北欧ところかわれば・留学生発


ヨーヴィーク便り1(April 24, 2001 3:11 PM)

突然ですが、ノルウェーに出発することになりました。

ヨーヴィーク・カレッジの保健学科(Avdeling for helsefag, Hoegskolen iGjoevik)を拠点に、11月まで、ノルウェーの痴呆性高齢者を巡る状況を調査してきます。

ヨーヴィーク市は、オスロから124キロ、電車で約2時間北に上がったところにあります。
冬季オリンピックがあったリッレハンメルの南に位置します。94年のオリンピックのときに山をくりぬいて作ったアイスアリーナが町の自慢です。知人は「ゼムクリップ発祥の地!」と主張しています。

4月30日成田から出発します。


ヨーヴィーク便り2(May 08, 2001 5:03 AM)

皆さんお元気にお過ごしですか。
ノルウェーと久々のオップランド県・・・なだらかな山と湖が滋賀っぽいんです。
ご想像の通り元気いっぱいです。インターネットにもつながり、ノルウェーから第一報をお送りいたします。
まず今日までの出来事をいくつか。

●5月1日昼 
オスロのメーデーを見に町に出ました。LO(日本の連合のようなものでしょうか)ビル前広場で労働党の党首が演説をしたあと、オスロの目抜き通りをさまざまな労働組合や政党、団体がデモ行進をするので、それについて行きます。
今、こちら議論されている病院改革(sykehusreformen 県病院を100%国の管轄にしようというもの)反対!というのが目立ちました。

ノルウェーらしいなあと思ったのはイラン人労働者たちが「僕らにもストライキをする権利を!」とデモをしていたり、学生が「学生用の住宅を増やして!」「自然をまもれ!」とデモに参加していることでした。また別の団体では「パレスティナを支援せよ、イスラエルをボイコットせよ」、「タミール人のアイデンティティーをまもれ!ノルウェーは支援せよ」「世界中のホモセクシャルのために」と、労働運動にあまり関係のないものまでありました。通りでは多くの人がデモ行進を見物しており、この日はノルウェーの人にとってはお祭りのような感覚らしいです。

3歳くらいの小さな男の子が画用紙に「動物を殺さないで!道路に車を止めないで!」と書いて体の前と後ろにつけています。
お母さんにノルウェーはこんな小さな子もメーデーに参加するの?と聞くと、「昨日、家族でメーデーの話をしていたら、僕も何かしたい!と言ってね。じゃあ何を訴えようか考えて、プラカートを作るの手伝ってやったのよ」とのこと。
3歳児にメーデーの話をする家庭があるのか、と感心してしまいました。写真撮っていい?と男の子に聞くと、いや!と3回断られ、3歳児の意思に反することはできませんので、写真はあきらめました。

この日の党首演説の時にあった事件。演台近くにいたヤーグラン外相に向かって、ケーキが投げつけられました。
家主のスィリーは、「ノルウェーでは発言する権利が保障されていて、意見があれば首相でも党首でも、官僚にでも電話をして自分の意見を言えばいい。それができる国なんだから」と言っています。
なるほど、当たり前ですが、話ができるようにすれば実力行使にでる必要もないんですね。日本はどうでしょう。
政治家や行政に署名を集めてもっていったとしても、形だけ受け取る、あるいは、話もほとんど聞き流しているのではないでしょうか。
市民と政治家と行政が一緒に議論して政策を作っていくという図からはほど遠そうです。
ちなみにノルウェーのロビー活動はEUに対してぐらいだそう。捕鯨に関しても分が悪いですしね。

もう一つのLOニュース。次期LOリーダーがGerd-Liv Valla という女性に決まりました。
初めての女性リーダーで、公的部門の組合出身です。スウェーデンでも現LOリーダーは女性。
看護・介護職など女性の多い職種の組合はともかく、それらをすべてとりまとめるLOとなると、ノルウェーでも男性ばかりの組織のように思われています。そこに女性リーダーが出たというのは、すごい話だと思いました。LOトップにもどんどん女性を登用していく考えだそうで、その女性のためにも、また子供のいる若い男性のためにも、仕事と家庭を両立できるような組織にしていくとのことです。
リッレハンメルでお世話になっていた先生に「これを聞いてヨーヴィークの私はびっくりしてしまいました」とメールを送ると、「彼女は君もよく知っている〜先生の仲のよい友達だよ。僕も会ったことがあるけど、まあOKって感じ」と。
ノルウェーって、4人くらい人をたどれば首相にでも、国王にでも、Ah−haのボーカルにでもつながるような、狭い国です、ほんとに。

長くなってしまいましたが、とにかく元気にしていることをお伝えしたかったのでした。
まもなく夜の10時。少し暗くなってきました。終わります。


ヨーヴィーク便り3(May 14, 2001 1:08 AM)

こんにちは。ノルウェーは今夜から雨だそうです。雨になる前に、ベランダで日光浴を楽しみながら、メールを書いています。こちらへきてもう2週間です。

昨日、うちの家主のスィリー(50)と一緒に、彼女のお父さんグンナル(82)を訪ねました。
グンナルはここから車で15−20分ほどの隣のコミューネ(市)に住んでいます。
20年前にスィリーの母と離婚してからは、その大きな家で一人暮らしです。一般的にノルウェー人の家は大きいのですが、82才になった彼が独りで住むには少し広すぎるような気もします。

「湖に出る桟橋を造り直しているんだ」というのを聞いて、スィリーと見に行きました。桟橋はまだ作りかけでしたが、本格的な夏には間に合いそうです。もちろん彼一人でできるはずもなく、娘の夫、孫の恋人が手伝いに来て、3世代での仕事です。
「こんな力仕事を昔はどうやってこなしていたんだろうな」グンナルは今回の桟橋修理で、初めて肉体的な衰えを感じました。

「父さん、夏までにどんな仕事がまだ残っているの?」「テラスの掃除かな」では、というわけで、湖とは反対側のテラスの掃除をスィリーとグンナルと私で始めました。冬の間、テラスに押し込まれていた荷物をすべて出して掃除し、夏用の緑色のマットを敷き詰め、テーブルセットを置きます。
2時間ほどですっかり夏の準備ができました。「二人が来てくれたおかげで、思いがけなく大仕事ができた。
一人だったらする気にもならなかったよ」やっぱりこの家を彼一人で保持していくのは大変そうです。
それでも近くに住む子どもたちやその家族、友人が頻繁に訪問して何かと助けてくれますので、まだまだ自立生活を続けられそうです。グンナルには庭の小屋の改修やそのほかにもまだまだ計画があります。
友達とのおしゃべりにも忙しいし、68才の恋人とのつきあいもあり、精神的にまだまだ若い。

・・・が、それができなくなったとき、いったい彼はどんな支援を受けて、どんな生活を送るのでしょう。
町のケア付き住宅などではないので、車いすでも暮らしやすい家とは言えません。
できる限りそれまでの生活を続けられるような支援やサービスを提供していきたい、というのがノルウェー社会の考えです。「ノルウェー人は住み慣れた土地と家に執着する」とこちらの環境省の人から聞きましたが、それをどこまでどんな人が支えているのでしょうか。
具体的な支援、サービスを調べるのはこれから半年の課題です。

「さ、仕事はここまでにして、休憩にしよう」きれいになったテラスに、グンナルが自分で焼いたチョコレートケーキと井戸からの冷たい水を持ってきてくれました。82才の男性が作ったケーキでもてなされるって、ちょっと、素敵だと思いませんか。・・・というわけで、3切れも食べてしまったのでした。;)


ヨーヴィーク便り4(Friday, May 18, 2001 9:21 PM)

こんにちは。5月17日といえば、ノルウェー人にとってはとても大切な憲法記念日です。
ノルウェーには、約450年間のデンマークとの連合、約100年間のスウェーデンとの連合という時代があり、自分たちで統治する国、自分たちで作った憲法、自分たちで行う教育、そして自由と自立を手に入れることがノルウェー人の長年の祈願でした。1814年、デンマークがナポレオン戦争で破れたのを機に、デンマークの属国だったノルウェーはスウェーデンに引き渡され、その連合は1905年まで続きます。しかし、1814年5月17日、ノルウェーは自分たちで憲法を作り、スウェーデンにもなんとか認めさせました。現在ではこの5月17日が独立の象徴の日として祝われています。今日はこの祝日の様子をお知らせします。ちょっと長くなりそうです。

昨日からうちの家主スィリーはずいぶん忙しそうにしていました。ケーキを焼いて、ポテトサラダを作って、テーブルクロスを選び、ブーナード(こちらの民族衣装)のシャツにアイロンをかけて、大小の旗を出してきて、家を掃除し・・・。大切なお祝いの日のようですから、準備も念入りです。オスロの友人によると、ノルウェー人はこの日のために、国旗と同じ色の花を花壇に植えて飾るのだとか。日本のお正月のようなのりでしょうか。
何を着たらいい?と聞きますと、「一番いい服を着る日よ!」となんだかうきうきしています。

さて、いよいよ5月17日。7時にドーン、ドーンという大砲の音が鳴ると同時に、家主は国旗を揚げます。
ノルウェーの国旗をご存じでしょうか。赤の地に白と青の十字です。赤は夕日、白は雪、青は氷河の色を表します。
多くの家に旗を揚げるポールか旗を立てるフックがあり、国旗は普通、朝の7時から夜の9時(冬は日没まで)まで揚げておきます。国旗に敬意を示して、出しっぱなしにはしません。

町で何があるのかを見に、7時半に家を出ました。7時45分、駅前の記念広場で町の楽団と合唱団(うちの家主もメンバーです)が並んでいます。この記念広場には二人の男性の像があり、その下には、第二次世界大戦で亡くなったこの地域の人の名前が刻まれています。憲法記念日が象徴するのは自由と自立。
終戦によって、ノルウェーはナチズムから再び自由を取り戻しました。戦死していった仲間の犠牲に敬意を表して、式はこの記念像の前で行われます。集まってきたのは40人くらいでしょうか。大半が60,70代らしき人たち。朝早くにもかかわらず、女性は多くがブーナード、男性もブーナードかスーツにネクタイ。
ノルウェーでこんなにたくさんの人がびしっと決めて集まっているのを見るのは初めて。なるほど、これはほんとに大切な日らしい。

司会の女性が挨拶し、楽団と合唱団の演奏。そして、ある男性が話をします。役所の人の話にしては?堅苦しくない話し方です。「5月17日は、ノルウェーが自由と自立を手に入れた日。・・・
今日多くの難民がノルウェーにやってきます。しかしノルウェーにも、自由を奪われ、国を持たない彼らと同じような時期がありました。自由と自立は何もせずに保ち続けられるものではありません。
そのためには平和を守り、民族主義を許してはなりません。・・・5月17日には子どもたちが町を行進してまわります。
この国の未来を背負う彼らが、自由と自立を守り続けるように・・・」そして"Ja, vi elsker dette landet (Yes, we love this country)"という国歌を歌い、15分ほどで会は終わりました。
「おめでとう!引き続き、よい一日を!」集まった人がお互いに挨拶をして帰っていきます。結構あっさりしていました。

5月17日にはそれぞれの地域でさまざまなイベントが開かれます。ヨーヴィーク市では音楽会などが催されました。
朝の式も含め、この日のイベントはすべて市民による運営です。たとえばうちのアクティブな家主は一昨年まで「5月17日委員会」のリーダーでした。5月17日委員会が何をするか相談して、この日の計画を立てます。
後で聞いて驚いたのですが、朝の式で話をしたのは市長でも市議会の議長でもなく、なんと高校の歴史の先生でした。
「市長?だって今日は市民のデモクラシーの日よ!」

・・・なるほど。これを聞いて、ふと日本を思ってしまいました。日本は民主主義の国だって言いますが、さて本当にそうでしょうか。2001年1月に滋賀の草津市がノルウェー人を招き、都市計画にいかにして女性の声を反映させていくか、というシンポジウムを開きました。そのノルウェー人というのは環境省の官僚なのですが、「ノルウェー環境省は社会を作っていくための民主的な方法をいつも模索し続けている」と言っていました。

ここで私が大切だと思うのは、「民主的な社会」ではなくて、「より民主的な方法で社会を作っていく、その方法」なんです。ノルウェーは、「主権が国民にあるのは当然。問題はその意思が政策に正しく反映されているか」そういうことをいつも振り返って見直している国のように感じられました。うちの家主と話していると、ああ、市民社会って言うのはこういうものなんだなぁ、よく思います。市民が自分たちでまちを動かしていく、とでも言えばよいでしょうか。日本の自治体でも完全に市民団体やNPOに運営を任せてしまった方が、おもしろい催しを開けるのではないかと思います。行政の役割についても考えてしまいます。

さて、ヨーヴィークでは歴史の先生というのがこの日にぴったりの人選で、誰もが彼の話を気に入った様子でした。
楽団と合唱団の人たちにはその後、町で一番のホテルで朝食がふるまわれます。私も家主についてホテルの朝ご飯を楽しんできました。:)

9時半、ホテルを出て、大きな通りに向かいます。次は「5月17日の行進」です。スウェーデンとの不本意な連合時代、ノルウェーの作家ヘンリーク・ヴェルゲランHenrik Wergeland が子どもの行進を組織したのがこの伝統の始まり。
学校のブラスバンドや町の楽団が演奏し、その後ろを小・中学校、クラス別に国旗をもった子どもたちが歌ったり、ばんざーい!いう感じでしょうか、「フラッ、フラッ、フラー!」と声を上げて歩きます。
さらにその後ろにはルスRussという高校での最後の試験を終えたばかりの生徒たちがそろいのつなぎ服を着て大騒ぎでついていきます。町によっては大人もその後ろで行進します。沿道はこの行進を見るために集まったブーナードやスーツ姿の市民でいっぱい。沿道の人も行進している人もみんなが国旗を振るので、なんだか真っ赤な川の流れのようです。

「この日はうれしくなるの?」と隣に立っていたおばあちゃんに聞きました。「だって、特別な日だからね。子どもの行進を見るのはほんとに楽しみだねぇ」

若い世代やうちの家主も、5月17日をそれほど重要に感じなくなったと言いますが、それでもとくに戦争を経験しているお年寄りには感慨深いものがあるようです。そんなわけで、多くの地域で、この行進はシュークイェム*、病院などにいるお年寄りが部屋やベランダから見られるように、わざわざその近くを回るようなルートにしています。
ちなみに、こちらでは日本と違って、高齢者施設は町の便利なところに作られますから、電車に乗って人里離れたところにまで行くというわけではありません。私が立っていたのは大きな病院の前でしたが、車いすのおじいさんがスタッフに付き添ってもらってバルコニーに出ていました。どういう関係かは?ですが、小さな黒人の男の子が旗をもって、そのそばに寄り添って立っていました。

行進は11時半まで続きますが、家の近所を行進が過ぎると、私たちは家に帰りました。「さ、次はテレビ!」と、今度はテレビで各地のお祝いの様子を見ます。この辺も日本の「行く年、来る年」っぽいです。ヨーヴィークでは見かけませんでしたが、オスロの行進では国連の旗も一緒に掲げて歩いている学校がいくつかありました。
ノルウェーの愛国心というのは決して国粋主義、民族主義的なものではないんだなぁと感じさせます。

オスロでは、子どもや楽団の行進はカール・ヨーハンス通りを抜けて、王宮に向かいます。王宮ではロイヤル・ファミリーがバルコニーに出て待っており、みんながその下を挨拶しながら歩いていきます。今年は、8月に結婚する王子とその婚約者メッテ・マーリットが注目を浴びています。二人ともにっこり笑って手を振っていました。
メッテ・マーリットは、実はシングル・マザー。議論もあったようですが、彼女が王室にはいることに大半の国民は反対していないそうです。

今日は残念ながら雨で寒かったのですが、普通は5月17日というと暖かくなり出す頃らしく、今シーズンはじてのアイスクリームを食べる日なのだとか。行進に参加した子どもには、加えてソーセージが振る舞われます。
午後、家主はコンサートに出かけ、私は朝が早かったので昼寝。うちでは夕方から、スィリーの父グンナル、友人たちを招いてのパーティーが開かれました。多くの家で、親しい人が集まって食事をともにするようです。
みながそれぞれに料理やお酒を持ち寄り、遅くまでおしゃべりに花を咲かせます。楽しいひとときです。
夜の12時まで続くと、さすがにみんな疲れた様子でしたが、それでも最後まで飲んでいるあたりは、やはりノルウェー人。

・・・2001年のヨーヴィークでの5月17日はこんな感じでした。4年後の2005年にはスウェーデンとの連合をやめてから100年になり、大きな記念行事が催されるとのことです。ほんとに長くなってしまいました。
最後まで読んでいただいて、お疲れさまでした。終わります。

*ノルウェー語のsykehjemシュークイェムは、英語ではnursing-home,日本語では特別養護老人ホームと訳されています。
しかし一般的な居室水準やスタッフの配置、具体的なケアなどをみてみると、シュークイェムで提供されるサービスは日本の特別養護老人ホームやアメリカのナーシングホームのそれよりもはるかに質の高いものです。
サービスの質があまりに異なるため、sykehjemには特別養護老人ホームやナーシングホームという訳語は適さないと判断し、あえてカタカナ読みでシュークイェムと呼ぶことにしました。これは、ノルウェーのsykehjemに相当するデンマークの高齢者ケア施設pleihjemを大熊由紀子さんがプライェムと呼ばれるのに習うものです。


ヨーヴィーク便り5(Sunday, May 27, 2001 11:33 PM)

こんにちは。日本はそろそろ夏の暑さと梅雨が始まっているそうですね。みなさん、お変わりありませんか。
こちらの5月初旬の暖かさは、やはり幻でした。まだ少し寒くなることも多く、時々暖房を入れています。

先日のある晩、うちの家主と「施設のケアスタッフの質」の話をしていました。ノルウェーでは大半の人が3〜4週間の夏休みをとるので、この期間は多くの職場で学生などのアルバイトが働いています。
高齢者福祉施設では普通の時期でさえ人手不足で、それに加え、夏には多くの学生が働くことになると言います。
「学生たちはケアの教育は受けているの?」「もちろん受けてないわよ」「・・・それできちんとケアできるの?」
「ケアのレベルは落ちているはず」「学生がおむつを替えたりするわけ?」「そう」・・・
「スカンディナヴィアなら、ケアの質はある程度守られているはず。学生アルバイトが夏の間、おむつ換えをしているなんて!」
と少しがっかりした気分で、部屋に戻りました。しかし、ベッドで横になっても、なぜだか眠れません。

・・・ですがそこでふと思いました。「なんで私はこんなにおむつのことばっかり考えているの?」

私は日本でこれまでに2つの特別養護老人ホームで夜勤を体験させていただいたことがあります。
夜の間に2度、大きなワゴンにバケツとおしぼりと新しいおむつを積んで、スタッフの方と4人、2人部屋を一つずつ回ります。寝ておられる方に声をかけておむつが濡れていないかをみて、濡れていれば手早く替えていきます。スタッフの方はみな、眠気・疲労と戦いながら、それでも優しく声をかけておむつを交換しておられました。「すごいなー、スーパースタッフだ」と感心してしまいました。夜勤は夕方の4-5時から始まり、以後ほとんど仮眠の時間もなく、翌日の8-9時頃まで働きづめ。
ベッドに寝ておられる何十人もの方のおむつを交換するというのは決して楽な仕事ではありません。
前かがみの姿勢を続けますから、すぐに腰が痛くなります。私がお会いしたのは若いスタッフの方が多かったのですが、この仕事はいつまでも続けるには肉体的にもきついとのことでした。この夜勤体験は私に「ケアスタッフの仕事=おむつ交換」というイメージを焼き付けてしまいました。

話はずれてしまいますが、おむつで思い出すのが草津市のシンポジウムでのことです。
ノルウェー環境省から招いた講師への質問用紙に、「ノルウェーでもおむつ公害はあるのか、聞いてください」というような内容のものがありました。おむつ公害???私もなんのことだか分からず、ノルウェー人も「おむつ・・・?」と不思議そうな顔をしています。後の交流会で、滋賀で環境保護活動をしておられる市民団体の方が説明してくださいました。

日本の高齢者施設では毎日、あまりにたくさんのおむつが使われ、その処理に多くのお金がかかっているのだそうです。
そう言えば、京都のある老人病院で、お金がかかるというので適切なゴミ処理をせず、そのままおむつを下水に流したところ、病院の外のマンホールからおむつと汚物があふれ出てきた(のだったと思うのですが・・・)という、おそらくノルウェー人には理解しがたい事件がありました。

ノルウェー人に聞く前に、その女性に説明してみました。「まず、自分でトイレに行けるお年寄りにまでおむつをしてベッドに寝かせきりにしておくのは、日本だけだと思います。ノルウェーを含め北欧では、できるだけ長く、家で普通に近い生活を送れるよう、それをサポートする形でケアをしています。"念のため"おむつをしている人は多いかもしれませんが、"トイレの代わりに"おむつをしている人は日本に比べ、圧倒的に少ないと思います。
だから日本のおむつ公害に当たるようなものはないんじゃないですかねぇ」すると、「えぇ〜、じゃあ、おむつ公害は高齢者福祉の貧困が問題、っていうことなんですね!はぁ〜、目から鱗って感じ!」私も、日本では環境問題に発展するほどおむつが多用されていることを改めて知り、驚きで見開かれた小さな目からコンタクトレンズが落ちそうになりました。

「食事介助、入浴介助、おむつ交換と排泄介助、これだけで一日が終わってしまう。僕たちだって、一人一人の入居者の生活の質を上げていくようなケアをしたいけれども、とてもそんな時間がないんです」
特別養護老人ホームのスタッフの方はそう嘆いておられました。彼の言葉は多くの日本の施設で当てはまるのだろうと思います。

ノルウェーのケアスタッフの仕事も、おむつ交換がメインで、そんな仕事を何の経験もない学生アルバイトに任せているのかと思ってしまっていたのです。しかし、ヨーヴィークの中心地にあるシュークイェムを見に行ったときのことを思い出しました。そこでは6-7室の個室を1ユニットとして、とくに痴呆症のお年寄りのケアを行っています。日本で使われるユニットケアという言葉はノルウェー語にはありませんが、skjermet enhet シェルメ・エンヘート(protected unit)と呼ばれ、高齢者施設の内部をユニット化してより小さなケアの環境をつくり、スタッフの数を増やして専属でケアを行っています。

『ユニットケアのすすめ』(外山義、辻哲夫、大熊由紀子、武田和典、高橋誠一泉田照雄 2000 筒井書店)
のなかで外山義氏は、スウェーデンでは「グループケア」「グループ居住」という考え方をしていて、施設のなかにユニットがグループホームのような形で内包されている、また、日本語のユニットケアのユニットとはliving unit 生活ユニットの略であり、「暮らしや生活を大切にしたケア」を行うのがユニットケアであるとしています。
そのような形でケアをしているのであれば、一晩に二人のスタッフで50人近くのおむつ換えを、2回、3回行うということはありません。

ノルウェーと日本ではケアの内容が違うんだ、とここまで考えて、やっと眠ることができました。
おむつ交換以外のケアとはなんでしょうか。特養のスタッフの方がおっしゃっていた「一人一人の入居者の生活の質を上げていくようなケア」の部分だと思うのですが、まだあまり現場を見に行っていませんので、具体的には未だ分かりません。

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水曜日から2泊3日でオスロに行って来ました。介護家族の方にお話を伺い、日本人の友人たちからノルウェーの王室の話やそのほかの社会のこと、知的障害をもつ子どもを巡るノルウェーでの状況などを聞いてきました。
こうやって、たまに日本語でノルウェーのことを話し合える環境があるというのは、リフレッシュ、相談、激励、情報交換、そして慰め合いとおいしい食事を一緒にできるので、ありがたいです。
それから日本米とヴェトナムラーメンなどなどたっぷりと買いこみ、そのために背負っていった登山用のリュックサックは帰りには17キロになっていました。今、台所には日本米が積み上げられており、感動的。:)))

追伸:ノルウェーにお住まいの方へ
今夜22:30からNRK1か2で"Brobrygging"という番組があります。
いろんな宗教観、価値観をもった8人が橋を造りながら神や人生観について議論をします。
うちの家主も人道主義者という肩書きで出ており、今週は彼女の特集です。私の愛すべき家主、見てください。そして私の毎日を想像してみて下さい。

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