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えにしの本のエッセンス

故・外山義さんの『自宅でない在宅−高齢者の生活空間』(医学書院)より
ISBN4-260-33291-0

■スウェーデン留学での喪失体験は、貴重でした■

スウェーデン語を体得するまでは本当につらかったですね。一種の喪失体験でした。おなかがすいたというような簡単な意思の疎通はどうにかなりますが、学問上の議論になると黙るしかない。ヨーロッパでは会話に参加できないと、言いたいことがないのだろうと放っておかれますから、人格まで縮小してしまう。その自分を自分自身が受容することが、なかなかできませんでした。
これは高齢者も同じではないかと思います。足が弱くなったり耳が遠くなったり。高齢期というのは、ある種、喪失体験の連続です。そのなかで残存能力を使いながら、再度、自分なりのバランスを再構築するのが老後のテーマではないでしょうか。
私自身がスウェーデンで喪失体験をしたことによって、施設に入居するお年寄りの気持ちが深く理解できるようになりました。非常に貴重な体験でしたね。(巻末のインタビューより)

■人と出会うためには「身の置き所」が必要なのだ■

あたかもお互いが存在しないかのように、同じ空間のなかで没交渉に暮らす。それはまるで、現実の4人部屋・6人部屋の生活のなかでは、他者と一緒にいることの「負の教育」がされているのと同じである。すなわち一緒にいることは楽しいことではなく、トラブルも起こるし、ストレスも生じてしまうということを、意識下で日々刷り込まれているようなものだ。そういう生活のなかでは、人と共にいることが楽しいことだという原則自体が否定されているに等しい。
こうした実態を踏まえるならば、居室の個室化は、それによって一人ひとりの身の置き所を保障し、一人になる逃げ場(自分を取りもどせる空間)を保障することをとおして、他者と交流する意欲がわいてくるのを促すところにポイントがあるといってもよい。すなわち高齢者施設の居室スペースを個室化することは、孤立・孤独の心配とはまったく逆に、「人と出会う」、あるいは「人と交流する」意欲を回復するためなのだと筆者は思っているのである。
そもそも多人数居室における交流促進論をふりかざす施設管理者、介護職員あるいはいわゆる世間一般の人びとは、みずからは誰にも気兼ねなく過ごせる「気まま空間」を自宅にしっかり確保したうえでこうした言説を主張しているわけで、多人数居室に暮らされる高齢者ご自身は、そうした「逃げ場」のない状態のなかで四六時中他人の視線にさらされながら生活しているのである。しかもかれらは、そもそも個室か多人数居室かを選択したり、判断したりする状況に置かれてはこなかったのである。(U章「個室=引きこもり」か?より)

以下は、目次のエッセンスです

T.地域と施設の生活の「落差」
1.3つの苦難
2.さまざまな落差
「空間」の落差/「時間」の落差/「規則」の落差/「言葉」の落差/最大の落差――「役割」の喪失

U.落差を埋めるための「思考」
1.個人的領域の形成
「身の置き所」という視点/私物と個人的領域/施設のなかで個人的領域をどうつくるか
2.実証的「個室批判」批判
「個室=引きこもり」か?/「個室にすると仕事が増える」か?/「多床室だと互いに助け合う」か?/個室化という視点からケアを考えなおす
3.中間領域の重要性
居室間の関係/居室と共用空間の関係/共用空間のあり方

V.落差を埋めるための「実践」
1.ユニットケア
生活単位とは/ユニットケアの多様なハード/ユニットケアにおける生活/職員の人数とケアの質/ケアの質と量はどう変わる/4つのチェックポイント
2.グループホーム
グループホーム登場の背景/グループホームとは何か/グループホームにふさわしい環境とは
3.協働生活型高齢者居住
三反田ケア付き仮設住宅の一日/日常の会話量を比較してみる/「食」をめぐる多彩な暮らし感

注文は、http://www.igaku-shoin.co.jp/から、メールでもできます。

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