優しき挑戦者(国内篇)
(51)遺族がボランティアになるとき

■大野病院事件裁判・医師の思い■

お医者さんたちのあいだで、恨みをこめて語られる言葉があります。
「最近の患者はすぐ訴訟を起こす」
「一生懸命やって、結果が悪かったら逮捕だなんて」
「あの大野病院事件が日本の医療を萎縮させ、崩壊させたのだ」
発端は、2004年12月17日、福島県立大野病院で行われた帝王切開手術でした。
手術中の大量出血で、29歳の女性(右の写真)が亡くなりました。幼い2人の子が残されました。

06年2月、手術を執刀した産婦人科の医師が業務上過失致死と医師法違反の罪に問われて逮捕され、起訴されました。05年3月に公表された県の医療事故調査委員会による報告書が、医師の判断ミスを認めていたからでした。

逮捕から3週間後の3月8日、「加藤医師を支援するグループ」が結成され、多くの署名を集め、「産婦人科医、加藤克彦医師の逮捕に抗議します」という声明文を出しました。m3という医師専用のインターネット上の掲示板での議論できっかけでした。
「テレビカメラを引き連れた警察が、診療中に病院に踏み込んで、患者の目の前で連行されていった」という噂がインターネットで流れ、医師たちの怒りに火をつけました。いまも、そう信じている医療関係者に、私は何人も会いました。
けれど、事実は、違っていました。「家宅捜索後、警察で事情を聴くと言われてついていったところ、取り調べ中に逮捕状を読まれた」、と加藤医師本人が語っています。

医師たちの声明文は、こう結ばれています。
「今回の件のように、診療上ある一定の確率で起こりえる不可避なできごとにまで責任を問われ、逮捕、起訴されるようであれば、もはや医師は危険性を伴う手術など積極的な治療を行うことは不可能となり、医療のレベルは低下の一途をたどると思われます。」
07年1月、裁判が始まりました。その中で、女性の死が、「診療上ある一定の確率で起こりえる不可避なできごと」とはいえないのではないか、と推測される事実が明らかになりました。
この女性は手術を受けるまで1ヵ月入院していました。緊急手術ではなかったのです。
また、その間、先輩医師が加藤医師に、「この女性と同様に帝王切開の経験がある前置胎盤の妊婦を帝王切開して、大量出血を起こし、処置に困難を来たした」と産科医ひとりで対応することの危険を戒めていました。助産師も「大きな病院に転送した方がいいのではないか」と助言していました。
福島県では、危険度の高い妊娠・出産に対応するために、医師と設備を充実させた周産期医療システムが2002年からスタートしていました。にもかかわらず、加藤医師はなぜか、産科医が一人しかいないこの病院での手術を決行することにしたのでした。

08年8月20日、福島地方裁判所は医師を無罪とする判決を言い渡しました。
「疑わしきは被告人の利益に」が刑事判断の原則であることに加え、学会や医師会など医師たちの強い声が無罪へと導いたといわれています。
けれど一部の人たちの怒りは収まらず、遺族を、インターネットで誹謗中傷し続けました。
医師以外の人にも公開されている2チャンネルというインターネット上の掲示板の匿名の書き込みは、たとえば、こんな風に、です。
「これモンスター患者だろ
設備の整った遠い病院は嫌 、3人目産みたいから子宮絶対残す
散々ごね捲った結果じゃん 、自業自得も甚だしい」

「クレマーのお手本のようなジジイだな(笑)
さっさと死ねばいいのに(笑)
人類の敵の渡辺好男は、首吊ってしね、だな」

■大野病院事件裁判・遺族の思い■

「人類の敵の渡辺好男」と名指されたのは、亡くなった女性の父です。判決の出た日、記者会見で次のように述べたことが、投稿者のカンにさわったようなのです。

<真実の言葉を聞きたいとの一心で、裁判の傍聴を続けてきました。警察・検察が捜査して、裁判になったおかげで、初めて知ったことがたくさんありました。
娘が入院している間、医師には様々なアドバイスがありました。みんな慎重だったのに、なぜ加藤医師だけ慎重さがなかったのか、とても疑問に思いました。
裁判は手術中の数分間、数時間のことを主要な争点として、進んでしまいました。弁護側の鑑定人として証言した医師の方々も、加藤医師の医療行為を正当化する意見を述べました。その点をとても残念に思っています。>

<遺族が「警察に相談した」とか「政治家に相談した」という噂もインターネットで医療界に広がっていると聞いてとても驚きました。病院から娘を引き取り、警察に相談するべきか幾度も自問自答しました。しかし、私たちからは警察に相談しませんでした。
この事件を「医療崩壊」や「産科崩壊」と結びつける議論がありますが、間違っているのではないでしょうか。その前に、事故の原因を追究して、反省すべき点は反省し、再発防止に生かすべきでしょう。医療界に、そのような前向きな姿勢が見えないのがとても残念です。>
<医療崩壊と結び付ける議論を耳にするたび、「娘は何か悪いことをしただろうか」と怒りを覚えます。医療には絶対的な信頼を持っている一人でしたが、日を重ねるごとに医療に対して不信感を深めています>

■医療事故再発防止のために■

医師たちが「モンスター患者」と呼ぶ人々の特徴は、裁判を起こさないことだというのが定説です。心労が重なる医療訴訟に耐えている遺族たちの多くは、「真実を知りたい」「自身の経験を次の悲劇をなくすために生かさなくては」という思いにつき動かされているのです。
まさに、ボランティア精神です。
「大野病院事件が医療を崩壊させた」という医師は少なくないのですが、「医療が崩壊していたから」大野病院での悲劇が起きた、と考えることの方が事実に即しています。

渡邉さんは、福島県の病院局に「このままでは、再び事故が発生するのではと懸念しております」と、事件を教訓にするための8項目の要望書を提出しました。以下はそのごく一部です。

★医師の計画的な配置
 @ 一人医長はつくらない
 A 経験不足の医師ばかりにさせず、かならず指導的立場の医師と仕事をさせる。
 B 産科施設には必ず小児科医も派遣するなど医療連携を考えた医師配置にする
★風土改革
 @ 医師以外の医療スタッフの声を聞く、話せる環境づくりを進める。
 A 改善要望をボトムアップで吸い上げられる環境づくりを進める。
 B 不正があれば内部告発ができ、告発者をフォローする体制づくりを進める。

悲しみの中からこのような要望をする人を「モンスター患者」と、呼べるでしょうか?

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2008年9月号より)

「医療問題弁護団」は、弁護士13人で構成する検討班を編成。訴訟記録を検討し専門医から意見聴取し、以下のような意見書を纒めました。
http://www.iryo-bengo.com/general/press/pressrelease_detail_32.php

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