優しき挑戦者(国内篇)

※写真にマウスポインタをのせると説明が表示されます



 出会った人の目からウロコを剥がしてしまう、そして、なぜか元気にしてしまう、不思議な魅力をもった盲目の元脳外科医が今回の物語の主人公です。



●第1の奇跡:「急患ですよッ」

写真@:救命救急センターの脳外科医としても活躍

 時計を10年前の冬に戻します。北海道のニセコスキー場に、横浜市立大病院の脳外科グループが親睦旅行にきていました。そのひとり、佐藤正純さん(写真@)が、軽い気持ちで当時流行のスノーボードに挑戦しました。ところが大きく転倒し、頭を激しく打って意識不明に陥ってしまったのです。
 不幸中の幸い、まわりは脳外科医だらけです。札幌医大に運び込み、頭の中にできた血の塊を取り除きました。頭蓋骨の半分を外すという大手術でした。にもかかわらず、脳はどんどん腫れ上がってきます。札幌医大初の低体温療法を試すことになりました。体温を摂氏32度に保って2週間、命は何とかとりとめることができました。

 ところが、声をかけても、好きな音楽を流しても、意識は戻りません。
 そのとき、ひとりのナースが、正純さんが肌身離さず身につけていたポケットベルに気づきました。耳元で鳴らして、叫びました。
 「佐藤先生!急患ですよッ!」
 正純さん、目を開け、何か言いたげに口を動かしました。
 脳挫傷を負って4週間目、ナースが起こした"奇跡"でした。



●第2の奇跡:バンド仲間と冬ソナ

写真A:2人目の赤ちゃんが妻、真保さんのおなかに、事故はこの半年後に

 こうして意識は戻ったのですが、目が見えなくなっていました。
 目から入った情報は網膜から視神経を伝わって脳の後ろ側にある視覚中枢で色や形や文字として認識できるのですが、そこが壊れてしまったのです。
 記憶も失い、かけがえない幼い娘の名も思い出せません(写真A)。「1年は何日?」と聞かれても、答えられません。高次脳機能障害でした。うまく、口がきけません。歩くことも、ままなりません。

写真B:事故の前年つくられた
プロ顔負けのポスター

 そんな正純さんに、再び奇跡が起こりました。
 正純さんは群馬大学医学部時代にはモダンジャズ研究会に属してピアノを受け持っていました。横浜市大に移ってからは、NKST(ネクスト)というセミプロ級のグループに加わりました。NKSTはメンバーの頭文字で、Sは佐藤をあらわしています(写真B)。
 札幌から横浜の病院に転院するやいなや、仲間たちは駆けつけました。そのとき、フト思いついて小さなキボードを持ち込みました。それに手を触れるやいなや、正純さんの指が自然に動き出しました。ジャズのスタンダードナンバーでした。

 「冬ソナ」のヨンさまが、高校の音楽教室のピアノに向かうと、記憶喪失しているはずなのに見事に弾けてしまう、あの感動の場面そっくりです。
 仲間たちは言いました。
 「脳外科医佐藤は死んだかもしれないけれど、ジャズメン佐藤は生きていたねっ」
 写真C、Dは、それから10年たった2005年11月、ドラム担当の手塚好久さん(写真Dの右から2番目)の防音リビングに集まった「ネクスト」の面々です。写真C左からアルトサックスの平山恵一さん、チェロでバスを受け持つ久保田耕朗さん、ピアノの正純さん、ビブラフォンの西村公貴さん。写真には入っていませんが、正純さんがリハビリ中に参加したピアノの渡辺憲一さんがこれに加わります。
 では、話を再び、10年前に戻します。

写真C:NKSTの仲間たちと
の週一回の練習に参加できるように 写真D:練習のあいま、冗談続出のひととき


●「これ以上、何をお望みですか?」

 この日を境に正純さんは、リハビリテーションに本格的に取り組み始めました。リハビリテーション病院では、水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ〜 涙のあとには虹も出る〜 歩いてゆくんだしっかりと〜」と歌いながら自主訓練に励みました。毎朝の歌の時間の伴奏を買って出て、「歩くカラオケ」と重宝されました。リハビリ訓練は楽しいことと結びつけなければ、というのが正純さん流です。

 1年半後、身体障害者手帳をもらって退院。ところが、通院先の担当医の口から出たのは、冷たく響く言葉でした。「これ以上、何をお望みですか?」
 正純さんはいいます。
 「脳外科医時代、私も、患者さんに辛い診断を告げなければならないことがありました。でも、こんな言い方はしなかった。医者の風上にも置けないと憤慨しました。でも、いまでは、感謝しているんです。よくぞ、そこまで言ってくれた、と」

 「よおし、挑戦状を受けてやろう」と決心した正純さんは、目が見えないなら、耳で記憶を蘇らせようと決心しました。点字図書館から医学系の雑誌や週刊誌の録音テープ図書を借りてきては、覚えようとしました。けれど、高次脳機能障害の身の悲しさで、右から左への忘れてしまいます。
 そんな時、母の順子さんが日本盲人職能開発センターを見つけ出しました。そこで、パソコンの音声読み上げソフトと出会うことになりました。
 半年間でパソコンをほぼマスター。パソコンによる"読み書き"が可能になって医学知識はみるみる蘇りました。地図をアタマにしっかり刻み込んで、どこへでも一人で出かけられるようになりました。
 これを跳躍台に専門学校の非常勤講師の職を得ることができました。最新の医学知識を毎週、多くの友人医師から仕入れて講義に臨む真剣な仕事ぶりです。

 バンド仲間で、チェロ担当の久保田耕朗さんは、当時のことをこう振り返ります。
「失った機能と残された機能の狭間で苦悩する佐藤さんがそこにいました。何でこんな事をしてしまったのだと言う後悔と取り返しのつかない思いで病院のベットの上で悔し泣きをする佐藤さんに我々は何もできず、呆然としてた時期もありました。でも、佐藤さんは一歩ずつ歩み始めました。踏み出しても踏み出しても、果たして前に進めてるのかわからない中で、あきらめず進み続けた佐藤さんは敬服に値します。その精神力と根気、本人には辛いはずなのに、楽天的にまで思えるその生活ぶり、我々こそ見習わなければ」



●第3の奇跡、それは……。

写真G:曲当てクイズもあって盛り上がる客席

 リハビリバンド「ハローミュージック」のバンドマスターとしても、なくてはならない存在です。杉並区障害者福祉会館で機能訓練を受けた卒業生が、音楽を使ってリハビリを継続させるために93年にスタートしたグループです。
メンバーの苦手な機能をカバーしながら魅力的な響きにするための編曲も手がけます。「ひょっこりひょうたん島」のメロディーにモダンジャズ風のサウンドが、さりげなく溶け込んでいたりして、流石!!!!!!!という編曲です。バソコンで楽譜をつくるワザは、まだ挑戦途上なので妻の真保さんが助手をつとめます。ことしも、恒例のクリスマスコンサートにファンが集まりました(写真EFG)。

写真E:12月23日恒例のクリスマスコンサート 写真F:愛妻の真保さんもキーボードで参加
写真H:一夜にしてファンになってしまった国際医療福祉大学大学院生と一緒に

 実は、国際医療福祉大学大学院のゲストにもお招きしました。(写真H)
  「障害を負ったからといって人生観を変える必要はありません。昔の自分に新しい自分を重ね着すればいい。1粒で2度美味しい人生をおくれて幸せですよ」という正純さんの奥行きある話に、看護や福祉の現場経験の深い院生さんたち、すっかり、魅せられてしまいました。高次脳機能障害についての先入観も吹き飛んでしまいました。
 打てば響くように返事が返ってくるメールを使って、いまもあたたかな交流が続いています。
 正純さん、こんどは、人々の心に、奇跡をおこす側にまわっているようです。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年12月号より)


☆ NKST結成のいきさつ、演奏は、http://my.reset.jp/~as-nobu/nkst/index.html
こんなDVDも出しています\(^▽^*)/

☆ 佐藤正純さんの声は、NHKラジオ第2放送「視覚障害者の皆さんへ」のHPの2005年4月10日放送「医師が視力を失って」http://www.nhk.or.jp/fukushi/shikaku/で聞くことができます。


☆2006年に横浜伊勢崎町で開かれたネクストの演奏会「雨にジャズれば」のチラシです(クリックすると拡大します。)
6/17演奏会チラシ


☆ネクストの2007年演奏会のチラシです(クリックするとpdfで拡大します。)。
2007演奏会チラシ


▲上に戻る▲

次のページへ

優しき挑戦者(国内篇)目次に戻る

トップページに戻る