医療事故から学ぶ部屋

※写真にマウスポインタをのせると説明が表示されます


(20)どうなる医療安全調査委設置法案/医療に正直文化は根づくか
隈本 邦彦さん

医療被害者の夫が言葉につまったその理由は?

2009年4月、医療安全調査委員会早期設置を求めて福岡市で開かれたシンポジウム.そこに出席していた私は、パネリストとして登壇した永井裕之さんの"ある発言"を聞いて,とても感銘を受けました.
みなさんご存知とは思いますが,永井さんは,1999年2月に起きた東京都立広尾病院の薬剤取り違え事故の犠牲者,永井悦子さんの夫です.

広尾病院に入院中だった悦子さんは,点滴のへパリンロックの際にヘパリン加生理食塩液(以下へパリン生食)と消毒薬を取り違えられたために亡くなりました.ちょうどその1か月前に起きた「横浜市立大学病院患者取り違え事故」とともに,日本の医療事故の現状が多くの国民に知られるきっかけとなった大きな事故でした.

最愛の妻を亡くした医療事故から10年余.この日のシンポジウムで永井さんは「医師たちは『永井さん,いまは10年前とすっかり変わりましたよ』というけれども,いったいどこが変わったのか.全国でどれだけ医療事故が起きているのか、その件数さえ明らかになっておらず,医療界が再発防止にまじめに取り組んでいるとは思えない」と発言しました.
そしてその発言の最後に.いつも冷静な語り口の永井さんが,こみ上げてくるものを抑えきれず言葉につまってしまったのです.
「すみません,この話をすると涙が出てきてしまうので……」
そう言いながら語ったエピソードは,私の心に深く刻まれるものでした.

事故にかかわった2人と被害者の夫とのその後

「妻の事故には2人の看護師がかかわっていました.へパリン生食の注射器と消毒薬の注射器をとりちがえて妻の床頭台に置いたA看護師,それに気づかず点滴ラインに注入してしまったB看護師の2人です.この2人は毎年2月11日の妻の命日には必ず花を贈ってくれるのです.事故から10年経った今年も贈ってくれました.
事故のことを心から謝ってくれているのは病院のなかでこの2人だけです.でも東京都は2人をクビにしてしまいました.安易に辞めさせたりせず,経験を再発防止に役立ててほしいと私も嘆願書を出しましたがダメでした.私はある意味でこの2人も事故の犠牲者といえるのではないかと思っています」

2人の看護師は,事故後,業務上過失致死罪で起訴され,有罪が確定したのち東京都職員を辞めさせられました.この事故の発生の背景(発生誘因)として,この病院では,@消毒薬をヘパリン生食と同じ色の注射器で計量することが認められていたこと,A患者別に薬をまとめた専用トレイを使っていなかったことなど数々の安全管理システム上の問題点が指摘されました.
ですが,その点は考慮されず,単に禁固刑以上の刑事罰が確定したからという理由で機械的に2人は辞めさせられたのです.医療事故に対して「なぜ起きたのか」ではなく「誰が起こしたのか」と対処する,いわゆる責任指向の対応がとられた象徴的な出来事でした.
永井さんは続けました.

「私はこの2人がどうなるのかとても気がかりだったのです.でも2人ともいまは結婚されて,子どもさんもできて,穏やかに暮らしているそうです.それが私にとっては救いです」
なんと永井さんは,事故で自分の妻を死なせた2人の看護師の行く末を,まるで自分の娘のように心配していたのでした.

永井さんはなぜ2人を許せたのか

シンポジウムのあと東京に戻った私は,永井さんにくわしい話を聞く時間をつくってもらいました.
「永井さんは,2人の看護師のことを許しているんですか?」
「まあ,許している,といっていいかもしれませんね」
「奥さんを死なせる原因をつくった相手をどうして許せるのですか」
「それは……たぶん,2人が事故のあと,真実を言ってくれたからですね.結局,あの病院で真実を語ってくれたのはあの2人だけだったから」
私はさらに聞きました.

「2人が真実を語っている,心から謝っている,と永井さんが感じた,何か決め手の言葉とかあったのですか?」
「いや,そんなものなかったけど,2人が焼香に来てくれたときに,私はそう思いました.あとで事故報告書や警察の調書などを見たけれど,そこでも2人はずっと正直に本当のことを言ってくれていたと思います」
A看護師は,悦子さんの救急処置が始まった直後に「薬を間違えたかもしれない」と気づき,その事実を救急医に告げています.また,事故翌日の病院幹部を前にした会議でも,「間違えたかもしれない.それしか考えられない」と涙ながらに訴えています.

ところが病院は,当初その事実を永井さんら遺族には伝えませんでした.そしてその後も,なかなか事故であることを認めず,解剖結果が出たあとも「事故の可能性は高いが病死の可能性もある」などと述べていました.
そうした態度に不信感をいだいた永井さんが,もし病院が届け出ないなら自分が警察に届ける,と強く迫ったため,病院側は事故から11日後にようやく届出をしたのです.永井さんは,医療事故で肉親を失ったうえに,それを隠そう・ごまかそうとする病院側の態度によって二重に傷つけられたと語っています.

医療事故再発防止は「正直文化」の定着から

「結局、医療安全調査委員会の設置を含め、医療事故の調査・再発防止の問題は,日本の医療に正直文化を根づかせることができるかどうか、という問題なのです.もし医療者が,起きたことを正直に話してくれて,謝罪してくれて,再発防止策をちゃんとはかってくれたら,遺族は裁判なんて起こす必要はないのだから」と永井さんは言います.
「でも現場の人がいくら正直であろうとしても,病院のトップがそういう態度をとらないかぎりそれはできないのですよ」
まさにそのとおりです.

いま日本国内で医療事故による死者が何人出ているのか,厚生労働科学研究をもとにした試算では,年間2万4,000人にのぼるとも指摘されています(拙著「医療・看護事故の真実と教訓」ライフサポート社参照).
それだけ多くの犠牲者がいれば,その数以上の医療従事者が自分の起こしてしまったミスに悩み,苦しんでいるはずです.それを正直に言えず,素直に謝罪もできないとするならば,その悩みや苦しみは倍加するといっても過言ではありません.

永井さんは,毎年2月に花が贈られてくるとすぐにお礼の電話をして近況を聞き,そして夏が来ると生まれ故郷長野の名産の桃をお礼に贈るのだそうです.今年もおいしい桃をありがとうございました,と書かれたB看護師からの礼状を,うれしそうに私に見せてくれました.
医療界の,とくに病院長など指導的立場にある人々が,この永井さんと2人の看護師の話をどう受けとめるのか,ぜひ聞いてみたいと思います.

隈本 邦彦(くまもと くにひこ)さん
江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授
1980年NHK入局,報道局社会部厚生省担当記者,科学文化部記者,医療担当デスクなどを歴任し,主な制作番組は,NHKスペシャル「院内感染」「カルテは誰のものか」など.2005年秋にNHKを退職,北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット特任教授着任,2008年4月から現職.北海道大学客員教授,藤田保健衛生大学客員教授も兼任.

※医療安全調査委員会
医療事故の死因について第三者的立場から調査する委員会.厚生労働省が設置を検討している.2008年6月に示された医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案によると,医療機関の届出や遺族の求めに応じて,遺体の解剖や医療機関の立ち入り検査,カルテなど資料の精査,関係者への事情聴取などを実施する.メンバーは医師が中心で法律家らも加わる.制度スタート後は中央の委員会と各地方の委員会が設置される予定.調査結果は公表され,再発防止にも役立てられる.

(月刊ナーシング2009年11月号「ニュースでわかる日本の医療」より)

▲上に戻る▲

医療事故に学ぶ部屋の目次に戻る

トップページに戻る