優しき挑戦者(国内篇)
(73)遊びのボランティア「ガラガラドン」が、20年続いた訳

遊びのボランティア・ガラガラドンが2011年、20周年を迎えました。
小児病棟の子どもたちは治療のつらさ、家族と離れている淋しさに耐えています。その子たちが写真のように輝けるように、笑えるように、大好きな遊びで支えてきたボランティアです。

20年も続いたわけ、そして、この運動が各地に飛び火している理由を探っていたら、「ボランティアは伝染する」というおゆきの第4法則にぴったりだったので、嬉しくなってしまいました。『恋するようにボランティアを〜優しき挑戦者たち〜』 をまとめている時"発見"したのが、この法則です。

伝染する力は2つの要素に左右されます。
その1・ボランティアウイルスは、ワクワクする、楽しいところで繁殖し、ジメジメ湿っぽいところでは死滅してしまう。
その2・絶妙のワザで、感染を仕掛ける人物がいるかどうか。

◇遊びの絶大な威力に目覚めて◆

ガラガラドンは、楽しい雰囲気に満ちています。そのカナメにいるのが坂上和子さんです。
恋と同じように坂上さんとボランティアの出会いも偶然でした。悪性リンパ腫で入院中の病児を抱えカップラーメンしか食べていない友人にお弁当を届けたとき、フト思いついて息子の絵本を持参し一緒に遊んでみたところ、お弁当以上に母子に喜ばれ、遊びの絶大な効果に目覚めたのです。

入院中の子どもたちは遊べる場も玩具も遊び相手もいない。そばを離れると子どもが泣き叫ぶので家族は罪悪感にさいなまれる。
なんとかしなければ!
やむにやまれぬ気持ちがこうじて、91年、作業療法士、ナース、保育士たち7人でガラガラドンを立ち上げました。病棟のクリスマス会で演じた人形劇が大好評で、訪ねるたびに「ガラガラドンが来た〜」と子どもたちが歓声をあげたのが、名前の由来です。

◇ボランティアたちがやめないわけ◆

東京・新宿にある国際医療研究センターの小児科病棟を訪ねてみました。
準備室でオレンジ色のエプロンとマスクをつけたボランティアたち。坂上さんは、その一人一人と子どもとの相性を見極め、それぞれの子にあった玩具を組み合わせてゆきます。玩具も遊びも状況によって臨機応変に変えていきます。保育士を天職と思っている坂上さんとはいえ、まるで神業です。

ボランティアは、年間のべ943人。実数は62人で、さまざまな特技をもった社会人と若さが喜ばれる学生がほぼ半々。月1回のペースで無理なく続けている人がほとんどです。
病院の多くは、事故をおそれるあまり厳しい決まりを設け、ボランティア志願者を事実上拒絶するハードルになっているのですが、坂上さんは形式的な決まりはつくらないできました。かつて、一ボランティアとして別の病院を訪ねたときの理不尽な対応を反面教師にしたのでした。
初心者ボラにはベテランを組み合わせ、90分の遊びが終わったところで「振り返り」の時間もってスキルを育む。これもボランティアウイルスの増殖につながっています。

2009年度を例にとると、遊んだ子の数のべ807人。土曜が49回、平日89回、お楽しみ行事8回。
10人中7人が点滴台につながれているので、プレイルームで一緒に遊ぶときは管が絡まったり、台が転倒する危険にも気をくばらなければなりません。

◇応援団が次々と◆

ガラガラドンには、いま、まるで磁石に吸いよせられるように、さまざまな応援が寄せられるようになりました。
病院の近くのマンションに、昨年、「ハウス・グランマ」という拠点ができたのですが、これは月8万円の家賃を寄付してくれる人が現れたためです。会報の発送をしたり、退院した子どもたちや親が集ったりする憩いの場です。

伊豆のホテル、アンダリゾート別邸一碧湖は、病気の子ども家族ぐるみで無料招待しています。食べて、歌って、遊んで、病気を楽しく忘れる一泊旅行。ホテル側はいいます。「お客の少ない時期に利用していただき、こんなに喜んでくださるなら、こちらも嬉しいです」

◇寄付を吸いよせる秘密は◆

恋と同じように、坂上さんは、ボランティアの修羅場も経験しました。
手のかかるわが子がいるのにボランティアのためにしばしば家をあける妻、一緒に遊んだ子の死に直面すると辛くて家事も手につかなくなる妻……。
夫の不満が募り、離婚。
穴があいて雨の日には水がもれる靴を履くという貧しさの中で、昼夜開講の明治学院大学に入学したのが転機でした。

「行政は、人は、優しさだけでは金は出しません。科学的調査がものをいうのです」という講義に感動し、実行に移しました。
きめ細かな調査報告書。隔月の『いたいのいたいの飛んで行け通信』には、子どもたちの楽しげな写真や手紙があふれています。富士ゼロックス東京のボランティアで上質の紙に両面カラーコピーなので、受け取った人は惹きつけられ、保存したり、人に見せたりします。そして、こまめな礼状。
寄付を吸いつける秘密でした。

坂上さんは小学校2年生のとき母を自殺で失い、父は蒸発。
カトリック系の児童養護施設に入居した日、「お待ちしていましたよ。安心してください」と抱きしめられました。
坂上さんの温かさの源には、そのときの感動が流れているように思えます。
NPO法人病気の子ども支援ネットのサイトは、
http://www.hospitalasobivol.jp/

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