優しき挑戦者(国内篇)
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「優しい」と評判の若い職員が、認知症※高齢者グループホームで起こした事件が2005年2月、明るみにでました。朝日新聞と読売新聞の石川県版はこう書いています。
続発する事件は、介護には、人間への深い理解と専門知識、技術が不可欠であることを教えてくれます。「介護は誰でもできる単純労働」という日本に根強い常識がどんなに危険かを証明しています。
そのことに気づいて、多彩で地道な活動を展開してきた、ボランティア精神の塊のような人たちが今回の主人公です。
大谷さんを受け入れたフォルケ・ホイスコーレの校長、千葉忠夫さんは、26歳のとき、リュック一つでデンマークへ渡り、50歳が近づいたとき、廃校になった小学校を買い取り、福祉の懸け橋の場をつくった人です。大谷さんは、ここでの日々で、2つのことに気づきました。
以来、スタッフたちはデンマークで毎年、肌で感じる研修をするようになりました。デンマークの実習生を引き受けて、交流がさらに深まりました。
この年、「痴呆ケア研究会」も大牟田市に生れました。市の介護保険課とパートナーの関係で、会員数はいま560人。まず、認知症コーディネーターの養成に取り組みました。研修は2年間で計280時間。受講生は看護師やケアマネジャーたち。講師陣はデンマークから、日本各地から、第一人者が顔をそろえます。
デンマークにヒントを得た絵本作りのプロセスもユニークです。「誤解や偏見をなくすには、認知症の人が価値ある存在であることを、子どもの頃から学ぶのがなにより」という考えから、研究会のメンバーが、身近に認知症の祖父母がいる子どもたちの話を聞き、物語をつくりました。
夜になるとにぎり飯をつくり始める祖母、行方不明になってしまう祖父に、主人公たちは初め戸惑いますが、やがて、病気と知り、祖父母の身になって考え、寄り添う心が芽生えていきます。
2004年4月には、同市駛馬(はやめ)南地区の住民たちが「はやめ南人情ネットワーク」を設立しました。ボランティア組織、郵便局、警察、タクシー会社など様々な人が手をつないで、認知症になっても、住み慣れた町で暮らしつづけるように見守る仕組みです。
1月30日、1200人が集まって「認知症高齢者への"新しいケア"の可能性を探るフォーラム2005」が開かれました(写真C)。認知症コーディネーター研修を終えた一期生7人が祝福を受けました。フィナーレには、古賀道雄を市長が「大牟田市は、認知症の人とその家族を地域全体で支え、市民が認知症を超えて、安心して豊かに暮らし続けることができるよう、まちづくりを推進してまいります」という「フォーラム宣言」を読み上げました
一人の思いが1000人を超える人に、そして全市に広がりつつあります。
※痴呆症と認知症 (大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年3月号より) |
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