優しき挑戦者(国内篇)
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☆崩れた"言い訳3点セット"☆
グラフをご覧ください。人口あたりの精神科ベッドの国際比較です。人口あたりのベッド数も、入院期間も、日本だけが異様です。この事実は長年、"秘密"にされていました。厚生省の通称『精神保健福祉白書』の国際比較グラフは1990年代になっても77年でお終い、おまけに日本は、別のページに分かれて載っていたからです。
日本だけ飛び抜けてベッド数が多く、入院期間が多い理由を、精神病院の経営者や事情に疎い担当官は繰り返しこう説明していました。 「日本の家族は、回復しても引き取ろうとしない」海外の国々でも条件は同じなのに、精神病を体験した人々が町で暮らしています。そこで、私はこれに「言い訳3点セット」というあだ名をつけました。
この日本独特の言い訳を覆す事態が、北海道の十勝圏域で進んでいます。精神科のベッドも入院日数もぐんぐん減っているのです。この10年間で970床から540床になりました。人口あたりのベッド数でみると、北海道平均の半分以下です。
「志への共感が、人の心にボランティア精神の火をつける」という法則は、ここでも、生きていました。 ☆「退院不可能な人々」のはずが……☆
話は、30年ほど前にさかのぼります。後に日本精神保健福祉士協会(通称PSW協会)の初代会長となる門屋充郎さんと医師の大江覚さんが勤務先で出会ったのが縁で意気投合、理想の精神医療を語り合った、それが始まりでした。
82年、閑静な住宅街に、4畳半の個室が廊下を挟んで並ぶ賄い付き下宿「朋友荘」をつくりました(写真B)。5つの病院から16人がここに退院しました。一つの病院の「専用」でないのが凄いところです。
"管理人"は、勤務先が違う5人のソーシャルワーカーが買ってでました。自宅の電話を入居者に伝え、365日24時間応援する体制を組みました。 ☆深謀遠慮が実って☆
97年からは、バストイレつきのワンルームマンションに挑戦しました。写真DEのような洒落たつくりですが、家賃・光熱費は生活保護でも支払える値段です。
写真Fはふつうの就職が難しい時期の人々の仕事を支える帯広ケアセンターの玄関に集った利用者たち。ここを基地にさまざまな仕事を展開しています。野菜や花をつくり、写真Gのように売り子もつとめます。市の仕事を請け負うリサイクルセンター(写真H)、うつ病になった地元の六花亭の職人が秘伝を伝授してくれたクッキーハウス「ぶどうの木」(写真I)、食事づくりが不得手なメンバーや一般市民のための軽食喫茶「あしたば」、帯広市役所の展望フロアの喫茶店「フロンティアハウス」(写真J)、帯広駅の中のアンテナショップ(写真K)、ジョブコーチが付き添ってのユニクロ、スーパー、家具店での仕事……。
「社会復帰訓練」を終えた人々を、「地域の偏見を取り除いた上で」退院させる、という従来の常識がここでは逆転していました。 ↑図A:十勝の医療・社会資源(クリックで拡大します) (大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年7月号より) | ||||||||||
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