優しき挑戦者(国内篇)
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聖路加国際病院名誉院長、聖路加看護大学名誉学長の日野原重明さんは、「お年よりの希望の星」として目下、引っ張りだこです。
2000年に立ち上げた「新老人運動」も、メディアに話題を提供し続けています。「会報や講演会・インターネットで体験を語る」「詩歌・絵などの作品発表の場を作り磨き合う」「元気、長寿の秘密を解き明かすために生活習慣と健康診断のデータを提供する」を3本柱に、「老人にもまだまだ出番と能力はある」と75歳以上の人々に呼びかけたところ、1万円の会費をものともせず、会員が増え続けています。
冴えているのは頭脳だけではありません。この2002年10月91歳を迎えた身だというのに、書物がぎっしり詰まった10キロものカバンを両手に持ってサッサッと歩きます。追いつくのが大変です。飛行場の動く歩道に乗らず、乗っている人たちを追い越すのが無上の楽しみだそうです。階段も一段ずつ飛ばして駆け上がります。
■医療界のタブーに次々と■
でも、長年、医療と福祉の世界を追ってきた私からみると、これは、日野原さんのごくごく一面に過ぎません。凄いのは、過激さを笑顔に包み、タブーに次々と挑戦してきたことです。
たとえば、20年ほど前、私が「名医が答える健康バイブル」というインタビューシリーズを担当していたときのこと、日野原さんは、ズバリこう、断言しました。
日野原さんのタブーへの挑戦で特筆すべきは、「患者が参画する医療」に道を開いたことです。
「医者が独占していた医療を周辺技術者や患者に解放することで患者への情報公開が進み、従来の医療や医者のあり方に再考を促す。患者志向の医療システムを作っていくうえでの第一歩になると考えたのです」
看護婦さんの地位を高めて医師のパートナーにするために奔走もしました。日本では、医師たちが看護婦さんを家来のようにあつかう風潮が長く続いてきました。日野原さんはこれに猛然と反旗を翻し、看護の大学や大学院を創設し、博士課程までつくったのでした。
■仕掛けた時限爆弾が、今■
「雑居から個室へ」の流れを作り出す先頭にも立ちました。
「プライマリーケア」を普及するためには、こんな激しい表現をしました。「医者は心筋梗塞とか癌の患者がくると獲物を見つけた動物のように張り切る。けれど、なんとなく疲れたといった患者さんを、疎んじるんです」
日野原さんが仕掛けた時限爆弾、20年、30年をへて、あちこちで爆発し始めました。 |
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