優しき挑戦者(海外篇)
(有斐閣『講座・障害をもつ人の人権・2−福祉サービスと自立支援』第2部 第6章「自立生活と自立支援−その概念と展望」より)
1.海外旅行もお洒落も
デンマーク式自立生活の生みの親で、ヨーロッパ筋ジストロフィー協会会長のエーバルト・クローさんが2人のヘルパーを伴って来日したのは、1994年5月のことでした。
成田に出迎えた人々は、まず、その荷物の量に肝をつぶしました。補助呼吸装置、電圧変換器、2つに分解できるリフト、入浴用のベッド、ベッドの高さや柔らかさを調整する小道具、スペアの車いす、お洒落な着替え15セットを納めたスーツケース……。
リフトバスをはみだしてしまう、まるでロックバンドのような一行です。
この大荷物は3つのことを象徴していました。
1つは、クローさんが、日本でなら病院や施設から一生出られないような、重介助を必要とする人物であるということです。
幼いとき発病した筋ジストロフィー症のために、歩くことはもちろん、手を伸ばしてものをとることもできません。起きる、寝る、着替える、食べる、排泄する、入浴する……すべてに介助を必要とします。朝と晩、補助呼吸装置を使わなければ、肺炎を起こして命が危ない身でもあります。
第2は、それほど重い障害をもっている人でも、自立を支援する介助者や様々な補助器具があれば、病院や施設から出て暮らせる、それどころか、海外旅行までできるということです。
第3は、そういう人が、「福祉の対象者」「気の毒で目をそらしてしまう障害者」「保護してあげなければならない存在」ではなく、毎日、衣装を変えて魅力をアッピールする、お洒落でダンディーな人物、社会を変えるリーダーになりうるということです。
現に、クローさんは、北は札幌から南は西宮まで各地でユーモアたっぷりな講演をして日本の聴衆を魅了しました。演題は主催者の希望に従って、自立生活を支える制度、愛と性、当事者運動、補助器の開発と普及……と多岐にわたりました。札幌と西宮では、音学大学を卒業した男性ヘルパーのギター伴奏でプロ級のノドを披露し、拍手喝采でした。
2.ノーマライゼーションの国の自己決定と選択肢
図は、スウェーデンで、ノーマライゼーション思想を、知的なハンディを負った人にも分かるように、ピクトグラムという絵文字で表したものです。
どんなに障害が重くても、まちの中のふつうの家に住み(図の右上)、生きがいある仕事をし(左上)、余暇を楽しみ(右下)、気のあった友人や恋人や家族との絆を持ち続ける(左下)。その場面ごとに様々な人とつきあう、それがノーマライゼーションだ、ということを示しています。
ノーマライゼーション思想の発祥の地、デンマークからやってきたクローさんは、その生き証人でもありました。熱烈な恋をし、娘をもち(左下)、講演に引っ張りだこです(左上)。「四輪駆動」というバンドのリードボーカルです(右下)。施設ではなく、自分で選んだ、ごくふつうの造りの一軒家に住んでいます(右上)。
写真1は自宅の寝室でのクローさん。日本の筋ジストロフィーの人が暮らしている国立療養所や身体障害者療護施設、更生施設の雑居部屋では見られないエロティックな図柄のポスターが壁を飾っています。
写真2は、日本での講演会「デンマーク式自立生活はこうして誕生した」を終えて、4人のヘルパーに囲まれたクローさん。王様の玉座のような電動車イスは、ほんの数センチしか動かない指でリクライニングさせたり、高さを変えたり自由自在です。講演会では、車いすを静々とせり上げ、「これは女性とキスする時の高さです」と説明して、聴衆を沸かせました。
「公的サービスが中心のデンマークの福祉は、お仕着せ、役所仕事に違いない」といった先入観をもって講演会に出席した専門家は、日本とは比較にならないほど利用者本位の「選択できる福祉」がデンマークで実現していることに驚きを隠しませんでした。
3.ヘルパーを選び、雇用するオーフス方式
クローさんは、日本筋ジストロフィー協会全国大会の特別講演で、医師たちを前にして、こう、述べました。
「われわれは医療関係者に、もっと楽観的な見方をしてほしい、と働き掛けてきました。『限界』ではなく、『可能性』に焦点をあててほしいのです。私たちのような持続的な病気をもった人間には病院は不向きです。白衣を着た人に取り囲まれるのではなく、ふつうの生活を送りたい。それは可能なのです」
それがデンマークで可能なのは、1976年に施行された生活支援法によって、24時間体制の自立支援体制が「権利」として確立されていたからです。 デンマークには2種類のヘルパーがいます。市町村の職員である「ホームヘルパー(イェムイェルパー)」と障害をもつ人自身が雇用主である「ヘルパー(イェルパー)」です。市町村のホームヘルパーは、訓練を受け、資格をもっています。生活の節目に現れ、身の回りのことができない人々の世話をします。デンマークに「寝たきり老人」と呼ばれる人々がいない最大の秘密はこのホームヘルパーの数と質にあります。1)
一方、「ヘルパー」は、障害をもった人自身が広告を出し、面接して選んだ人たちです。市町村の「ホームヘルパー」と違い、資格はもっていません。遣いこなす能力のある人が雇用者になるからです。
ただし、報酬は市町村から支払われます。将来、医師や看護婦、ソーシャルワーカー、市町村のホームヘルパーになろうとしている人々が競ってヘルパーを志願します。試験や採用の時、この経験が評価されるからです。2)
このやり方は、クローさんがこの制度を誕生させた発祥の地の名前をとって「オーフス方式」と呼ばれています。フィンランドでは、同じ筋ジストロフィーの元国会議員、カッレ・キョンキョラさんがオーフス方式を手本にして自立生活の基盤になる制度を法制化しました。
クローさんは、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、アイルランド、エストニア、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、オーストラリア、カナダなどに招かれて講演し、それらの国々に少なからぬ影響を与えました。
4.デンマークのヘルパーは人気の職種
デンマークで、オーフス方式のヘルパーを使っている人の数は、日本の人口に換算すると約1万人になります。内訳は、四肢麻痺21%、筋ジストロフィー19%、脳性マヒ19%、多発性硬化症12%、ポリオ4%です。
この制度を利用できるのは、服の着脱、食事、排泄、入浴に介助が必要で、次の3つの活動のいずれかをしている人です。3つの活動とは、学生生活、職業生活、様々な組織・団体(たとえば、政治団体や消費者団体)の仕事についていることです。ヘルパーは、自宅で介助するだけでなく仕事場や学校に同行することになります。
ヘルパーをどのような就業形態で何人雇用するかは、次の3つの条件を検討して決められます。
・利用者が何をするのか(あるいは、したいのか)
・利用者が何を必要としているのか
・利用者が自分で何ができるのか
24時間体制の自立生活支援は全体の3分の1。平均15−18時間です。最重度のクローさんは、月収27万円ほどのヘルパー4人の雇用しています。その1人、ヤーンさん(写真A右から2人目)は、新聞広告を見て応募しました。募集条件は、自動車の運転が上手でヨーロッパ各地を旅行できること、旅行の時、続けて2週間、家をあけられることでした。自動車整備工の免許をもつヤーンはさんは85倍の競争率を突破して採用されたのだそうです。
勤務体制は、“雇用主”とヘルパーの話し合いで決めます。クローさんの場合は、4人のヘルパーが、24時間ぶっ通しの勤務を月7回づつの受け持つ方式です。来日したときは、2人が交代で受け持ち、10日たったところで、もう1組が来日して交代しました。それ以上続けると労働基準法に触れるのだそうです。写真2は、交代の時のものです。
「夜中も隣室で仮眠しながら待機し一晩に2〜6回の寝返りをさせるきつい24時間勤務ですが、月のうち3週間は自分の自由な時間がもてるのが魅力。一緒にいると、様々な経験ができるのも気に入っている」とヤーンさんはいいます。ヤーンさんの右、アネッタさんは、通訳になるのが夢なのだそうです。勤務外の時間を利用して養成校に通っています。「ヘルパーの仕事は、学校にも通えるし、娘との時間もゆったり持てるので満足」だそうです。
ヘルパーの賃金は市町村と国から半々支払われ、労働条件など一般の労働者と同じ権利が保障されるので、志願者に不足することもありません。
介助を受ける側も、日本のようにボランティアが来てくれるかどうかハラハラしたり、卑屈になったり、家族に負い目を感じたりせず、安心して自宅で暮らすことができます。
5.地獄のサタもカネ次第、ではなく……。
「選択肢」とか「利用者本位」というと、日本やアメリカでは、「地獄のサタもカネ次第」と抱き合わせになりがちです。
デンマークでは、選択肢も人権の重要な要素と考えられています。ヘルパーを自分で選ぶなら自己負担金をとる、といったみみっちいことはありません。そもそも、ヘルパーが必要な身になったのは、運命のクジのせい。それはみんなの出した税金で支えるべきものだと国民のほとんどが考えているからです。
それは、自立支援に欠かせぬ補助器具についても同じです。クローさんの電動車イスは、湾曲した背中やぐらぐらする首にあわせて調整されています。食事のときに肘をのせる部分も特注です。色も数種類の中から選びます。そのため、値段は約100万円。けれど、全額公費で支払われます。
電動車いすで動き回れるバリアフリーの住宅、移動のための特注の自動車も公的な支援で提供されます。
デンマークの自立生活の特徴は、ボランティアを惹きつける特別な魅力や行政との交渉能力をもっていなくても、どの市町村にに住んでいても、ごく日常的に自立支援が「権利」として保障されていることです。
「自立生活」を論ずる時には、まず米国から始めるのがふつうです。にもかかわらず、あえてデンマークの自立生活から紹介したのは、制度としての成熟度が米国より進んでいると考えたからです。
(略)
8.機会の平等と結果の平等と
本シリーズの編集委員であった故定藤丈弘教授は、自立生活理念が日常生活の場に浸透していった理由を次の4点に整理しています。
・「介助者管理能力」の獲得を自立とするとらえ方。
・主体的な社会参加の行為を自立の条件としたこと。
・自立体験をもつ障害者のピアカウンセリングと反プロフェッショナリズム。
・リスクを侵す行為を自立要件に含めたたこと。
定藤教授のあげたこの4つの基本は、アメリカとデンマークの自立生活運動に驚くほど一致した基本的考え方です。2つの運動はまったくといってよいほど、無関係に発生し、独立して発展しました。にもかかわらず、同じ理念に到達したのは、それが、当事者によって創られたからに違いありません。
もちろん、違いもあります。デンマークの自立生活運動の基盤となったのがノーマライゼーション思想だとしたら、米国の場合は機会平等の理念でした。
たとえば、障害者運動によって1973年、「リハビリテーション法」に加えられた504条です。そこには、こう書かれています。「連邦政府の援助を受けているすべての機関、すべてのプログラムは、障害によって市民を差別してはならない。差別した場合は補助金をカットする」
多くの大学が連邦政府から援助を受けていますから、効果は絶大でした。障害のある学生は介助、ノート筆記、手話、点字教材などのサービスを権利として受けることができるようになり、法律や経済の知識を身につけた障害当事者がおおぜい誕生しました。
その人たちが、自立生活運動のリーダーになり、また、「障害をもつアメリカ人法(ADA法)」制定の原動力になっていきました。
(略)
引用文献
1)大熊由紀子著「寝たきり老人のいる国津いない国」ぶどう社,1990
2)クロー著片岡豊訳「クローさんの愉快な苦労話−デンマーク式自立生活はこうして誕生した」ぶどう社
3)私信
4)北野誠一「自立生活支援の思想と介助」、「自立生活の思想と展望」ミネルヴァ書房1993第3章
5)Attending to America/Personal Assistance for independent Living,WID,1987
6)定藤丈弘「障害者福祉の基本思想としての自立生活理念」、「自立生活の思想と展望」ミネルヴァ書房1993第1章
7)リハビリテーションギャゼット編集委員会「リハビリテーションギャゼット」東京コロニー,1973
8)丸山一郎「アメリカの障害者運動と企業協力」,『働く広場』第3号,日本身体障害者雇用促進協会1977
9)児玉桂子「バークレイ自立生活センターの活動とその社会的拝啓」,『われら人間』第17号,身体障害者自立情報センター,1981
10)三ツ木任一「障害者自立生活運動の動向と展望」,『社会福祉研究』第60号
11)仲村優一・板山賢治編「自立生活への道−全身性障害者の挑戦」全国社会福祉協議会1984
12)大熊由紀子+朝日新聞論説委員室「福祉が変わる医療が変わる−日本を変えようとした70の社説+α」ぶどう社、1996
(全文を読んでみようとお思いの方は,有斐閣『講座・障害をもつ人の人権・2−福祉サービスと自立支援』を)
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