絞り、必要な薬を処方する。徘徊や暴力の理由を探り、家族や生活環境の改善も図る。
トミさんは「オラは病気でねえ」と、処方された薬を飲もうとしなかったが、ケースワーカーが「頭をたたかれて痛かったね」と同調すると涙ぐみ、一転して素直に薬を飲むようになった。症状は劇的に改善。数日後には怒らなくなり、泡を吹いて話していたのが収まり、1週間後には娘婿とテレビを見るまでになった。
上野医師は介護する家族に携帯電話の番号を教え、24時間相談を受ける。「患者さんの状態には波がある。状態の変化も大きいので、次の診察まで放置するより、すぐに薬を調節した方が治療は簡単です」という。
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認知症で精神科病床に入院する患者は平成20年に約5万2千人。9年前の1・4倍に増えた。しかし、上野医師は昨年から約200人に訪問診療を行い、「入院しか手段がなかった人は3人でした」という。入院させずに済む人が入院しているのでは、との思いが消えない。「精神科病院は生活の場ではないので、認知症の人を入院させれば身体機能が低下し、症状が悪化することもある。薬による治療に効果があることが多いので、自宅で治療できる可能性がある」と指摘する。
多くの人が歓迎する認知症の訪問診療。受診を拒否する認知症の人は多いから、これが突破口になると期待もされる。しかし、こうした医療は提供する側も受ける側も採算が合わない。病院間の訪問診療では、治療費は入院病院が請求するルールだが、長期入院を扱う病院はしばしば個別の治療費が請求できない。
海上寮側も「うちの人件費は安いが、先生の人件費にもなりません」(病院事務)という。上野医師が24時間態勢で電話を受けても"すずめの涙"だ。それでも続ける理由を「キリスト教系の病院ですし、ボランティア精神ですかね」(同)という。しかし、ボランティア精神に頼っていたら取り組みは広がらない。認知症の人も家族も救われない。
サンケイ新聞 ゆうゆうLife 2010.12.17より