****縁****繋****縁****繰****縁****経****縁****緯****縁****継****縁****続****縁****

濃縮シンポジウムU ほんとうの利用者本位とは?

大石佳能子さん(メディヴァ代表取締役/用賀アーバンクリニック)
浜田静江さん(NPOたすけあいゆい代表)
望月庸光さん(オリエンタルランド・クリエイティブ業務部部長)
森 功さん(医療事故調査会代表世話人)
中村秀一さん(厚生労働省老健局長)

コーディネーター
NHK解説委員 迫田朋子さん

― 大石佳能子さんの紹介 ―

迫田: 医療・福祉・民間企業の提供者の側から、「本当の利用者本位とはどういうことなのか」というお考えのもとに、前向きに考えていこうと思います。
 まず私のお隣の大石佳能子さんです。医療制度改革など様々な医療の話をするときに、この用賀アーバンクリニックはいつも名前が出てくるところです。
 例えば患者さんにカルテを公開していて、それも電子カルテという方法だったり、あるいは患者さんのアメニティを考えた診療所のつくりになっています。

― 出産をきっかけに医療の世界へ ―

大石:私どもは3年前に起業しました。もともと、私はマッキンゼーというコンサルタント会社で、ヘルスケアとは全然関係のない仕事をずっとしていました。小売業やアパレル、食品など、お客様の視点から喜ばれるものを作るために企業活動はどうあるべきか、そのための組織やビジネスプロセスを変えるという仕事です。

 それが5年前、高齢出産をしまして、1〜2週間に1回病院に行くようになりました。その時に、医療事件や問題があったわけじゃないんですが、ざらっとした違和感があって、なんか、ここって変な世界だよねっていうのを感じたんです。

― ここが変だよ医療界 ―

大石:変な世界の一つは「患者さんの視点が活かされていない」ということ。
 例えば、みなさん、待ち時間が長いとおっしゃる。当然、病院関係者も理解しているのですが、じゃその待ち時間を減らすための具体的策はというと、予約制を取り入れているところもありますが、ほとんどはとられてない。

 もう一つは、「他の産業界のノウハウが活かされていない」ということ。銀行のように決して進んでいるといえない業種ですら、ATMでお金を下ろしに来る人と、ローンを借りに来る人は別の列に並ばせます。時間がかかる人と時間がかからない人を同じ列に並ばせると必ず平均的な待ち時間が長くなるから分けるという、当たり前のことをやっているわけなんです。でも病院は、風邪の人も肺炎の人も肺がんの人も、みんな同じ列に並んでいる。
 非常に不思議な業界だなと思って、何かできないかと考えました。

― 発見。医者も役所も「笛吹きゃ踊る」 ―

大石:初めに、いろんなお医者さんや役所の方とお話をさせていただきました。
 わかったことは、「変えたい」と思っているお医者さんがいっぱいいることです。だけど、「自分たちの仕事は患者を診ることであって、仕組みを変えることなんかじゃないんだ」「どうやってやったらいいかわからない。だけど誰かがやってくれるんなら一緒にやってみたいなと思っている」と言う方が非常に多いということ。

 役所の方は、「マクロ誘導はできるんだけど、現実的にそれができるかどうかはモデルがない、誰かモデル作ってくれないかな」みたいな感じのことをおっしゃる。
 それならと、その時にお話をしたお医者さんたちと、「一緒にモデルを作ってみようじゃないか」と。お医者さんにとって働く喜びがある、本当に患者本位の医療機関を作ってみようとなりました。

― 用賀アーバンクリニックの3つのコンセプト ―

大石:いきなり病院を作るというのもなんですし、お金もなかったので、クリニックを作ってみることにしました。2年半前に、世田谷の用賀駅から歩いて1分くらいのところに「用賀アーバンクリニック」を作りました。
 ここには、3つのコンセプトがあります。
 一つ目は「ファミリードクター」ですね。二つ目は「患者様の参加」。三つ目は「サービス業」です。

― コンセプトその1「ファミリードクター」 ―

大石:「ファミリードクター」というは、日本の「かかりつけ医」とは違い、総合診療で、一家族全員がすべての病気について一人の医師に対して相談ができます。
 また、患者さんは自分の病気が何かわからないわけですから、こういうふうな状況のときはどうすればいいでしょうか、という相談にのってくれる。そういうような機能を担うクリニックを作りたい。

 ただ、日本の医療教育の中にファミリードクターを育てる仕組みはありませんので、非常に難しい。そこで、複数の先生が短期で研修をして、お互いをカバーしあえるかたちにすればできるんじゃないかと考えて、うちのクリニックは複数の医者がいる、いわゆるグループ診療という形態をとっています。でも複数の医者がいるだけでは大病院の外来と一緒なので、医者が変わったときに情報が切れないよう、情報を完全に共有化するための電子カルテを2年半前から入れました。

― コンセプトその2「患者様の参加」 ―

大石:電子カルテを入れると、患者様とも情報共有ができる。プリントアウトというところを押すと、ダーっとカルテが出てくる、これを患者さんにもお渡ししましょうとなりました。
 感染症から生活習慣病に疾病構造が変わる中で、患者様が自分の行動を変革していかないと病気は治らないわけです。そこで患者様の参加を促進するために、カルテを全員に完全開示しています。
 もっと便利にするために、セキュリティのきいたインターネットを通していつでもどこでも自分のカルテにアクセスできる「オープンカルテ」という仕組みを作ってみたりしました。

― 電子カルテでつなぐ病院−診療所のネットワーク ―

大石:私どもはファミリードクターですから、高度な病気が見つかった時には中核病院にご紹介するんですが、その時に過去のカルテおよび検査データ・画像データが失われないように、全部それを病院さんにお送りするよう、病・診連携の情報システムを作ったり、というようなことをしています。

― コンセプトその3「サービス業」 ―

大石:クリニックはちょっとかわいくて豪華な雰囲気になっています。医療用の機材や家具・机は高価なので、バーゲンセールのイタリア家具などを使ってコストを下げているかたちです。

 完全に保険適用のクリニックですが、どうやったら現行の保険制度の中でいろんな工夫を加えながら、より患者さんの求める医療が提供できるかと考えています。たとえば電子化は全然保険点数に反映されませんし、いい雰囲気を提供するためにはお金はかかるんですけど、それをどうやったら今の仕組みの中でできるかということを実験しています。

 平成15年7月にはクリニックの形態に、病後児保育をつけた施設を田園調布にオープンします。最近は病院の経営などにも同じような思想で活動をしています。

― 浜田静江さんの紹介 ―

迫田:浜田静江さんは「NPO法人たすけあいゆい」の代表でいらっしゃいます。横浜市の南区で介護保険ほか、精神障害者の支援など様々なサポート活動をしていらっしゃいます。

― 「9人のおばさん」から300人のスタッフへ ―

浜田:横浜市の南区というところで活動しています。高齢化率が18%を越えていて、横浜市の中で一番少子化が進んでいる地域です。
 最初の時に大熊由紀子さんにお会いした時に「おばさん9人で14年前に始めたNPO法人です」って紹介させていただいたんですが、介護保険の指定事業者になった初年度の決算額が1億3千万円でした。3年経って、決算額が4億円を超えています。私たちは主婦9人で始めたグループですけども、今スタッフは300人になっています。

― 支え合う理由は「同じ土地に住んでいる」ことだけ ―

浜田:私どもと関わっている世帯は南区だけではなくて、横浜市に1,000世帯くらいいます。それは私ども支える方も、支えられる方も横浜市に住んでいる、ただそれだけの関係なんですね。「地域で暮らし続けたい」という、一つの思いだけで関わっていくわけです。
 私どもは地域で暮らし続けたい人間の集団ですので、支えてほしい人も支える方も区分けがないんです。

― 義母のプライド ―

浜田:嫁にきて30年近くになりますが、一緒に住んでいる主人の母は90歳になります。
 私はすごく忙しく仕事を24時間して、家族のことを放ったらかしていたんですが、母が去年の暮れに風邪をひいて、要介護度1から4になりました。母を一生懸命に介護しようとしたんですが、なかなか思うようにできない。大きな円形脱毛症が2個できました。

 母に聞いたんです、「お母さん、90になってどういう介護をしてほしい? これからどう生きていきたい?」。そうしたらば、「ママだけに看てもらおうとは思ってないよ。要介護度4の通知を見て、私は情けない人間になった」と泣き崩れました。
 90歳なのに要介護度1で、みんなに助けてもらわなくても私は一人で生きていけるとていうのが、母のプライドだったのです。それが「要介護度4になったってことは、これから私はみんなにそうとう迷惑をかけなければ生きていけない人間になっちゃったってことなの?」って言うわけです。

― 義母の意思表示 ―

浜田:2週間、私も円形脱毛症を抱えながら、母を一生懸命介護しながら、仕事を続けていたのです。その時に母は言ったんですね、「余分なおせっかいはしてくれなくていい。要介護度4であっても私は私という人間に変わりがない」と。隣の奥さんが2日に一度来てくれればいい、あとは兄弟にお願いをしたり、自分の好きな人に囲まれてこれからを生きていきたいと、はっきりと意思表示をしてくれましたので、円形脱毛症は幸いにして治りました。

― 最優先すべきものは「本人の意思」 ―

浜田:本人がどの制度を使うのか。自分を大切にしてくれる人たちと、どの距離感をもって生活していこうとするのかは、本人が決めればいいことなんだと思うんですね。

 ですから私たち「ゆい」の300人のスタッフは、一生懸命がんばっていますが、やりすぎてはいけない。声を大きく出しすぎてはいけない。決めたことをゆっくりと支えよう。究極の介護は、私たちが透明人間になることだというふうに、14年間でしみじみと思います。右手がご不自由の方にケアをするときに、そっとそばに静かに寄り添って、その方が右手で何かをしたいときに誰かが手を添えればそれで介護だと思っています。

― 地域の在宅を支えるものは、地域の力 ―

浜田:制度はたくさんあったほうがそれに越したことはありません。でも、地域の中で暮らし続けるためには、地域の人たちが、たまたまそこで生まれ育った人たちが、違った文化を持ちながら、いろんなシステムを生み出して、力も発揮してこそ、地域の在宅というものは続けていけるのだろうなと思っています。

― 病気を抱えながらも ―

浜田:私は6年前に膠原病という病気を発病しました。病気をもっている私が、このまま仕事を続けていっていいんだろうかと悩みました。その時に得たドクターからの「いいんだよ。君みたいに介護してる人の気持ちと、利用しようとしている患者さんの気持ちと両方わかる人って世の中にそんなにいないはずだよ。共感なんて最初からできてるじゃないか。そういう人が身近にいてくれる安心感って、これは誰にも与えられるものではないよ」という励ましによって、私はここまで来ています。

― 地域住民の思いやりをもっと信用して(笑) ―

浜田:長い人生いろんなことがあります。第1部での中西さんの「障害者はその人たちを見捨てないよ」という発言はとてもショックでした。うちのスタッフも、この方に一生関わりたいと思っても、自分が病気になってしまったり、家族が病に倒れたりしたときは現場を離れる時間もあります。ですけども、少なくともスタッフは一度お出会いした方たちと、自分の方からお別れしようということはありません。
 地域の人、力を信用して、そっと寄り添わせていただく権利も、地域の住民に与えていただけたらうれしいなと思います。

― 望月庸光さんの紹介 −

迫田:医療・福祉と提供する側、けれど提供者だけでない、自分も利用する側だという、その両方の思いがあって利用者本位ではないかというお話だったと思います。
 続いて、民間企業の側としまして、東京ディズニーランドというふうに申し上げた方がいいかと思いますが、オリエンタルランド・クリエイティブ業務部部長の望月庸光さんにうかがいます。

― オープン当時の東京ディズニーランド ―

望月:東京ディズニーランドは、1983年にオープンしました。カリフォルニア州のディズニーランドをコピーするかたちで日本に持ってきたので、車いすでご利用できるレストルームやスロープなど、その当時のアメリカのレベルでの配慮がそのまま持ち込まれたわけです。
 我々自身は、障害をもたれたゲストに関してのいろんな情報は持っていませんでした。ただ、パークをうまく立ち上げて、よいかたちで進めようと一生懸命にやっていたというのが実態でした。

― 「障害を持つ方にもディズニーを楽しんでもらおう」計画スタート ―

望月:その後、視覚に障害のある方が「もっとこうやったらディズニーランドを楽しめるんじゃないか」ということを言われているという話を聞きました。それだったら一度来ていただいて、より楽しんでもらうためにパークを体験してもらおう、というのを始めました。

― 切り口は「とにかく楽しんでもらうために」 ―

望月:その時の我々のやり方は、「障害をもたれた方の不便さを調査して、問題を見つける」という切り口ではなくて、アトラクションの人気ランキング。「楽しいアトラクションと楽しくないアトラクションはどれですか」という切り口です。
 それは深く考えたわけではなく、このパークは楽しんでいただくためにあって、そのために我々が運営してるのですから、とにかくゲストに楽しんでもらうためにはどうしたらいいかという一つとして、取り組んだわけです。

― パークの改良に素人集団大奮戦! ―

望月:やってみると、我々が気づかないところで、たくさんの不便があるのがよくわかりまして、素人集団ですが「こうやろう、ああやろう」と改善策を考え始めたのです。

 最初の頃は、重装備のとんでもないレストルームのアイデアを考えたりしたものですが、実際に障害を持たれた方に相談すると、「各々の条件にあったレストルームを作って、そのレストルームがどこにあるかという情報を提供してくれればそこを利用しますから、それでいいんですよ」という返事がきて、「あ、そうなのか」っていうような。毎回そういうことの繰り返しでした。

― まずは、情報提供から ―

望月:パークを楽しむには何が必要なのか。まず来園する前に、情報を提供することが必要だと思いました。実際、ディズニーランドに来て楽しめるかどうかわからないで、いろんなことを心配しながら来園しても楽しくありません。事前に情報を提供すれば、既存の施設・設備を有効に使ってもらえるだろうし、精神的にも安心して楽しもうと思って来られます。

 パークの情報をもっと知ってもらおうと、来園された時にも模型を作ったり、敷地図を作ったり。
 敷地図は、一般的な敷地図ではなく、触わった感じでその雰囲気がわかる色地図を作って、それ自体も楽しめるものにしようと考えました。我々の中には物作りができる人間がいっぱいいますから、例えばウエスタンランドだったらレザーを貼ろうとか、トゥモローランドだったらメタリックな感じにしようとか、壁紙の素材を使って雰囲気を出すことができました。

― 「ディズニーランドに溶け込んだ」配慮を目指して ―

望月:もう一つは、レストルームを中心としたサービス施設の改善です。あとはアクセスをよくしようと。そして、アクセスがよくてそこに行けたとしても、それ自体が楽しいわけでは決してないわけですから、楽しんでもらうためには、どれだけ高品質のショーをやるのかだとか。

 また、テーマパークという言い方をしますが、テーマの中でやっていますので、いかにそのテーマと矛盾しないかたちですべてのものを入れ込むかを考えています。実際に、障害を持たれたゲストのために配慮したものを、そういう配慮をしたものだと気づかずに一般のゲストが利用されています。我々としてはそれが一番いいかたちです。逆に気づかれてしまった場合は、あまりいい入れ込み方ではなかったと我々は評価してやっています。

― すべてのゲストがVIP★ ―

望月:これからやらなきゃいけないことはいっぱいあります。いろんな障害を持たれた方にいっぱい楽しんでもらえるようなショーの提供の仕方などは、まだまだ手付かずの部分がありますし、これから詰めていかなきゃいけないと思っています。
 すべてのゲストがVIPだというのが基本です。障害を持たれてる方とか障害者の団体だというカテゴリーはなくて、ゲストに楽しんでもらうためにはどうするのか、という切り口でやっていきたいなあと思っています。

― 森功さんの紹介 ―

迫田:続いては森功さんです。医療事故調査会代表世話人でいらっしゃって、大阪の医真会八尾総合病院の理事長をされています。
特に医療の世界では、例えばこれは医療ミスではないかというときにも非常に医療側の壁は厚くて、患者側はその壁を突破できないんですけども、医療側のほうか患者サイドに立った医療事故調査会という、非常に客観的な立場でずっと活動されてこられた方です。

― 結論。全面的な情報公開こそ肝要 ―

森:結論から申しますと、私どもが利用者本位、つまり患者あるいは患者の家族と名付けられた国民のためにできることは、全面的な情報公開です。
 私どもがやっております調査会の作業や病院の内容に関しましては、ホームページにお越しいただきましたら極力開示しているつもりです。

― 遊学で学んだこと「患者の願いは万国共通」 ―

森:私は1965年に大学を出て、51年にアメリカから帰ってくるまで、ケニアを渡り歩いたり、アメリカのいろんなところで心臓の専門の研修をさせていただいたり、いろんな経験をしました。
 そこでわかったことは、どの国でも誰もが、よい医療を受けたいし、安全な医療を受けたいし、「人よりは余計に自分のほうに目をかけてほしい」と思っていることです。

― 帰国、徳州会との決別 ―

森:帰ってきて、1978年から8年間ほど徳州会病院におりました。徳州会もはじめは志はよかったんです(会場笑い)。私は総合過程の研修制度なんぞを始めまして、今も研修制度はありますが、今をもって誇りに思っています。
 ただ、衆院議員のバッチをつけることが政治家になることだと勘違いしている人もおりましたんで、それ以降、袂を分かちまして、1988年に八尾で医真会を立ち上げました。

― 医療・福祉の総合的な運動 ―

森:私のできることは、一つの普遍的な理念に基づいた医療・福祉の総合的な運動をやることによって、地域の住民のニーズにいろんな面で応えていくこと。
 ただ、私どもの持っている実力は、そんなに高いものではないので、当然、職員の品質を管理する必要があります。

 1995年、厚生労働省が第三者機関を作り、病院の評価を始めようと言われました。これを契機にして、私どもの職員に「目を開いて、本当に地域の住民のニーズに応えられるような質を持った医療を提供できるかどうか、そういうことを目指して考えてほしい」と申しました。「大阪府で最も給料の低い理事長・院長(笑)として、私は諸君に約束する。みんなと一緒にやりましょう」と。そして、取り組んできました。

― 調査会の旗揚げ ―

森:ちょうどその頃、患者さんの裁判のことで悩んでいる弁護士さんが私どものところに相談に来られました。裁判は公正・中立であって、しかも医学的鑑定は厳然と学術的でなきゃいかんというのが私どもの方針でしたが、そういうことを一緒にやっている人たちといろいろな調査会を作り上げ、現在もやっています。

― 日本の医療機関の実態は深刻だ ―

森:日本の医療機関は決してオープンではなく、情報は開示しないし、事故はできるだけ隠そうとします。事故を起こして裁判になると、何とかして被告、つまり医療側にミスがなかったという論点を強調するため、3割くらいの勝訴しかない。通常の裁判のおよそ8割は原告がお勝ちになることを考えますと、3割を切るなんてのはとんでもないことであり、大変深刻な現実です。

 その中で、勝村久司さん(医療情報の公開・開示を求める市民の会)という方が、大阪で裁判を起こされました。娘の星子ちゃんがお生まれになってすぐお亡くなり、産科の医療過誤が原因ということで、その医療情報を公開すべきだという活動をずっと続けておられました。
 勝村さんは病院側と非常に粘り強い折衝をされて、結果的に病院側も全面的に協力をしました。この病院は現在、日本の公立病院で唯一すべてのバイアスを取り除いた全面情報公開をしています。大熊由紀子さんや、日経新聞の細川静雄さんも、外部委員として監査委員に入っていらっしゃいます。
 こういうことが始まって、日本もやっと医療情報公開のスタートを切ったかなと思っています。

― 利用者と一緒に進める医療・福祉 ―

森:私どもも、実は去年、死亡事故を起こしております。当初からとにかく謝罪に入り、何が起こったか監査機構内部にも話し、監査機構が最終的に調査したものを遺族側にも私どもにも渡して、共有化いたしました。

 この一部始終をホームページに記載したいと申し上げましたが、残念ながら断られてしまいました。被害をうけた側が、それをオープンにされるということに対して非常に抵抗があるということを経験いたしました。こちらのお示しした賠償金を不服として裁判を起こされましたので、余計にそうなりました。

 先日、原告側が事故についてオープンにされたのを契機に、ホームページに掲載することができました。裁判の結果は、こちらがご遺族に提示した額より低い額にで決着いたしました。そういうふうにして、自分たちはどういう立場にあるのかということを遂次ご了解いただいて、ご理解いただきながら一緒に医療・福祉をやっていく。

― とことんやります情報公開 ―

森:情報開示の方法としては、電子カルテは高額で公的な支援を受けないと病院での導入は難しいので、診療手帳を自己管理カルテ、アナログ的に手で書いて、情報の共有化ツールとして今やっています。
 ホームページ等も活用しています。事故が起きた場合は、そのいきさつと、どういう改善策をとったのかをお知らせしています。

 また、日常的な作業を突然、監査することで、どれだけマニュアルから逸脱して行われているかを自ら確認してもらい、再度監査をするまでの数ヵ月の間にどれだけ改善したかというような取り組みもしています。

 だから、とことんやってますから、なんとか信用してちょうだいよ、というのが私どもの願望でございまして(笑)。
 情報公開は、大変重要なポイントです。ここを突破口にして、医療・福祉に対して利用者、地域の住民の方々に、安心感を持っていただきたいと思っていますし、共同で作業するというのはそういうことだと思っています。

迫田:公立病院で全面情報公開をした病院は、枚方市民病院です。

― 中村秀一さんの紹介 ―

迫田:それでは最後になりましたが、厚生労働省老健局長、中村秀一さんにお話をしていただきます。

― 介護保険制度の3年間 ―

中村:私は介護保険制度を担当しております。介護保険のスタート時において、利用者本位というのは重要な課題でした。
 第一部での「障害福祉は介護保険のいいとこどりで?!?!?!」では、介護保険制度は、支援費制度からいいとこどりしたものを加えなければならない客体として、理念が低い制度として論じられておりました。また、「介護保険になれば、財源は無限にある」というようなご意見もありました。
 ちょうど保険料の改定も行いましたので、どういう状況なのか、介護保険弁護のためにもこの3年間について申し上げたいと思います。

― 在宅サービスを推進した介護保険 ―

中村:2000年4月に介護保険がスタートした時から今日までで、65歳以上の人口は10%増えました。要支援・要介護になった方は218万人から、3年経って340万人になりまして、こちらは56%増えました。
 サービスを利用された方は2000年4月で149万人、今日は266万人となり、78%の増加です。

 特に、在宅サービスの利用は、97万人から194万人へと倍増しています。
 1990年にゴールドプランを作った時、ホームヘルパーさんは3万人しかいなくて、「2000年に10万人にする」と言ったら、大熊由紀子さんに「目標値が少ない」と叱られました。しかし10万人に増やす手立ても見込みもなかったということから考えますと、措置から保険へというのは一つの効果だと思います。
 今日の日本は「失われた10年」と言われ、どこでも指標はマイナスです。そのの中での倍増ですから、私どもはこれを、介護保険の成果だと思っています。

― 寝たきり老人へのホームヘルプサービスは大改善 ―

中村:私が高齢福祉課長だった1990年頃には「日本で在宅の寝たきり老人は24万人いる」と推定しておりました。その時に市町村からヘルパーの派遣を受けていた人は半数の10万人でした。また、受けている人のデータを見ると、年に48回のヘルパー派遣、1年52週ですから、週に一回しか来てもらっていなかった。

 2002年3月のデータでは、99万人の方がホームヘルプの派遣を受けておられます。要介護5の人が1990年当時の「寝たきり」と呼んでいた人にあたると思いますが、その人には月に26回以上ヘルパーさんが来ています。10年前の水準と比べると7倍近くになります。

― 介護保険制度の問題点、費用は増えてゆく・・・ ―

中村:しかし、それを担うためにはお金がいります。2000年度に3.6兆円だった介護保険の費用は、2003年度には5.4兆円、33%増になっています。これをファイナンスしていかなくてはならない。

 日本国民には、2003年4月の保険料の引き上げはあまり波乱なく飲み込んでいただけたかと思いますが、現在も給付費は年に10%ずつ増えています。この伸びが続くと、10%増が3年間で3割増になりますから、3年ごとに保険料を引き上げることになります。それを国民が受け入れてくれるかどうか。国民に納得していただけるようなシステムを作り、そういうサービスを届けられるかどうかが、これからの課題です。お金の問題だけではなくて、まさにサービスが大事です。

― 今こそ新たな課題を持って新たに進む時 ―

中村:そう考えてみますと、2003年度5兆4000億円使ってする介護サービスが、本当に要介護者の自立支援のために役に立っているのか。もっと同じお金で効率的なサービスができないのか。地域で暮らしつづけられるようなサービスができないのか。自宅で暮らせない、その後の選択肢として特別養護老人ホームという施設しかないということではいけないのではないか。

 そこで、財政面では介護保険制度をどのように持続可能なものにしていくか、またどれだけ負担していただけるかについて議論を重ねていく。一方で、団塊世代が65歳になりきる2015年までに、中・長期の新しい介護のビジョンを作り、それに向けた新たな介護保険システムを模索する。
 特にサービス面で、自宅と特別養護老人ホームの間に、小規模で多機能で地域に密着したきめ細やかなサービスのあり方を模索することが課題ではないかと思います。

― これからの特別養護老人ホームは全室個室です―

中村:今から作られる特別養護老人ホームについては全室個室です。2002年度は新設で84ヵ所できましたし、2003年度は新たに作られる特別養護老人ホームの90数%、200以上が全室個室のユニットケアになります。こういうフレキシブルで地域に受け入れられやすい施設サービス作り、施設の在宅化を図ります。

 この3月に、我が局の若手をヨーロッパ6ヵ国に派遣しましたが、オランダのナーシングホームで同じ議論を聞いたとか、イギリスでもパーソンセンタードケアという、いわば人間本位、利用者本位という考えが政府の口からさかんに出てきたという報告を受けて、嬉しく思いました。我々は世界のケアの最先端にいるし、我々の議論はグローバルスタンダートになってるんだなあと意を強くしているところです。手前味噌かもしれませんが、障害者行政だけではありませんので、頑張りたいと思いますのでご支援ください。

― 質問&会場の声 ―

迫田:提供者側におられる皆さんのお話を伺って、実際に利用者である私たちから、ご意見がありましたら会場から手をあげていただきたいと思います。
 早速、挙がりました、中西さんです(笑)。どうぞ。

― 皆で一緒に良くしていくために… ―

中西:濱田さんのお話を聞いて、少しお伝えしなければと思って。
 我々の自立センターの場合も介助は健常者がやってくださるわけで、地域の皆さんとともに歩む、という意味では同じ立場であると思います。実際、阪神大震災の時も、我々阪神の自立生活センターは、多くのご老人の方へ水汲みをしましたし、訪問をしました。

 でも、当事者が一番ニーズを知っているということは濱田さんにもわかっていただきたい。そのために我々が主体をとるということも拒否なさらず、サポーターになっていただきたいというのが我々のお願いです。そして皆と一緒に地域をよくしていこう。

 障害者だけがよければいいと思っているわけではなくて、高齢の皆さんにも社会参加するよい介護保険を、中村局長に作っていただきたい。そのために、障害者のサービスをまず完璧なよきものにして、それをモデルにして、高齢の介護保険をよいものを作っていただきたいと思っています。

迫田:どうもありがとうございます。ご意見として伺わせていただきました。

― 広い基盤で多くの知恵を ―

清家:福岡から来ました清家一雄と言います。2点あります。
 中西さんと違って、介護保険と共通の基盤の上でサービスを提供するのもいいんじゃないかと思います。数の問題です。障害者だけのサービスを作って狭い仕組みになってしまったら、ユーザーの価値が非常に少なくなり、マーケットが小さくなって、知恵が出てきにくいかもしれないという感じを受けました。

 もう1点は、64歳以下の障害者たちは働いてキャリアを積んでいかなくちゃいけない。キャリアを積むために必要な介護サービスは何かという視点が必要だと思います。競争社会の真っ只中で戦いながらキャリアを積んでいくわけですから、納税者がどこまでその人にハンディをあげるかということは非常に難しい問題になると思います。

迫田:ありがとうございました。ご意見として伺います。

― きちんとした理念そして根拠を ―

古瀬:3月まで建設研究所にいました、4月から大学に移った古瀬徹(こせさとし)と申します。第一部の話を聞いていて若干、苦痛でした。なぜかというと、一番本質的な理念がそこでは語られなかったからです。介護保険が導入された唯一の成果はこれを恵みではなくて権利であると宣言したことだと、それ以外はゴミだという風に私は思っております。
 もう一つ言いたいのは、住宅改修はなぜ20万円なのか。この根拠は全く示されていない。あとで根拠をお示しいただきたいと思います。

迫田:それは後ほどでよろしいですか。

古瀬:はい。

迫田:ほかに、利用者本位ということで利用者の側からの考えをどうぞ。

― 知能があっても社会適応できない。そんな問題にも「えにし」の手を ―

飯高:こんな企画を準備してくださいまして、関係者の皆様、本当にありがとうございます。上智大学におります飯高京子ともうします。日本聴能言語士協会の会長をしております。5年前、スピーチセラピストの資格は大卒にと首長して、厚生省や医療界の先生たちに大変、迷惑がられました。とにかく、医療福祉教育にまたがる国家資格を実現させていただきました。

 今、お願いすることは、私の教え子で自閉症やADHDのことです。大学を卒業しても、うまく職場に適応できなくて非常に困っている青年がたくさんいます。
 アメリカには、ジョブコーチという職業が各市町村にあります。ジョブコーチは、能力はあってもうまく人と付き合えずに誤解をもたらすような人たちと、雇用者側との間に立って2、3ヵ月、その人に寄り添って職場に適応できるよう援助をするそうです。

 東京都国分寺市にはジョブコーチが3名いらっしゃるそうで、ニーズは非常に高いんです。ぜひぜひ日本にも、障害を持ったいろんな人たちのために橋渡しをするという職業の確立と援助をしていただきたいと思います。

迫田:ありがとうございます。ではもうひと方。

― 現実と理念の整合性 ―

益留:西東京市で障害者の自立支援をやっております、自立生活センターの益留俊樹と申します。中村老健局長がお話されたように、高齢福祉分野もす全室個室の特養が登場するということで、10年前からすると確かにレベルが上がってきたし、個人の人権というものは守られるようになってきたのであろうと思われます。

 ただし、介護保険への組み込みについてはたとえば次のような疑問があります。家族が一緒にいることが前提の介護保険と、逆に家族と離れて暮らしていこうとしている障害者のニーズを、どのように整合性をとっていくのか。そして、家族が面倒をみることが前提である現実の福祉、いかに権利が保証されるといえようとも施設で生活せざるをえないこの現実に対して、在宅の理念をきちっと構築していくべきではないかなと思っています。以上です。

― 最後に ―

迫田:利用者本位という場合に、利用者の声をどうやって聞く、または捉えるチャンネルを提供側として持っているのか、あるいは利用者・提供者という分け方そのものが間違っているんだろうと、今のお話を伺って思います。皆様からのご意見、ご質問を踏まえて、最後にお一言ずつ伺いたいと思います。

中村:いろいろなご意見をいただきましたし、ご質問もご指摘もたくさんいただいたように思います。
 第一部についてお話した部分で、介護保険と障害福祉が綱引きをしているように印象づけてしまったかもしれませんが、冗談めいた発言ですので気にしないで下さい。
 支援費の問題では、辻官房長の音頭で省内で一生懸命、精力的に研究会や勉強をやっているところです。そういう中に私も必ず呼ばれておりまして、中西さんのところも訪問させていただいて、自立支援運動もつぶさに教えていただいたところで大変勉強になりました。

― 全ての問題は高齢者問題へ…。高齢者問題が突破口と広げる! ―

中村:それで思ったことは、精神障害の話にしろ、知的障害の話にしろ、自立支援の話にしろ、出てくるコンセプトは全て高齢者の問題にも通じるということです。
 歴史的な経過や、先ほど数のお話がありましたけれども、日本が世界に例を見ない高齢社会になっていくというところで、社会全体で対応せざるをえない問題で、高齢行政が事実上先行しているということでございます。

 残念ながら障害行政や精神障害の問題で、我々の力がまだ及ばない、率直に個人的に思うのは、やや遅れていると思います。
 不肖、1990年に高齢者行政を担った人間は、我々が突破口を広げれば必ず障害行政に波及すると思ってやってきました。ゴールドプランを作った時も、「高齢者だけよくして」と障害行政の方々から随分ひがまれたんですよね。実際、その後エンゼルプランができ、障害者プランができました。このように、歴史が証明していますので、「我々が突出することは絶対皆のためになる」と信じてやっていますので、その点をまず申し上げたいと思います。

― これからの社会を考えると… ―

中村:先ほど、住宅改修の20万円のお話が出ました。介護保険の給付では上限額がありますが、実際のサービス利用は限度額の4割以内でして、これは制度スタートから3年経っても変わっていない。上限に達している方は1%くらいです。
 日本は家族同居がケアモデルになってるんじゃないかというお話もありました。確かにそういう側面もありますけれども、上限との関係で、それが深刻に出てるかどうかという問題があります。

 これからの高齢化や社会の状況を考えますと、私などもきっと定年になると妻に捨てられると思いますので(笑)、単身高齢者になると思います。そういう時の老後を考えると、一人暮らしで弱った時にニーズが増えると思いますので、その時のケアモデルなり、対策は考えていかなくてはいけないと思います。自宅で住み続けるモデルなのか、無理しないで住み替えモデルでやるのか、それは政策の問題でもあると思いますし、利用者の方の選択の問題でもあると思います。
 すみません長くなりました。

迫田:皆さん、今の発言をしっかり記憶にとどめておいてください。では続いて、森さん、お願いします。

―新しい文化をつくる気持ちで ―

森:現在でもまだ重度障害、あるいは精神障害の方が医療に関わる時は行く場所がなくて大変です。非常に偏見と差別があります。弟が精神病理者です。幸いグループホームで多くのケアを受けていますが、それはごく一部のことで、医療を含めて福祉にも関われない人がたくさんいることも現実です。
 これに対して我々民間の組織がどこまでできるかわかりませんが、もう少し全体の意識を変えていこう、新しい文化を作ろうという気持ちで今後やっていきたいと思います。

 医療事故に関しましてはこの8年間、残念ながら、一向に減る気配がありません。患者さんが証拠保全したいなと思うほど医療結果に不安や不満を持たれた時には、その4分の3は医学的過誤であると結論づけて間違いありません。しかもその過誤のケースの60%強は死亡例です。ご注意ください。(一同笑い)
 ぜひ情報開示のことにご理解いただきたいと思います。

迫田:ありがとうございました。では望月さん、どうぞ。

― ゲストの来園が質をあげる一番の方法 ―

望月:我々にとっての利用者本位は、障害を持たれたゲストにパークへ来ていただくことです。
 パークではアルバイトなどをキャストと呼んでいますが、キャストは学生さんが多いので、卒業して就職したりとかいろんな形で、年間で1万数千人が入れ替わります。障害を持たれた方とどのような形で接したらいいのかトレーニングを受けて、実際にパークの中で対応をする機会を得たキャストが、毎年1万人以上、社会に出ていく。

 障害を持たれた方とどのような形で接したらいいのかを教えてくださるのは、マニュアルではなくて、来園されるゲストだと思っています。来ていただくとお金が儲かるっていうのもあるんですけれど、それが一番パークの質を上げることですし、ゲストのことを聞くことにもなるんではないかなと思います。

迫田:皆で東京ディズニーランドに行こうということのようです、はい。(笑)
 では、濱田さん、お願いします。

― マネマネマネージャーは言う、「すべてはこれから!」 ―

濱田:私はケアマネジャーでもあります。マネマネマネージャーみたいな、巷で悪い評判ばかり聞いているので非常に残念ですが、介護保険の良さはケアマネジャーに保険料の中からきちんと人件費を出して、中立な立場に置くシステムにしたことだと思います。それを支援費に導入できなかったのは辛いところだと思っています。
 これから皆さんが作っていくんだというふうに思って、ちょっぴり勇気を出して、一歩ずつ皆さんで大きな声を出していくことを続けていけば、きっと良い制度にはなると思います。

― 制度は利用者の賢さを問う ―

濱田:先ほど、住宅改修の20万円のお話が出ましたが、私も20万円の中でこの人を自立させるためにどういうふうに手すりをつけたらいいのか、段差を解消したらいいのかというのは日々朝から晩まで悩んでいます。

 横浜市は非常に頑張っていて、20万円で足りない場合はぼーんと130万円上乗せをして、それでも足りなければ障害者の150万という枠をぼーんとあげます。私もケアマネジャーではなくて、今度はコーディネーターの顔、あるいは地域の生活者の顔を持って、そこにおせっかいで介入して、あらゆる制度を使いまくって気持ちのいい住宅環境を作り出せているわけです。

 制度というのは利用者が自分にどう便利に使えるかっていう、賢さを計っていることになっているんじゃないかな。
 支援費も介護保険もこれからです。生活者の側に制度はどんどん来ているわけですから、それを利用する私たちは賢い利用者にならなければいけないんじゃないかなと思います。

迫田:最後になりました、大石さんです。

― 医療現場での利用者本位 ―

大石:私は福祉や介護の分野が強くありませんので、あくまでも医療現場における利用者本位ということで限定してお聞きください。
 私どもは患者様の意見を吸い上げて、いろいろとそれを仕組みにしてきました。自分や家族が病気になったらどうしてほしいかという、そういう普通の、人間として本能的に感じるものです。素直に考えれば出てくる。ですから、利用者の声をピックアップするのは実はそんなに難しくなくて、むしろ、これを実現する仕組みをどうやって作るのかというところが難しいと思っています。

― 医療界でもマーケットアウトとプロダクトイン ―

大石:これは医療界に限らず、産業界においても、よく「マーケットアウト」ということが言われます。マーケットアウトをして、それを提供する仕組み、私は「プロダクトイン」って呼んでるんですけど、マーケットアウトに即したプロダクトインを作ることが実はすごく難しい。
 提供する仕掛けを作っていく中で、非常に難しいポイントになるのは人の教育ですとか、人が動く仕組みの作り方、あともう一つはエコノミックス、要するにきちんと採算をあわせていくということが難しくなってきます。

 ご存じの通り、医療機関は、今潤沢に潤うような状況ではございませんので、多くの病院は赤字を抱えています。そういう中で、もっともっと患者さん本位に仕組みを作っていくというのは、非常に大きなチャレンジだと思うんですね。
 ただ、病院の経営の中身をじっくり見てみると、まだまだやれることはあると思います。

― 本当の意味での「儲ける病院」を目指して ―

大石:一つ目に、病院の中では、例えば病院は営利であるべきではない、収益性を上げることは悪だと思われている部分があります。私どもは大原則だと思うんですが、病院は適正利潤を上げていかないと、人の教育などに再投資できませんので、きちんと利潤をあげていく仕組みにしていかなくてはならないと思います。儲けることに対するネガティブさをまず取らなくちゃいけない。

 二つ目は、それをやるために、経営者の教育が非常に大事になります。病院のトップの方々とお話していると、「儲ける病院」にするのは簡単なんだ、と言います。例えば、「小児科が不採算だからこれ切っちゃえばいいんだ」とか、「もっと検査をすれば儲かるんだ」とおっしゃる場合もあるんですが、利用者本位の医療を提供しながら儲けていくというのは、そういうことではありません。

 地域のニーズに合うことをどんどんやっていくことに、実は適正利潤をあげていく鍵があるわけですね。例えば救急車をきちんと受け入れたら、これは入院につながりますから、地域のニーズに合いながらきちんと収益性をあげていけます。経営者の方々の発想の転換およびそれが実務的に運営できるような仕掛け作りが今後求められるのではないかと思っています。

迫田:どうもありがとうございました。
 こういうすばらしい方々と一緒にお話を聞かせていただいて、そしてすばらしい聴衆の皆さんとこうやって話しをさせていただけたことを感謝して終わりたいと思います。

****縁****繋****縁****繰****縁****経****縁****緯****縁****継****縁****続****縁****

▲上に戻る▲

ことしもまた、縁を結ぶ会・目次に戻る

トップページに戻る