優しき挑戦者(国内篇)

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(42)目からウロコの歯の革命

■元凶!「早期発見・早期治療」■

 2枚の絵をご覧ください。
 上は、日本人の奥歯に降りかかっていた、独特の運命です。
 まず、“できたてホヤホヤのムシ歯”を小学校の校医さんが「早期発見」してくれます。治療勧告書を渡され、歯医者さんを訪ねると、削って、詰めて、「早期治療」してくれます。
 ところが、しばらくたつと詰めた周りがムシ歯になってしまいます。

 歯医者さんの腕が悪いため、とばかりは言い切れません。
 口の中には熱いものと冷たいものが交互にはいってきます。詰めた材料と歯の膨張率は違うので、どうしても隙間ができてしまうのです。こうして、ムシ歯は広がり、再治療……。
 これを繰り返して、ついには、抜くしかない悲しい事態に。

 そもそもの元凶は、探針という先の尖った道具で歯の溝を探ってムシ歯を発見しようという日本独特の健診にありました。
 生えたばかりの永久歯はやわらかいのです。そこを針でつついたら、歯の表面は壊れてしまいます。湿って温かく栄養豊富な人間の口の中は細菌の住みやすさでは抜群の場所。表面が傷つくやいなや、歯の内部にたくさんの細菌が入り込んで、れっきとしたムシ歯ができあがってしまいます。
 下の絵は、尖った針で「早期発見」をすることをやめ、「口の中の環境を整えて見守る」という方法をとった場合の奥歯。
 そう、ムシ歯は、唾液の中のカルシウムの力で自然治癒できるのです。

■全国ビリから、世界のトップへ■

※右の図はクリックすると拡大します。

 では、3枚の地図に、視線をお移しください。

 横顔のように見えるのは山形県。ムシ歯が多いことで、全国最悪の県でした。
 ムシ歯で穴のあいた歯(D)、抜いた歯(M)、治療で詰めた歯(F)の数を足した(T)「DMFT指数」が多い町ほど濃い色であらわされています。
 98年には、12歳でムシ歯経験4本以上の市町村がかなりあったことがわかります。そういう町が毎年減り、2003年には1つもなくなってしまいました。
 それどころか、棒グラフでご覧のように、他県をぐんぐん追い抜いて、歯の優等生県に躍り出たのです。

 横浜の日吉町から酒田市の日吉町に移ってきた熊谷崇さんのやむにやまれぬ気持ちが原点でした。
 腕のいい、自費診療の歯医者さんとして有名だった熊谷さんは、80年に夫人の郷里で保険診療を手がけることになって、惨憺たる口の状況に愕然としました。
 まず手がけたのが、学校歯科医としての活動でした。尖った針での早期発見をやめました。「歯のことは養護の先生におまかせ」と思っている先生たちや両親、そして祖父母を集めて、「一生自分の歯で食べられるための教室」を開きました。
 効果てきめんだったのが、祖父母たちでした。入れ歯になるとどんなに困るか、身にしみていたからです。
 可愛い孫を同じ目にあわせては大変!
 熊谷さんが担当している地区は、世界のトップを走るスウェーデンをしのぐようになっていきました。この実績を見て他の町も変わり始めたのでした。

■8020から8028へ■

 「早期発見」が裏目にでるムシ歯と正反対に、「早期発見・早期管理」が不可欠なのが入れ歯原因の双璧、歯周病、いわゆるシソーノーローです。元凶はバイオフィルムと呼ばれるフィルム状の細菌の集合体で、歯にこびりついています。自分でする歯磨きでは取り除くことはできません。歯医者さんでもだめ。左に写っている歯科衛生士さんの独壇場です。
 熊谷さんの診療所は歯科医が非常勤もあわせて8人ですが、歯科衛生士さんは18人。それぞれ自分の部屋をもち、右下のような特別の道具を駆使して定期的なメンテナンスをしています。
 80歳になっても20本の歯を保とうというのが国の「ハチマルニイマル運動」ですが、酒田では、一生自分の歯を失わない8028が現実になりつつあります。

 診療所の中には、古い蔵を活用したカルテ室があり、ここで診療をうけた2万1000人のカルテが管理されています。そこには、口の中のカラー写真、レントゲン写真、細菌をはじめとする口の中の環境が詳しく記録されています。このデータを分析することで、世界に発信する研究成果が生まれ、熊谷さんには、スウェーデンのマルメ大学から名誉博士号が贈られました。

■大病して知った情報開示の大切さ■

 実は、熊谷さん、削って詰めるが主流の日本の歯科医界では異端でした。その熊谷さんが日本の歯科医療を変えなければと決心したのは、大病で死線をさまよったことと関係があります。
 91年、腸閉塞で手術した熊谷さんに、次々と不運が襲いました。手術後の癒着がもとで腎臓、さらに片方の肺までとることに。その上、院内感染に襲われての入院生活。その中で、患者が自分の体の状況についてどれほど知りたいか、そして、知らされないかを思い知ったのだそうです。
 ひとりひとりの口の中の状況を情報開示する独特のバインダー式手帳を編み出したのは、それがきっかけでした。
 歯科界の思惑に遠慮することなく、メディアも味方にして、「一生、自分の歯で食べ、美しい口元を保ち、きれいな発音をするための歯科改革」「入れ歯にならない権利」に取り組むことになりました。

 長年続いてきた探針を使った健診も、ことし、指針が改定されました。2万を超える会員をもつ日本学校歯科医会が、熊谷さんの粘り強い訴えに動かされたのでした。

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』11月号より)

日吉歯科のサイト:http://www.hiyoshi-dental-office.org/

熊谷崇doctorと櫻井充doctor(民主党参院議員)の対談
>「歯科医療行政の改革に、今、何が必要か」

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