優しき挑戦者(国内篇)
(65)医療新時代を切り開く・患者ボランティアによる「語り」サイトが誕生

診断を受けた時の思い、治療法を選ぶときの迷いや葛藤は、体験者でなければ分からないものです。同じ病気を体験した"先輩"たちの語りは、病いと向き合うときの大きな助けになります。
といっても、知りたいことが書いてある、自身の病状や環境にびったりした闘病記を探しあてることは至難の業です。

そんなときに頼りになる強い味方が、2010年1月、誕生しました。
「健康と病いの語り ディペックス・ジャパン」のサイトです。
http://www.dipex-j.org/ を開き「体験者の語りを見る・聴く」をクリックすると、乳がんを体験をした43人の女性たちが、あとに続く女性たちのために、カメラに向かって心のうちを語っています。

がんが見つかったときの驚き、再発したときのショック、日々の暮し……実に多面的な「語り」の映像・声・文章を見ることができます。
言葉の1つ1つが心に染みるものです。
前立腺がんの男性たちの体験もアップされ始めました。48人分が今年夏までには公開予定。認知症の語りも準備中です。

その一人、27歳のときに乳がんと分かったKKさんの「診断されたときの気持ち」という項をクリックすると、映像とともにこんな声が流れてきました。
「先生が、わたしの目を見てくれなくって、で、『結果どうだったんでしょうか』って聞いたら、母のほうを見て、『あの、残念ですが、悪いものでした』とおっしゃって、で、『かわいそうだけども、右のおっぱいを全部とることになります』っていう説明を受けたんです。ただ、まあ、そのときにも、ピンとこないっていうのが現実で、最初に先生に言ったせりふが『先生すみません、誰のこと言っているんでしょうか?』って聞き直したら先生が、「残念ながら、あなたのことですよ」っておっしゃったんです。

で、もう、ほんとにピンとこなくて、もう突然のことだったので、ただ、こう漠然と怖いっていうのは最初にあって。でも、涙は出てこなかったんですね、びっくりしすぎて。で、じわじわとこう何かこう何か、今、すごく怖いことを言われたっていうのが感じて。でも、涙は出てこなかったんですね、びっくりしすぎて。
わたしの前に母がわあっと泣き出してしまったもんですから、『もう、しかたないよ、しかたないよ』って、母の肩をこう叩きながら、慰めたのが、一番最初の告知だったんです」

◆知りたいことが、検索できる!◆

匿名ではあっても、表情が見え、声が聞こえることが、闘病記と違うところです。でも、それだけではありません。

細かく索引がついていて、そこをクリックすると、同じ心配ごとについての複数の"先輩"人の語りに、瞬時にアクセスできることです。
「治療」を例にとると、乳房温存術/乳房切除術/術後後遺症とリハビリテーション/リンパ浮腫/乳房再建術/抗がん剤・分子標的薬の治療/脱毛の影響/放射線療法/ホルモン療法……という風に。

1月に開かれたウェブサイト公開記念フォーラム、「『患者の語り』が医療を変える〜なぜ今、患者の語りのデータベースなのか」で、KKさん、本名三好綾さんは、こう話しました。
「私が乳がんと分かった8年前にこのサイトがあったら、どんなに救われたか。当時は、20代の乳がん患者に出会うこともなかったので、同じ立場に立つ人をどう探せるのか、苦労ししました」

そして、こう付け加えました。
「患者だけでなく、家族、医療者にも役立つサイトです。鹿児島大学医学部の授業で体験を話す機会があったのですが、学生さんが私の話にとても驚いていました。患者の心を言葉として聞いた初めての経験ないのでショックを受けたのでしょう。
患者さんから、医師とのコミュニケーションに困っている相談をよく受けます。医療者が患者さんのナマの声を聞く機会がこれまで少なかったからでしょう。教育や研修の現場などで使っていただきたいと思います」

◆『話し言葉』のもつ迫力◆

お手本になったのは、乳がんと関節の手術を受けた英国の2人の学者が、自身の体験から2001年に始めたDIPExです。Database of Individual Patient Experiences(個々の患者の体験のデータベース)の頭文字を組み合わせた名前です。
英国を訪ね、英国から専門家を招いて医師、ナース、社会学者、臨床心理士、ジャーナリストたちが研鑽をつみました。カメラの操作を修業し、ごく自然に話してもらうインタビューの仕方を学びました。そして、体験を話してくれる人々に呼びかけました。

『物語としてのケア』の著書で知られる社会学者の野口裕二さんは、フォーラムでこう話しました。
「感じたのは、『話し言葉』のもつ迫力です。闘病記や手記で患者の『思い』を知ることはできた。しかし、『書き言葉』の世界と、映像と音声による『話し言葉』の世界はやはり違う。書き言葉では、どうしても『まとめよう』という力が働いてしまい、話の枝葉のような部分は推敲され削ぎ落とされてしまう。話し言葉には、その枝葉の部分がそのまま残っている。これが迫力を生みます」。

「ひとりで自分の病いの物語を綴っていた時代から、他者の物語を参照しながら自分の物語を綴る時代に。医療者側の患者の思いへの理解が更新されていく時代に。これは医療にとって革命的な出来事なのではないでしょうか」
この活動は、ボランティア精神のカタマリです。語りを提供する人、分析する人、医学的監修をする人、資金で支える人…。
てつだってみようかなとお思いの方は、以下にアクセスを。
http://www.dipex-j.org/join/880.html

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2010年3月号より)

◆この活動を支えてきた事務局長の佐久間りかさんを紹介した前村聡さんの「最前線ひと」はこちら。(日経新聞2009年11月29日朝刊より)

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