医療事故から学ぶ部屋

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 日本の医療を変えるきっかけになるかもしれない提言書が、2003年3月24日、枚方市長に手渡されました。
 医療事故がなかったら12歳の少女になっていたはずの星子ちゃんの思いが、枚方市民病院の職員や外部監察委員に乗り移った、そんな提言書でした。

 話は1990年12月に遡ります。
 星を見るのが趣味の新婚カップル、勝村久司さんと理栄さんは、初の赤ちゃん誕生を控えワクワクする日を送っていました。スポーツ万能の理栄さんは、つわりも軽く妊娠の経過はまったく順調でした。

 ところが、定期検診を受けた日、思いがけないことを、主治医の副院長から告げられました。陣痛の兆しもなく、予定日は先のことなのに、入院せよというのです。入院した理栄さんは、「子宮口を柔らかくするお薬」を一時間ごとに与えられました。そして、未明、異常な子宮収縮に襲われ、しかも、放置されたのです。

 翌朝、久司さんの職場に、帝王切開の承諾を求める電話がかかりました。
 駆けつけた久司さんに主治医はいいました。「赤ちゃんはたぶんダメでしょう。奥さんの方は2、3日が峠でしょう」
 理栄さんは何日も死線をさまよった末、命はとりとめましたが、星子ちゃんと名付けられた赤ちゃんは、わずか9日間、保育器の中で生きただけで亡くなりました。

 なぜ、こんなことに?
 高校の理科の教師である久司さんは、その謎をつきとめようと決心しました。それが、いくつものユニークな活動(これそ、真のボランティア活動だと私は思うのですが)、に広がってゆきます。
 まず、分かったのが、「子宮口を柔らかくするお薬」の正体でした。

グラフ@:出生数・12月を例に グラフA:出生数・2001年5月
グラフB:出生数・時間別出生数

 日本の赤ちゃんの異様な生まれ方を示す3つのグラフをご覧ください。日本の赤ちゃんが「何日に生まれてきたか」「何時に生まれたか」を、厚生労働省人口動態統計をもとに、久司さんがグラフ化したものです。
 グラフ@Aは、赤ちゃんが生まれた数の月日による変化を見たものです。5月も12月も、出生数が周期的に鋭く落ちていることにご注目ください。出生数が激減するのは土曜と日曜、ゴールデンウィーク、お正月、成人の日です。
 グラフBを見ると、午後1〜2時という、病院にとって都合がよい時間帯に生まれる赤ちゃんの数が、深夜の2倍半にものぼることがわかります。

 このような奇妙な曲線になるのは、病院が子宮を人工的に収縮させる「陣痛促進剤」を利用して出産の日時を操作し、人件費を節約していることと密接な関係があることを勝村夫妻は知りました。
 出産日を「平日の午後」に変えることは、一見、安全のように思われるかもしれません。ところが、そこには危険が潜んでいます。この薬に対する感受性は人によって大きな差があります。注意深く観察し、異常が起きたら敏速に処置する体制が不可欠です。ところが、理栄さんの場合を例にとるとは、夜間は、助産婦一人が新生児室と陣痛室をかけ持ちしていました。
 人工的な急激な子宮の収縮は、子宮破裂や仮死出産を招くリスクをはらんでいます。生まれた赤ちゃんに脳性マヒなどの後遺症を残したり、母体の死を招いたりします。待ち望んだ赤ちゃん誕生の日が、母子の命日となってしまった例も少なくないのです。

 陣痛促進剤がほんとうに必要なケースがあるかもしれません。けれど、その場合は、24時間態勢で観察、検査、処置ができる先進諸国なみの体制が不可欠です。それがなければ、母子は危険にさらされます。海外では、「病院は常時フル態勢」が常識です。「夜間や土日は手薄でよい」という日本では、妊産婦死亡率が先進諸国と比べまだまだ高いのです。

 勝村さんは「陣痛促進剤による被害を考える会」の出元明美代表とともに被害者を少しでも減らそうと活動するようになりました。

 裁判も起こしました。その証拠資料として診療報酬請求明細書(レセプト)を共済組合に求めた勝村さんは「厚生省の指導で見せられない」という言葉に驚きます。
 理由を尋ねると、「プライバシーの侵害になる」「癌だと本人にショックを与える」など、勝村夫妻にとっては奇妙なものばかりです。わが子の診療内容を確認するデータを親が、なぜ見られないのか。「育児にかけたはずの時間で、この理不尽さと闘おう」と、勝村夫妻は「医療情報の公開・開示を求める市民の会」を設立しました。

 粘り強い交渉の末、97年、厚生省(当時)は「遺族を含め、レセプトを開示してよい」、という方針転換に踏み切りまし。「病名を知ってもかまわない」という本人の意思さえはっきりしていれば、レセプトは開示され、非開示は例外的ということになりました。
 大阪高裁も、99年3月、「医師が経過監視を怠った」と病院側のミスを認める判決を言い渡しました。

 今、国民医療費は歯止めなく膨張しています。問題なのは「額」より「使われ方」です。
 勝村夫妻が提唱する「レセプトを窓口でもらおう」運動が広がれば、医療の中身はまともな方向に向かうはずです。
 患者の目に触れると思えば、不正請求も減ることでしょう。
 医療関係者はこれまで、技術料への評価の低さをはじめとする医療保険制度のひずみを嘆いてきました。レセプト開示は、こうしたひずみを市民の目の前にさらし、ともに改善していくチャンスにもなることでしょう。

 枚方市民病院に話を戻しましょう。
 この病院では、その後も患者軽視の事件が続きました。

 たとえば、名誉院長である外科医が、乳癌でない女性の乳房を切除し、それが知られそうになってデータを改竄したことが明るみに出ました。
 新院長の山城國暉さんは、勝村夫妻を病院の研修に招く決心をしました。独断でした。裁判を起こしたというだけで、勝村さんの名前を聞くと顔をしかめる人もいたからです。

 ところが、2000年12月15日の研修会には病院職員の4割にあたる職員が参加しました。勝村夫妻の話は職員の心を揺さぶりました。職員たちは「勝村さんに申し訳ない」と頭を下げ、こう発言しました。
「これは、病院が再生するためのスタートです」
「事件について、私たちはあまりにも知らなすぎた。問題意識がなかった」
 山城院長は「医療過誤を防ぐ以外、信頼回復はできない」と、監視の組織を設置する方針を表明しました。
 ナースのトップである同病院の看護局長、山内かずよさんは、勝村夫妻が書いた本『ぼくの星の王子さまへ−医療裁判10年の記録』(発行:メディアワークス、発売:角川書店)本をたくさん注文して、看護学生の教育に使い始めました。

 そして、2002年、地元医師会長が座長、勝村さんが副座長をつとめる外部委員による医療事故等防止監察委員協議会が発足しました。その提言は、「カルテの全面開示」を含んだ思い切ったものでした。
「医療ミスが起きたら、カルテのコピーを家族に直ちに渡すこと。そのことで、改竄は防げる」
「カルテの開示請求があれば、本人だけでなく遺族にも、例外なく必ず開示する」
「医療事故防止のために、権限をもった専任のスタッフを置く」。

 信頼が地に落ちた市民病院から、日本一信頼される市民病院に変身できれば、あとに続く病院がきっと出てくるでしょう。
 日本の医療がまともになるきっかけになることでしょう。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』[旧・『月刊ボランティア』]2003年4月号に加筆)

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