1990年8月22日 朝刊 社説
「1.57ショック」が日本中を駆け回っている。1人の女性が一生の間に産む子どもの数が日本では年々減り続け、ついに史上最低の1.57人になってしまった、という人口動態統計の発表が発端である。
「女の学歴が高くなったのが、そもそもいけない」といった乱暴な論議も出ているなかで、厚生省は事務次官を委員長とする「子供が健やかに生まれ育つための環境づくり推進会議」の初会合をきょう開く。児童手当の手直しでお茶をにごすようなことではなく、会議のタイトルにふさわしい大胆な政策を他省庁と連携して立案してほしい。
女性1人が産む子どもの数が年々減っていくのは、先進国の共通の現象だった。女性の学歴が高まるとともに避妊法を使いこなすことが可能になり、望まない妊娠を避けることができるようになったからだ。
ところが、1980年代に入って様子が変わってきた。
日本を数少ない例外とし、多くの先進国で出生率が上昇し始めたのだ。めざましいのがスウェーデンで、83年に1.61人まで下がったあと上昇に転じ、昨年は2.02人。先進国のトップを走っている。
老いても子どもの世話になる必要もなく、女性の学歴が高く、社会進出も進んでいるスウェーデンで、なぜ出生率が上がっているのか。どんな政策がとられたのか。それを検討することは、我が国の政策を展開する上で参考になると思われる。
注目すべき第1は、「生めよ殖やせよ」といった精神論を排除し、「産みたい人が、安心して産める」ための環境づくりを徹底的に、ちみつに整えていったことである。
妊娠出産の費用は交通費を含めて無料。児童手当は全額国庫負担で、すべての子どもに16歳まで(学生は20歳まで)。第1子は月額1万2000円余で、子どもの数が増えるほど増額し、第5子は約4万3000円である。子どものための住宅手当もあり、子どものいる家庭の3分の1がこれを受けている。
女性が「仕事か、家庭か」の切羽詰まった決断に追い込まれずにすむための環境づくりもきめ細かく行われた。保育所や保育ママだけでなく夜間保育所も開設された。子どもの病気や学校参観のために仕事を休んでも所得が保証される両親手当制度も設けられた。
第2は、どんな価値観を持った人も不利にならないよう、たくさんのメニューを用意し、選択を個人個人に任せたことだ。たとえば、育児のために仕事を中断しても、その期間は年金受給資格年数に算入される。育児で職場を離れて遅れた知識を取り戻すため大学などに通う場合は職場が確保される。スウェーデンの大学入試では労働経験が成績に加算されるが育児も労働経験とみなされる。
第3は、施策が男女平等の観点から行われたことだ。この国では育児休暇は有給、育児のため労働時間を25%短縮できるが、この権利は男女両方に与えられる。
83年には「男性の役割を考える委員会」が労働省に設置され、「父親の役割」「男らしさについて」など数多くの報告書をまとめ、男性の意識を変えることに貢献している。
最も重要なのは「出生率」をどうとらえたかだ。
カールソン首相は未来大臣を兼ねていたが、そのアドバイザーだったアグネッタ・タムさんはさきごろ来日した時、こう語っていた。
「自分の意思で子を産む社会で出生率が下がることは、人々が未来に希望が持てないことの現れです。ですから私たちは心配し、分析チームを作り政策を練りました。出生率が毎年ふえている今、人々は未来に積極的な姿勢を持っているのではないでしょうか」