患者経験者と遺族に学ぶ部屋
「患者様」から「パートナー」へ
31人の患者体験者と遺族が教壇に立った国際医療福祉大学大学院の乃木坂スクールの記録が 『患者の声を医療に生かす』という本になりました!!!!!!!
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☆「初めての講座、初めての本、ぜひ一読を」 高久史麿さん(日本医学会長/自治医大学長)の書評
「でんぐりがえしプロジェクト」をご存じですか?
病気を体験した人々を教師に、医療や福祉の専門家を生徒にする研修チーム(写真@)に会って、その暖かい雰囲気に魅せられてしまいました。左の2人は統合失調症のご本人、右がソーシャルワーカーです。
精神科領域だけではありません。写真Aの男性はデュシャンヌ型筋ジストロフィーのため、いわゆる人工呼吸器を24時間離せません。指も数ミリしか動きません。けれど、特製のスイッチで電動車いすやパソコンを操り、患者会の仕事をし、ヘルパーの助けでダンスや結婚生活を楽しんでいます。自宅にしつらえられた様々な仕掛けを紹介しつつ、医学生に教えています。
●「社会に信号を送る」
「でんぐりがえし」に出会う前の1993年、病気や障害を経験した当事者24人に参加していただいて、丸1日のシンポジウムを企画したことがあります。体験者ならではの提言を社会に発信していただこうという思いからでした。当時、私は、朝日新聞の論説委員でしたので、紙面でもご紹介しました。タイトルは「老いても障害をもっても輝くために」
登壇者のひとり、石田吉明さんは大阪から、車いすで、点滴しながら参加してくださいました。幼いときから血友病とつきあわなければならない日々。医師の勧めるままに輸入血液製剤を使い、それがもとでHIVに感染していました。
予言は実現し、ハートビル法が、交通バリアフリー法が誕生しました。患者がパートナーとして参画するHIV拠点医療機関も一歩を踏み出しました。
●「固定観念がどんどん変わっていった」
当事者に発信していただく試みをその後も続けながら、気がかりなことがありました。その声が、行政や社会一般の人々には届いても、医療スタッフからの手応えがないのです。
受講料を払ってまで聴講生が集まってくださるだろうか、最終回まで通ってくださるだろうか。企画メンバー一同ヒヤヒヤしながらの船出でした。ところが、大教室を埋める方々が、昼の仕事や勉強の疲れも見せず、毎週駆けつけてくださいました。責任あるポストについている医師、ナース、ソーシャルワーカー、医療や福祉の仕事を志している若者、医療分野に関心をもつジャーナリストたち……。しかも、実に真剣に受け止めてくださいました。ある病院のリーダーは最終回の後でこう書いています。
「毎回提出してきたレポートを読み返して、自分の変化を知りました。患者や医療被害者への固定観念がどんどん変わっていったのです。最初のレポートでは、家族会や患者会の存在に『脅威』を感じていると書きました。その自分が今、ここで得た情報を身の回りの職員や患者家族に伝えています。勇気をもって壇上で話して下さった皆様と出会えたことに感謝します」。
どのレポートにも熱い思いがあふれていました。
●知識・戦略・行動力、そして、共感
振り返って、思い当たる理由がいくつかあります。
第3は、講師たちが、切実な思いに突き動かされて、現に医療を変えてきた実績と行動力、そして戦略です。
第4は、だれもが患者に、家族に、そして医療事故の被害者になりうる事実を実感したことでしょう。看護教育にたずさわり、「看護の基本は3度の確認」と繰り返し説いていたベテランナース(写真Bの中央)が、消毒薬を点滴されて亡くなることになった原因を冷静に分析しつつ、夫は涙を堪えきれず、しばしば絶句しました。
毎回2時間、あわせて26時間の出来事を100人余りの記憶の中にだけにとどめておくのはあまりにもったいないと、医療分野に造詣の深い文化人類学者の服部洋一さんが、この上なく見事に凝縮、再現してくださいました。それが第2部です。 (『患者の声を医療に生かす』(医学書院)のまえがきから)
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