たばこの部屋

坪井栄孝さん(日本医師会会長)
富永祐民さん(愛知県がんセンター総長)
ピーター・グリーンワルドさん(米・国立がん研究所がん予防部長)
コーディネーター・大熊由紀子(大阪大大学院教授)


■「米国におけるがん撲滅への取り組み」:ピーター・グリーンワルドさん■

 健全な生活様式、例えばたばこを吸わないといったことがいま、がんの予防で最も重要な取り組みになりました。
 米国では、1人当たりの喫煙本数のピークは60年代でした。64年に公衆衛生局長官が大統領に「喫煙は危険だ」と進言し、世論が変わってゆきまた。
 広告が規制され、学校の近くなど子どもたちが立ち寄る場所への自動販売機の設置も規制されました。たばこ税の引き上げも、とくに青少年には極めて有効でした。
 たばこが原因で病気になった人の医療費負担をたばこ会社に求めた訴訟では会社側が敗訴。これで得た資金を、反たばこキャンペーンに使えるようになりまし。
 いまでは官公庁の建物やホテルのロビー、レストランで喫煙する人はめったに見かけません。

 食事も大切です。果物や野菜を多く食べる人ががんになる割合は食べない人の半分という研究もあります。米国がん学会の専門家の勧告もあって始まった「1日5皿の野菜や果物を」というキャンペーンには全米の80%のスーパーが加わっています。
 食べ過ぎも問題になっている。体重がかなり増えると、乳がんや大腸がんになるリスクが高くなります。運動をすれば大腸がんのリスクが下がります。
 オーダーメードの予防を目指す取り組みが進んでいます。最も重要なのは、がん予防の研究を医学研究機関の本流に組み込むことです。

■「なんとなく喫煙」防ごう:坪井栄孝さん

 たばこはがんの原因の30%を占めています。肺がんでは原因の60%。肺がんには若い時期の喫煙が大きく影響します。私はこの3点を論拠に、中学生の禁煙教育を続けてきました。
 15歳以下でたばこを吸い始めた人は、吸わない人の30倍も肺がんが多い。16歳で始めたら倍率は半分程度に抑えられる。だから、禁煙はもちろん、吸い始める時期を遅らせることも重要になります。
 子どもにたばこを吸わせないためには、たばこ教育が欠かせません。私の話を聞いた中学生は、高校に進んだときの喫煙率が、ほかの高校生よりも低い。

 教師や医師は喫煙についてしっかりした知識を持ち、たばこの害を子どもたちに教えることに熱心になるべきです。そのとき、説得する方も絶対にたばこを吸ってはいけない。日本医師会所属の医師の喫煙率は27%。これでは説得力がない。
 昨年、中学生に「いままでたばこを吸ったことがあるか」とアンケートしたところ、1年生の99%が「ある」と答え、びっくりしました。「どうして吸い始めたのか」と聞くと「何となく」が半分以上でした。

 何となく吸い始め、何となくニコチン依存症になってしまっている。そうしないためには、われわれがしっかり教育しなければなりません。

■本当の予防は一次予防:富永祐民さん■

 日本で、がんの予防というと、がん検診を受けて早期発見、早期治療をし、死なないようにする二次予防のことを指してきました。しかし、本当の予防は一次予防です。原因を除いたり、予防する因子を補ったりしてがんにならないようにすることです。

 一次予防の効果が特に期待できるのは肺がん。禁煙で予防できます。口腔がんやこうとうがん、食道がんは禁煙と節酒で、肝細胞がんはB型、C型肝炎ウイルスの感染防止や駆除で予防が可能です。胃がんや大腸がんも、適切な食生活でかなり防げます。

 日本は二次予防に力を入れてきました。しかし、一次予防、特に喫煙対策は非常に遅れています。火事対策では日ごろの「火の用心」が大切です。がんでも今後は一次予防、「がんの用心」の部分を強力に進める必要があります。

☆ディスカッション☆


●まずたばこの値段を上げよう:富永さん●

ゆき: まずたばこの問題からお尋ねします。日本では、厚生省が99年、たばこ半減などの対策を打ち出しましたが、結局は実りませんでした。

富永: 厚生省が設定した「健康日本21」の目標に、最初は成人の喫煙率半減、たばこ消費量半減が入っていました。しかし、たばこ業界の圧力で撤回されてしまった。大変遺憾に思います。

坪井:政府に「健康に悪いから禁煙啓発運動をやろう」という意識がないんですよ。日本医師会の責任でもある。恥ずかしい話ですが、米国医師会のように、たばこ会社に対して訴訟を起こして闘うといったアクションを起こしてこなかった。

富永:日本で喫煙対策が遅れた理由は2つあります。肺がん死亡率が高くなった時期が米国より遅かった。もうひとつは、たばこが政府の専売だったことです。85年に民営化されましたが、財務省が依然としてJTの最大株主です。

坪井:政府が本当に健康のことを考えてたばこを取り扱うとしたら、厚生労働省に移管すべきでしょうね。

富永:日本はたばこの値段が安すぎます。世界銀行の調査でも価格が上がれば、未成年者の喫煙率が下がることが証明されています。カナダや北欧のように1箱を500〜700円にすれば喫煙者は減ります。2、3割はやめるかもしれない。たばこを吸うことでかかる余分な医療費を考えると、値段を上げるのが一番いい解決策だと思います。

ゆき:たばこによって医療費はどれくらい増えているのでしょうか。

富永:東北大学の公衆衛生学教室が数万人の地域住民を対象に調査したところ、吸っている人の医療費は、吸っていない人と比べて7.5%高くなっていました。全国に換算すると、約7500億円も余分にかかっていることになります。国立公衆衛生院の研究者は約8000億円と推計しています。

ゆき:米国がたばこ税を上げたとき、反対はなかったのですか。

●「業界を提訴」効果:グリーンワルドさん●

グリーンワルド:たばこ業界や、たばこ栽培農家が多い州の上院議員らから反対はありました。しかし、カリフォルニアやマサチューセッツなどの州が州税を上げました。世論が変わってくると政治家も動きます。たばこが原因で余分な医療費が生じているとして、たばこ業界に対し訴訟が起こされ、業界側が敗訴しました。米国では、こうした法制度を使った圧力が効果を生みだしている。もちろん、道のりはまだ遠いと思っていますが。

ゆき:日本の禁煙教育は個々の医師が取り組むだけで、システムとして行われていません。

グリーンワルド:たばこを含めた健康問題は、一般教育の中で取り上げられるべきです。健康は教育の重要な一部です。数学や歴史などと同じように教えなければいけない。米国では各コミュニティーが教育委員会を設け、その地域の学校の教育方針を決めています。州政府、連邦政府はガイダンスや資料提供などをして奨励しています。

ゆき:禁煙指導に医療保険点数を認めるべきだと思いますが。

富永:日本の医療制度では、治療費は保険でカバーされますが、予防にはお金が出ない。将来的には医療費に近い形でお金を出すよう、医療制度を変えるべきです。一見むだなようですが、長い目でみれば、必ずお釣りが返ってきます。

●保険給付見直しを:坪井さん●

坪井:日本の医療保険のカバー率は99・97%で世界一。ただし、病気になってからお金を使うという考え方です。これを変えないといけません。医療保険の中で、予防行為にも給付を実現していく。不可能ではないし、絶対に必要です。

ゆき:日本の「がんを防ぐための12カ条」ではたばこの問題が5番目です。米国がん協会のがん予防指針は8項目中5項目がたばこに関連しています。

坪井:米国では、これだけのお金を使ったら、これだけの人が長生きできたと、いうように医療の結果を評価する。ところが、日本の場合は予算が決まっていて、その中で計画を立ててお金の配分を決める。効率の悪いお金の使い方をするわけです。予防医学にお金を使うと、これだけの人が長生きできるということを、行政に分かってもらわないといけない。予算を効率よく使うために医療を担う者と行政側が相談する場が必要です。

富永:日本はこれまでがん検診の方に少し力を入れ過ぎてしまった。これにブレーキをかける必要はありませんが、一次予防対策が遅れているので、一人一人が日常生活に気をつけて、がんにかからないように努力することが大切です。行政も、予防活動を推進するために、もっと予算をつけるべきだと思います。

ゆき:日本でも行動科学を勉強するお医者さんが出てきています。

坪井:どんなに個人が注意していても、ダイオキシンが垂れ流しだったり、大気汚染があったり、添加物をまったく考慮しなかったりして、がん予防がうまくいかない心配があるかもしれません。それを防ぐには、政策しかない。がん予防に関して、政策を政府に示してアピールする仕事を医師会が担当できればいいと思っています。

グリーンワルド:政府には、健康問題をまず優先してほしい、その中でも予防を強調してほしい、ということを望みます。行動する際は、省庁の枠にとらわれずに行動してほしい。個人でできることとしては、やはり健康的な生活習慣が重要です。

ゆき:20年前の厚生省の「がん予防対策報告」が手元にあります。220ページのうち、一次予防、つまり本来の予防はわずか12ページしかありません。結核などでは早期発見がまわりの人の予防につながりますが、がんは趣きを異にします。真の意味のがん予防の時代が始まれば、と願います。

▲上に戻る▲

たばこの部屋・目次に戻る

トップページに戻る