医療事故から学ぶ部屋

(94)医療の質の向上と患者安全のための制度の改善を考えるシンポジウム
〜制度開始から10年「医療事故調査制度」の課題と展望〜2024.10.19
(木村doctorのパワボを他の機会につかわれるときは、ゆき経由でご連絡を、とのことです)
50年前に書いた記事を見つけました。このような“道徳”が、行政や医療・福祉の世界で続いているのでは??と気がかりです。
(90)日本医療機能評価機構「再発・類似事例の分析」が「役にたつ」と現場で評判です
「小児への薬剤10倍量間違い」「患者が持参した薬を院内の処方に切り替えたときの間違い」etc.具体例に即し、 薬剤・検査・治療・処置・医療機器などに分類して、再発を防ぐための分析が示されています
年間2万2800人の患者が医療過誤で亡くなっている と推定されている日本。群馬大学病院では2010〜14年にかけて手術後の患者が相次いで亡くなりました。 この事件を、個人の責任追及でなく原因を究明し再発防止に役立てようと検証したこの分野の第一人者による『患者安全への提言』。講演とシンポジウムの模様がアップされました。当日のパワポは以下を。
群大事故が遺した課題と、その後の日本の医療
 名古屋大学医学部附属病院患者安全推進部教授 長尾能典雅さん
群馬大学附属病院の腹腔鏡手術事故の外部委員を経験して
 宮崎大学医学部看護学科生活・基盤看護科学講座基礎看護学領域教授 甲斐由紀子さん
患者安全と患者の権利
 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授・元NHK記者 隈本邦彦さん
法的観点からの報告書の分析とそこに込められたメッセージ
 神谷法律事務所弁護士 神谷恵子さん
患者安全への提言〜群大病院医療事故調査を振り返って〜
 群馬大学附属病院医療事故調査委員 勝村久司さん
『患者安全への提言』―外科診療の課題―
群馬大学附属病院医療事故調査委員長 上田裕一さん
『患者安全への提言』の書評(医療の質・安全学会誌から抜粋)
(68)都立広尾病院事故から20年
このサミットは、各国や国際機関のリーダーに患者安全の重要性を浸透させることを目的とし2016年3月にイギリスのロンドンで初めて開催され、ドイツのボンで2回目の開催、塩崎厚労大臣(当時)の提唱で第3回がアジアで初めて日本で開催されました。2日間で44カ国の代表団、国際機関等、座長や講演者、一般参加者etc.約500名が参加。18カ国からは閣僚が参加して、2030年までに世界中の患者と人々に対し、避けられる全ての有害事象やリスクを低減することを目指し、患者安全の向上のためのグローバルな行動を呼びかけた「東京宣言」をとりまとめました。
(62)医療事故調査制度ガイドライン作成にかかわった専門家によるセミナー
『医療事故調査制度について』
名越究さん 厚生労働省医政局総務課医療安全推進室室長
『医療事故調査等支援団体の役割』
今村定臣さん 日本医師会常任理事
『薬剤に関連した事故調査について』
土屋文人さん 日本病院薬剤師会副会長
『医療事故調査制度における調査の流れ、センターの役割』
木村壮介さん 日本医療安全調査機構常務理事
『院内事故調査の標準手順について』
長尾能雅さん 名古屋大学教授・医学部附属病院副院長
(61)身体拘束されて10日後、心肺停止になったニュージーランドの青年の理不尽な死
(60)「ジョージィの物語」〜ソレル・キングさんとジョンズホプキンズの関係から学ぶこと……早野ZITO真佐子さん セミナー「医療者が、患者・家族とともに、より安全な医療を推進するために」2016.11.27より
病院主導の事故調査では再発防止は困難/2種類の医療事故と「医療犯罪」と
「遺賊発言」をした医師兼弁護士は、この検討会で積極的に発言しました。
「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」などと話し、スライドにも同様の表現があったという。居合わせた遺族は、「遺族を面白おかしく表現した言葉に場が笑いに包まれ、ショックでいたたまれなかった」と話している。
医療の良心を守る市民の会10周年記念シンポジウム 2016.6.26
自由民主党政務調査会医療事故調査制度の見直し等に関するワーキングチーム2016.6.9
読売新聞2016.6.7夕刊
毎日新聞2016.4.9朝刊
フランス高等保健機関前理事長 ローラン・ドゴースさんの2015.10.19の講演から
時論公論NHK解説委員・土屋敏之さん 2015.7.9
時論公論NHK解説委員・土屋敏之さん 2015.7.9
木村壮介さん(日本医療安全調査機構・中央事務局長)
日本医学ジャーナリスト協会総会・特別講演2015.5.20
……毎日新聞 2015.4.22朝刊
骨抜きにされ効力に不安/第3者性と透明性の確保重要
医療情報の公開・開示をもとめに市民の会世話人・勝村久司さん
手術で死亡全て報告を/再発防止へ遺族と原因を理解
京都大学医学部付属病院 医療安全管理室長・松村由美さん
(42)産科医療補償制度 再発防止に関する報告書 日本医療機能評価機構
……小宮英美さん(NHKチーフ・プロデューサー)
……隈本邦彦さん(江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授)
文中の「最初に問題を感じた麻酔科医が退職に追い込まれたという経緯」の詳細については、「ことしもまた、新たなえにしを結ぶ会15!!!!!!!」のプログラム「★なぜ内部告発しなければならなかったのか?」を。
スタート直前に異例の検討会委員の入れ換え。あらたに加わった委員は「調査報告書は遺族には渡さない」「再発防止策は報告書に書くべきでない」「薬の取り違えなどの単純エラーはよくあることだから、予期できたものにあたり、報告・調査しなくてよい」(読売新聞)という、国際常識とかけはなれた主張を繰り返しましたが、塩崎厚生労働大臣のリダーシップで「とりまとめ」にこぎつけました。
施行に係る検討会の終結にあたって 患者の視点で医療安全を考える連絡協議会 2015.3.20
制度実施に向けての日本医師会見解 2015.3.20
朝日新聞の記事 2015.3.21
問われる医療事故調査 NHK科学文化部 稲垣雄也記者2015.3.26
(36)群馬大学事件
「手術成績良好」と学会報告」 読売新聞2014.11.17より
「厚労省『開腹』も調査へ」 読売新聞2015.3.4より
「閉鎖的な診療体制・最終報告」 朝日新聞2015.3.4
「最終報告要旨」
解説 「肝細胞がんの手術」 「転移性肝がん」(公益法人がん研究会HPより)
(35)医療版事故調をめぐる社説
(34)医療版事故調が危ない!
医療事故が起きた時、航空機事故調査のように、専門的・中立的な立場から事故原因を調査し、再発防止をはかってくれる“医療版事故調”の設置は医療事故被害者の長年の悲願でした。家族の死が教訓として医療安全のために生かされれば「無駄な死ではなかった」と諦めることもできる、「原因を知りたい」という一心で、訴訟を起こしたりしないでもすむ。そんな風に考えている遺族が少なくありません。
そして、その第三者機関「医療事故調査・支援センター」の設置が、2014年6月の関連法の改正で決まり、2015年10月には制度がスタートすることになったのですが、にわかに、暗雲が立ち込めています。政権与党の一部の議員が厚生労働省に制度の骨抜きを迫ったのです。

(33)第1回日本医療安全学会学術総会:2014.9.22 東京大学で
第三者医療事故調査制度の早期設立を求める参議院会館院内集会での報告から
江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授の隈本邦彦さんが、当事者の看護師を許すようになった心境を医療事故の遺族である永井裕之さんに聞いています。
「真実を知りたい」「2度と同じ悲劇をくりかえさないで欲しい」という願いがあふれています。
医師が逮捕されたことから医療界を揺るがせた「大野病院事件」。この裁判の傍聴を続けてきたジャーナリスト、鳥集徹さんの「論座」(朝日新聞刊)2008年9月号の記事です☆
「事故、失敗は隠さず、患者さんが気付く前に話す」「過誤があれば謝罪する」「ミスをした個人は責めない。ただし、隠した場合は許さない」「必ず具体的な対策を講じ公表する」と宣言し、実行している、社会保険相模野病院院長・内野直樹さんたちの壁にぶつかりながらの実践。
class="mokuji"> (15)「小さな病院の実験」(pdf)
ジャーナリスト・辰濃哲郎さん/「医薬経済」08年5月15日号より
「大野病院事件」が、医師たちの関心を集めています。論ずる前提として、まず事実関係を知ることから始めたいと思い、朝日新聞「論座」2006年7月号に載った、ジャーナリスト・鳥集(とりだまり)徹さんの記事をアップしました。ご遺族にもインタビューをアップすることを了承していただきました。
(11)いい仕事するために休もう 記事1記事2
勤務医と同様、過酷な労働にさらされているのがジャーナリストです。救急医から共同通信社の産業医に転身した医師へのインタビューとその死をアップしました。
(全国社会保険協会連合会医療安全対策委員会)
pdfで35ページあり、ダウンロードに時間がかかりますのでご注意(^_-)-☆
「医師研修に医療事故被害者が講師役」など画期的な内容を含むWGの報告書が厚生労働省のHPにアップされました。東海大学付属病院の事故を医療の安全に生かすため奔走した堺秀人さんが座長、(1)星子ちゃんが残した「医療情報開示」への道に登場していただいた勝村久司さんの提言を大幅に取り入れた報告書です。
「見習い看護婦」と呼ばれていた無資格の女性を「ニセ看護婦」と書いて物議をかもした記事です。我妻堯さんはこの記事がもとで……
「調査報道」という言葉がなかった時代、被害者の家を一軒一軒訪ねてつきとめた事実。記事として陽の目をみるまでが大変でした。
私が初めて書いた医療事故の記事、3分の1世紀前のことでした。若き日の故遠藤誠弁護士のねばり強い仕事が印象的でした。
優しき挑戦者・勝村久司・理栄夫妻の12年

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