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JTB/杉並区聴覚障害者協会 相良啓子さん
自分と立ち向かう
皆さん初めまして。今、自分の耳は聞こえません。以前は聞こえていました。聞こえなくなってから初めてのチャレンジは、聞こえない自分と立ち向かうことでした。聞こえなくなって、どのように生きていったらいいのか、どのように他の人と関わりをもち続けていけるのか、非常に大きな壁にぶち当たりました。 2番目のチャレンジは、病院を出て、聞こえる社会に入っていくことでした。病院の中では、自分のペースで会話があります。けれども、実際の社会の中ではそうはいきません。聞こえる社会の中でどのように自分を確立させながら生活できるのか、という大きなチャレンジがありました。 三つ目のチャレンジは、ろうの社会に入ることです。筑波技術短期大学は、ろう者だけの大学です。私は聞こえなくなった自分自身が変わるために、入ることにチャレンジしたのです。昔自分は日本語を言葉としていましたが、今は、手話が自分の言葉だと思っています。
新しい出会いを提供
今チャレンジしていることは、仕事。JTBという旅行会社で、4年働いています。ろうの学生のための旅行プランを作ったり、北欧の旅行のツアーの企画を担当しました。
北欧における手話
今年の3月にフィンランドに行きました。日本と違うなと思ったことは、手話が言語として法律で認められている国であるということです。
また、ろう者としての通訳者もたくさんいました。通訳というと、聞こえない人が聞こえる人に通訳をしてもらう、というイメージがありましたが、そうではない。聞こえない人が聞こえない人に対して通訳をするという方法があるんですね。
日本に帰ってきてから、いろいろな観光地に行きたいなぁと思っても、手話通訳のシステムが少ないですよね。公認のガイドの中には手話という言語はないんです。
生活の変化についての教育と指導
私が突然聞こえなくなったとき、お医者様から、ろう者の生活がイメージができるような話は全くありませんでした。日本では、人工内耳をつけたら終わり、補聴器を与えたら終わりです。その後の生活に変わるための教育や指導がなされていないと聞きます。
社会に理解を広めたい
今、聞こえない自分が、旅行の添乗員になれるのかは、やはり壁があります。例えば、声だけで名前を呼ばれる、声だけで呼ばなきゃいけない。
スピーチもチャレンジの一つ
今、すごく緊張しながら話をしているんですけれども、やっぱりこれ自体も大きなチャレンジの一つです。この場をお借りして、みなさまにお礼を申し上げたいと思います。 ****縁****繋****縁****繰****縁****経****縁****緯****縁****継****縁****続****縁**** |