えにしの本のエッセンス
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関根千佳さん著『「誰でも社会」へ  〜デジタル時代のユニバーサルデザイン〜』(岩波書店)より
ISBN4-00-023752-7 C0036
誤解1、ユニバーサルデザインって、ものやまちを全くのっぺりした平坦なものにすることでは?
もちろん段差はないほうがよいが、単にフラットにすればいいというものではない。ユニバーサルデザインとは、見ても美しく、かつ、アクセシブルであるという状態なのだ。階段は歩きやすく、持ちやすい手摺りをつけよう。デザインのためだけに、無用な段差をつけるのはやめよう。もしスロープが必要ならきれいなものにしてね、という意味なのだ。Webサイトだって、テキストだけのつまらないページは絶対いやだ。使いやすくて、かつ美しくなかったら、少なくとも、わたしはお金を払いたくない!
誤解2、ユニバーサルデザインが普及すると若者が怠けるようになって困る。老人のリハビリのためにも階段だけでよいのでは?
ユニバーサルデザインは、階段とエレベーターとエスカレーターが、どれも「選べる」ことを目指す。若年層でもたまには足も折れば荷物もある。子どもの手を引いて妊産婦が階段を降りるのを見てあぶなく感じることはないだろうか? いつもは元気な高齢者も、体調によってはエレベーターを使いたい日はないだろうか? 階段でころんで歩けなくなる率は減るし、もし杖や車椅子を使うようになっても、エレベーターでどこへでも行ける。寝たきりになってもITで社会参加できる。いろんなリハビリがあっていいのではないか?
誤解3、ユニバーサルデザインは軽い障害者だけを一般製品でカバーするもので、重い障害者の切捨てにつながるのでは?
最も重い障害者にできるだけ使えるよう配慮するのがユニバーサルデザインの基本である。多くの人が使えるというのであれば階段やエスカレーターだけでいいかもしれない。例えば電動車椅子ユーザーでも使いうるという発想から、エレベーターのほうがよりユニバーサルデザインという結論になるのである。できるだけ重い障害の人も使えるようにデザインすることで、より軽い障害の人も、障害を持たない人も、メリットを受けられるというのが本来の目的なのだ。
誤解4、すべての障害者が使えるものは、結局誰にも使いにくいものになるのでは?
建築物であればオプションを増やす、情報機器などはカスタマイズするなどの方法で、周囲とあまり違わない使い方ができるのが正しいユニバーサルデザインである。一つのものがすべての障害者に使えることを目指すのではなく、個々の障害者や高齢者が使えるよう配慮され、その利用がお互いを阻害しないような設計が求められる。近視用の眼鏡と遠視用の眼鏡は、みかけはそっくりで誰も使い方を間違わないが、完全に自分にフィットしている。空気や特殊素材の椅子は誰の体型にも合わせやすいかもしれない。自分が使いやすい機器がどこへでも持ち運べてそれをいつでもどこでも問題なく使えるよう、周囲の環境がデザインされていることも、大事なユニバーサルデザインだと思う。
この続きは、本で、注文は、http://www.udit-jp.com/company/sekine_book.htmlへ。
「障害をお持ちの方にはテキストファイルを送ります」とのことですので、関根千佳さんのアドレス、 csekine@udit-jp.comに直接どうぞ。 |
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