鼎談「ほんまに みんなで考えたい 人の福祉(しあわせ)」
福祉と医療・現場と政策の新たな「えにし」を結ぶつどいより
(2005.4.23(土)東京・内幸町のプレスセンターで)

総合司会・細渕宗重さん: 壇上が整ったようですので、次のプログラムに進ませていただきたいと思います。「ほんまに みんなで考えたい ひとの福祉(しあわせ)」という題でこの顔合わせ、いったい何が始まるのかという、お集まりのみなさまの面もちをお見受けいたします。オモロイ自立生活センター・メインストリーム協会副代表、玉木幸則さん。(拍手)。厚生労働省老健局総務課長・山崎史郎さん。(拍手)。厚生労働省障害保健福祉部企画課長の村木厚子さんでございます。(拍手)。玉木さんは、関西弁の脳性マヒの当事者でございます。名だたる厚生労働省のエリート官僚にどういうふうに立ち向かって、そこから何を引き出そうとするのか、お楽しみをいただきたいと思います。それでは、玉木さん、よろしくお願いいたします。

― 玉木さんの自己紹介 ―

玉木幸則さん

玉木幸則さん: 何で僕がここにおるかっていうのは、僕もわかりません(笑い)。1か月ほど前、夜中の11時ぐらいに、自宅に、由紀子さんから電話があった。由紀子さんが電話かけてくる時はだいたい夜11時前後でしてね、うちの嫁さんが電話とるわけですけども。うちの嫁さん、由紀子さんと僕、ひょっとして、できているんちゃうかと思っているんかもしれませんけども(笑い)、まあそんな感じで、今日は気楽にやりたいと思っています。

― 今日の趣旨「山崎さん・村木さんを裸にします」 ―

左が山崎史郎さん、右が村木厚子さん

玉木: 今日の一番の趣旨は、お2人を裸にしようかなと。裸に!いや、別に服を脱いでくださいとかいう話ではありません。公の場で公式の資料を使ってね、お話を聞く機会はあるかと思いますが、どんな人か分からんでしょ?ホンマのところ。どんな人が国の政策に関わっとって、どんな人が今の福祉を支えてるんか、を聞いてみたいなと思って今日は勝手に話を始めたわけですが。

― インタビュー「どんな子どもやったん?」 ―

玉木: まずね、どんな子どもやったん?っていうところを聞きたいと思うんですけども、いいですか、村木さん?どんな子どもで、どんな遊びしとったのかゆうところを、教えてもらえますか?

― 村木さんの子ども時代・・泣き虫で内向的で人見知り ―

村木厚子さん: えーと、ものすごく泣き虫の子どもでした。

玉木: え〜っ?

会場: (笑)

村木: (笑)ものすごい泣き虫で、ものすごい、なんていうか、内向的な、人見知りのこどもでした。

玉木: 信じられヘン(笑い)。どんな遊びを?

村木: えー・・・ゲームなんかなかった時代ですから。年がわかりますが。石蹴りとか、ゴム跳びとかで育った時代です。

玉木: なるほど。ケガとかはよくされましたかね?

村木: なんていうか、ぼーっとした、のんびりした子だったので、あんまりケガとかはしたことがなかったですよ。

玉木: 一般的に、ぼーっとしてるほうがケガしやすいと・・・

村木: (笑)つまづいたり。あのね、あんまり大けがしたりとか、キズ作ったりというのはなくて、幸せに、無事に育ったんですけど、そのかわりね、ツケが回ってきたらしくて、大人になってから、歩道を歩いていて、お巡りさんの車にはねられて…

玉木: 珍しい。

村木: 珍しい(笑)。4か所ほど骨を骨折しまして、それまでのツケを、そこで一回精算をいたしました。

玉木: なるほど。精算は借金でも何でも、大事ですからね。

― 山崎さんの子ども時代・・無口な、けれど慕われる少年野球のキャプテン ―

玉木: 山崎さんはどうでした?

山崎史郎さん: 私は小さい頃、しゃべれなかったんですよ。どもりというんですかね、吃音が非常に激しくて、小学校ほとんどしゃべってなかった。だから、野球をしてました。

玉木: 野球? 無言で?

会場: (笑)

山崎: (笑)無言! 無言じゃないんですが、野球はね、打てばみんな評価してくれるから。少年野球のキャプテンだった。

玉木: なるほど。無言でもキャプテンはできるって。すごい! 周りが心の広いというか、よほど慕われていたんですかね。

山崎: 慕われてたけど、弱かった(笑い)、チームは。すごく弱かった。

玉木: 阪神タイガースはずっと弱いですけど、でもファンは離れませんから。そういうのは、お人柄なんじゃないかなと思って。

― 玉木さんの子ども時代は・・・無口! ―

玉木: 次に、僕の子どものころはね、ほんまに無口で。

会場:(笑)

玉木: なんで笑うんですか…(笑)。ここまで開き直ってなかったというかね。じめじめした子どもでね。よう外に出て、仲間にいじめられて、泣いて帰ってた。うちのオカンきついから「何しとんのや、泣くんやったら学校なんか行かんでええ」て言われて、ほんで僕も学校は行きたかったから泣きながら行ってたっていう…そういう子ども時代でね。その頃考えたら、まさか自分がね、こんなところでね、って思いますね。

― 山崎さんの学生時代〜就職 ―

玉木: 次に学生時代のことも聞きたいなと思うんですけど。お2人とも無口であまりしゃべらず、おとなしい人やったってね。ところが、今は国家公務員ですよね。何をきっかけにこの仕事に就かれたんか、聞いときたいなと思うんですけども。今度、山崎さんから。

山崎: 言うのも恥ずかしいからあんまり言えないんですけども・・・大変不況でして、私のころ。第2次オイルショックで。ないんです、就職先が。もう、これは大変だったんです。国家公務員、入れてもらえるんだったら、ありがたいなと思いながら。いまだに場違いな感じが若干してるんですけども。そんな感じ。

玉木: もし、公務員試験、落ちてたら、今はどうなってたと思いますか?不況で競争率が高かったと思うんですけども。

山崎: 落ちてたら、グループホームをやってたと思いますね。

玉木: ほんまかねえ?(会場・笑)

山崎: おもしろそうだから(笑)

玉木: ほんまかねえ?まあそういうことにしときますか。(会場・笑)はい、わかりました。

― 村木さんの学生時代〜就職 ―

玉木: 村木さんは?

村木: 私は実は、山崎さんと同じ年に就職をしてるんです。私は高知の生まれで、ずっと、大学まで高知にいて、就職する頃になって、はっと気がついたら、4年制の女の子を雇ってくれる会社が、高知には1社もなかったんです、当時。均等法もなかったので。しょうがないので国家公務員と県庁の試験を受けて、国家公務員になった。

玉木: 両方受かった?

村木: 両方、受かりました。

玉木: 県を蹴って!

村木: (笑)県の面接官の人が2次試験で、県庁の女の人の仕事は、ずっと庶務だって言ったんですよ。すごく悲しかったんで、そんな意地悪なことを言わなかった労働省、当時労働省だったんですけど、そっちに行きました。

玉木: なるほどね。ほう。結局、きっかけは想像していたほどたいしたことないなぁ。

会場: (笑)

玉木: や、ほんまに。

― 玉木さんの将来の夢「福祉の仕事」 ―

玉木: 何で僕、今日これを聞きたかったかっていうと、仕事って考えたときに、障害があると、お二人みたいにはいかないんですよ。小学校の卒業文集に、将来の夢、みんな書きますやん、デザイナーになりたいとか、お医者さんになりたいとかね、プロ野球選手になりたいとか……。僕だけ「福祉の仕事」と書いた。無茶苦茶、地味な小学生だった(会場・爆笑)。

― 枠にはまった障害者の就労 ―

玉木: こないだね、ある福祉関係の専門学校で、障害者の就労のイメージはなんですかって聞いてみました。すると、「どっかの公園の掃除」とか、「パソコンを使った仕事」とかね、もっと露骨な人は「割り箸の袋詰め」(笑い)。今笑った人は障害者関係の人ですよね。福祉に進む学生さん自身、公園の掃除や割り箸の袋詰めしたいかっていうと、絶対したくないと言っていました。ところが、障害者の就労というと、なんかもう枠があって、それに、はまるか、はまらんかっていうような見方をされてる。

― 仕事の基本「どんな仕事がしたいのか」 ―

玉木: 基本に返ってみて、あんた、ちっちゃい時、どんな仕事したかったんかな、できるやろか、できんやろか、できるんやったら何ができるんやろか、いうことを一緒に考えて行って、ちゃんと実現させていくっていうのが、僕は就労支援やって思うんやけど。哀しいかな……やっぱり強制就労みたいな、カミソリ送らんとってくださいね、イメージ拭えないんです。そこらへんのことが皆さんで、どう考えていくんか。自分たちはこうやった、ほんなら障害者もこうやろう、いうこと。
ちっちゃい時、学校の先生とかに、言われましたでしょ。「自分がされて嫌なことは人も嫌なんや!」って。その当たり前のことが、障害者支援の世界では当たり前でなくなってるっていう。そこらへんの振り返りみたいなんを、常に皆さんにもやってってもらいたいなと思って。時間ないから次話に移らなあかんねん。もう・・・無茶ですよ、ほんまに。時間気にしながら、しゃべる内容も気にしながら、話も聞きながら。そんなこと無理です。無理!。

会場: (笑)

― 「福祉って、何?」 ―

玉木: ほいでね、僕も自立生活センターというて、一般的にいう「福祉の仕事」をやってますね。
お二人も政策だけれども、福祉に関わる政策をつくっておられます。今日お越しの方にも、医療関係の方とか福祉関係の方とか、いろいろいらっしゃると思いますが、おおむね福祉という言葉は、非常に関係深い方がいらっしゃるかと思いますけども、「福祉」って何? お2人さん、どないでっか?っていうことなんですけど。(会場・笑)どうですか、山崎さん。

― 福祉・・・人と人とを結び付けるバラエティーあるしくみ?? ―

山崎: 「福祉って何、って聞くぞ」って、玉木さんから、さっき、打ち合わせで言われて非常に困って・・・学生時代の試験みたいで、今でも分からないのですけど。
私たちは机の上で法律とか、制度をやるんですけども、ここにはほとんど何も書いてない。福祉というのは人と人を結びつけるような、そういうことをする、仕組みなりサービス、じゃないかなと最近思い始めてます。だから、福祉という言葉でくくろうとするのは本当は無理なんです。非常にバラエティーあることをするのが福祉じゃないかなと、最近そういうふうに思ってきています。

玉木: なるほど。人と人とをつなぐ手段みたいな感じですかね。ほんなら、由紀子さんがやっている「現場と政策の縁結び」は福祉なんかな、と思ったりもするんやけど、でも、何か違うんかな?とか思ったりね。どうですか、村木さんは。

― 福祉・・・「にっこり」の手伝い?? ―

村木: 福祉という言葉の定義かどうかわかりませんけど、私はすごく好きだなと思った言葉があって。知的障害の人が3級のホームヘルパーの資格を取るというのを結構最近やっているじゃないですか。あのときに「福祉」という言葉を何と説明しようかって先生がすごく悩んで、教科書に書いてあることは説明するんだけど、最後に、「まあ、にっこりや」って。
それが私はすごくストーンときた。だから、誰かの「にっこり」を実現する手伝いをするのが福祉かなっていうふうに。

玉木: にっこりの手伝い。なんかどっかの企業のキャッチフレーズみたい。

村木: (笑)それでね、さっきの「働く」というところとも関わってくると思うんだけど、私は、仕事で自分は成長したなと思うんですよ。無口で泣き虫だった私が、知っている人が1人もいない東京に出てきて仕事を始めて、こんなにおしゃべりになったというように考えると、仕事って人を育ててくれるものだと思うから、さっき玉木さんが言ったみたいに、割り箸の袋詰めじゃなくってね、何年かやって「おー成長したな」って言えるような仕事を見つける、そういうなんかこう、その手伝いも福祉かなあと。

玉木: そうですよね。でも、それは絶対、時間はかかりますよね。間違いなくね。でもね、福祉畑で働いている人は結果を急ぎはる。急いでなかったら、諦めとんのかなと思うような人もおったりして。働いとる人たちの気持とか、考えかたとか、マインドというか、僕ら「心意気」って言ってるんやけど、そういうの大っきく関係してきますよね。福祉ということは。

― センタードケア・・・何を中心に置くか ―

村木: さっきの濃縮シンポジウム(『不可解な「痴呆性老人」から、まちでみんなで包む「認知症」へ』)で、「パーソンセンタードケア」という言葉が出てきました。痴呆とかじゃなくても、どの分野でもいえる発想かなって思って聞いてたんですけど。

玉木: あの言葉聞いていたときに僕、何をセンターに置くかっていうことで全然変わってくると思ったんです。で、これまでの社会、当事者がセンターに来るっていうのは、なかなか難しいんですよ。でも、その人の生活のこと考えるわけですから、絶対真ん中に置かないと、いつの間にか気が付いたらね、誰のための仕組みなんかっていうふうになってしまうと、僕はいつも思ってて。

― 「福祉=幸福」大辞林より ―

玉木: 「福祉」を、手元の大辞林で引いたら、「幸福」って書いてあるんです。
「福祉ってなんですか」って言うと、必ず「いろんなサポートをすること」とか、「助けてあげること」とか、なんか、変な意味で捉えられてしまってて、で、いつの間にか「特別なもの」っていうふうに捉えられてしまってる。
で、辞書の続きを読んでいったら、「すべての人にもたらされるべき幸せ」って書いてある。障害者福祉ってゆったら、障害者の幸せですよと。そういうこと。高齢者福祉っていったら、高齢者の幸せでしょ。労働者福祉って言ったら、労働者の幸せでしょ。児童福祉って言うと、子どもの幸せですよね。で、その「幸せ」をちゃんと追求するために、色んな仕組みが必要なんかな。その本体が僕は社会福祉であって、もっと大きく言うと、社会保障でなかったらあかんかなあって思ってるんやけど。

― まだ残る??戦後の慈善事業的な感覚・・・ ―

玉木: でもね、最近の動き見てるとね、「ほんま?」って・・・聞きたなるんです。例えば介護保険審議の国会の議事録、難しい言葉並んでるけど頑張って読んでみると、ほんまに考えてんのん?っていうのがあってね。特に国会議員さんとかの発言を聞くと、いまだに戦後の慈善事業的な感覚が抜け切ってない。制度を作っててる厚生労働省の方たちっていうのは、そういうつもりはないですかね?つもりは。何でこうなるんですかっていう話なんですけど。

山崎: あの・・・どう答えていいのか。

玉木: 個人的な率直な思いでいいですよ。

― 制度より、運用する人の"心の問題" ―

山崎: 制度とか法律とかっていうのは、字で書いてたり、仕組みですから、一般的に見えるんですけど、みんなが持ってる思いは、きっと、ほんとにばらばらなんだと思う。まあ当たり前ですよね。みんなそれまでの人生がいろいろあって、その上で見てる。
最近痛感するんですけど、そのそれぞれの思いをどうやって広げていくかっていうのがとてもむずかしい・・・。みんなでカバーしあう以外にないんでしょうね。
私、制度作っても物事は解決しないと最近本当に思い始めているんです。それを利用する人もいるし、運用する人もいるし、みんなの気持ちで制度なんてどうにでもなる。ほんとに。同じ条文を読んでても、同じ通知を読んででも、全然違うことをする。違っていいんですけど、いいんですけど・・・「よくこんな酷いことを考えつくなあ、逆に、よくこれほど素晴らしいことやるなあ」っていうようなこともありますしね。結局、心の問題になるんだなあと最近、つくづく思ってます。

玉木: 心の問題・・・深い、これ。これまた、この話をすると一晩かかりますね。心の問題。

会場: (笑)

玉木: 同じようなことで、村木さんどうですか。

村木: 今の玉木さんの発言で、「そうか!」と思ったことがあります。障害者福祉のことで、国会議員の間を回ると、あんまり関心がない先生って、やっぱり多い。関心があって、「僕はこの問題を一生懸命」という先生の中の何割かは、さっきの慈善、「かわいそうで」という、世代的にもそういう方が多くて。
「ちゃうよな」みたいな思いを時々することがあって。高齢者の介護でも、まだそうですか?山崎さん、すごくびっくりしたんだけど。

山崎: 高齢者の問題は、自分の父親・母親ですよね。自分が高齢になるケースもありますけど。その過程と、その人が自分の父親・母親に抱いてきた気持ち、そこだと思うんです、原点は。介護保険とか介護だとか言う前に、まず自分は自分の父親・母親とどういう関係だったか。いろんな人生があって、それに対してどう見ているか。うまくいった親子関係もあるし、うまくいかなかった親子関係もあったりで、高齢者って問題に対してみんな違うんじゃないかと思うんですよ。

玉木: そうですよね。そういうなかで、うまくいってない人について考えていかなあかんというのが基本中の基本。ところが、アホというか、賢うない国会議員(笑い)の人たちの中には、いまだに「家族介護が基本や」って、「それ外すと日本の仕組みが崩れてしまう」って、わけの分からん話をね。それも、税金使ったあの国会の場所で正々堂々と言える、根性が分からん。

会場: (笑)

― 「憲法25条」「最低限度」って何だ?? ―

玉木: 「憲法25条の理念にのっとってうんぬんかんぬん」と、当事者も、国会議員も、行政の方も、医療関係者も言うたりするけども、みんな、「憲法25条って何?」っていうこと、同じ水準で使ってますか?っていうことなんです。
最低限度の生活をあそこで謳ってる。「最低限度の生活」って何なんですか?ここはね、押さえとかんと。全然違うこと考えながら「憲法25条が」って言うたところで、話かみあってないってことです。そこらへん。村木さんから行こうかな。

― 次へ、明日へ、つながる「プラスα」を ―

村木: 先生に指される生徒みたいな気分ですけども(笑)。衣食住プラスαと単純に考えて、プラスαは何をどう考えていくんだろうと思うのですが、最近、憲法25条で保障する生活の中で政策的にすごく大きな動きがありました。生活保護の高齢者加算とか母子加算をやめて、だけど、高校に行けるようにした。その担当局長とこの前話してたら、「ものすごく批判される・・・罵声を浴びるんじゃないかと思ってた」って。特に、母子・寡婦のお母さんたち怖かった、何を言われるんだろうかって。そしたら、あまり叱られなくって、生活保護をうけていても高校へ行けるようにした、そっちをすごく評価してくれたんですって。その話を聞いて、縮小再生産にならない、明日へつながる、次へつながるのがすごく大事になっているのかなっていうのが、私の今の思いなんですけどね。

玉木: いい言葉だ!「次につながる」これポイントですよ。「次につながる」というのは、いい評価でしょ。次につながる、落ちませんよね。その感覚がすごく大事やと思うんですけど。山崎さん、どうですか。

会場: (笑)

― 「健康」で「文化的」な生活を保障するという視点 ―

山崎: 憲法25条は「最低限度の生活」の前に「健康で文化的な」って言葉がありますよね。そこが僕は立派だと思うんです。健康で文化的、そういうことを生活の切り口、視点にしているっていうこと自体に、ものすごく意味がある。制度からいうとすぐに生活保護ってことになっちゃうんだけど、保障しているのは生活なんですよね。お金っていうのは一番分かりやすいものなのかもしれないけど、そう考えると、医療とか福祉とか、教育もある意味そうですし、そういうふうに、みんなで気持ちよく生きていくっていうのはそういうことだと思いますね。そんな感じで僕は考えますね。

玉木: そう。すごくね、素直にしゃべってもらえて嬉しいなって思うんだけど、結局みんなが心地ええな、気持ちええな、楽しいなと思えんとあかん、とか、次につながるとか、プラス・プラス・プラス、それはすごく大事だと思ってるんやけど。
怖いなと思うのが、最近憲法ナントカ調査会とか言ってね、憲法変えましょうよとか言って、下手したら25条も考え直さないかんで、とか、国会議員の人たちが言ってるんだけど、でも、山崎さんが言ったように、健康で文化的って。文化的って何かなって考えるときに、入所施設もそうだけど、我慢して辛抱してる。その上、「金がないから後回し」っていうのは、文化的でも何でもない。いつまでたっても慈善事業から抜け切れん本質なん違うか。
よくね、行政の答弁の中でね、「税金を使うわけですか」っていう言い方をされるんですが、税金を使ったらあかんのですか?って。でしょ?障害者・高齢者にお金をつっこんだらあかんのですか?って思うんですよね。あと、よく「国民の理解を得ながら」って言うんだけど、一方でね、内閣の関係者ははっきり言いますね、「国民の同意がなくても国民の安全を考えた時には政治判断で何でもしまっせ」って、言うわけですよ。おかしいでしょ。
で、誰でもが「文化的で健康的な生活をする」っていうのが当たり前なんです。少なくとも、戦後60年間、皆さん方の生活は間違いなく右肩上がりで上がってきてる。ところが、障害持った人とかお年寄りの人の生活水準はどうなんかというと、おんなじように上がってないわけですよね。この分野は、「皆さんがたは足踏みするクセをつけませんか?」っていう話。

― 死ぬ時に「生きとってよかったなあ」と思えるように ―

玉木: もう時間・・・むちゃくちゃな企画でほんまに疲れますわ(笑)まとめられんけど締めなあかんのでまとめていこうかなと思うんですけど。
じゃ、どうやったら、誰もが幸せやなあと、もっと突き詰めていくと、死ぬ時に「ああ、生きとってよかったなあ」って思えるようにできるんですかねえ。今、僕、山崎さんがおっしゃったこと、すごくあたってると思うんで、制度作ったからええっちゅうもんじゃないんですよ。間違いなくね。どないやったらいいんですかね?

山崎: それが分からないんですよ、ほんとのところ。作って、何かをしようとすると、必ずそれで、悪いことも起きる。だから、そう・・・いつも、反省しながら(笑)、みんなでやっていくという以外ないかもしれませんね。

玉木: 僕もどないしたらええのか分からへんのやけど・・・

村木: 「税金使ったらあかん」っていう話は、難しいですよ。山崎さんもそうで、私もそうで、「財政厳しい」ってあちこちで叱られながら、どうやって、この分野に税金持って来ようかっていつも悩んでるから思うんですけど。

― 主婦、厚生労働省は我慢、社長、,小泉さんはソトヅラでよくて・・・ ―

私、主婦なんで、家庭の奥さんの気持ちになるんです。そうすると、お父ちゃんの会社景気悪い、もらってくる給料減ってる、だけど、明日へつながる生活をしたいので、そうすると、お父ちゃんに「もっとしっかり働きや」と言いつつ、時には自分もパートへ出るかな、とかね、子どもにも、「家の手伝いもせい」とか言って、しばらくみんなで一生懸命頑張ってしのぐしかないのかなあっていう・・・

玉木: でも、「大変やから辛抱せい」言うてる小泉さん社長ですやん。ところが、社長、ソトズラええからね、交際費バンバンバンバン切ってね、銀座の料亭とかで会議やってるでしょ、今日新幹線で来るときに電光掲示板ニュースで見たけど、国際会議に行ってODA倍増やとか言ってね、自分の金かのようにバンバン言うてきてるわけですよね。そんなん見てるとね、ほんまに苦しい状況考えてる?って思わざるを得ない。助け合いも必要かもしれんし、我慢しなきゃいけないときには我慢しなさいと言うのは分かるんやけど、我慢し続けてて、疲れてるっていうところにまで「金がないから、大変だから、みんな協力してくれ」って言うのは、納得はつきにくい。
なんか大きな力を動かさんとあかんのですかね。何を動かしたらいいんですかね。

― 「我慢」を上手に説明して、プレッシャーをかける!! ―

村木: いかに我慢してるかっていうのを上手にきちんと説明できるようにならないかんなってすごく思っているんです、今の障害の分野ではね。それと、「こんだけ我慢してるんや」って、それを、きちんと言っていく。国会議員の人もほとんど関心ないって言った、そういうところ、やっぱりプレッシャーかけていく力が要るんでしょうね。

玉木: 力ねえ・・・当事者団体、声はでっかいんだけど金なくてねえ。金あるところに呑まれるっていうところもあったりしてね。なんか難しいなって思うんやけど。
だからこそですよ、だからこそ少なくともここに来てる人たちにだけは、お願いしたい。どっちの立場に立つねん、いうことです。小手先の仕組みを変えても、問題また来ます。また今年度お金がないって言われます。また仕組み変えよう、って言われます。これからずっと同じこと繰り返します。ほんならどうするんかっていうことを。
だから、持って帰って、皆さんに考えてほしなって思うんですね。ま、この話の続きは、お二人を時間の許す限り、つかまえて、現場の話を伝えてもらえたらいかなと思います。ほんなら、6分超過してしまいましたが、ありがとうございました。

山崎: ありがとうございました。

村木: ありがとうございました。

細渕: 本当にユニークな楽しい鼎談でございました。山崎課長・村木課長にとっては、国会で質問されるよりも大変だったのではないかと思います。こういう鼎談よりも、一時間、話するほうが楽だなあという思いもおありだったかと思います。それにもかかわらず、本当にありがとうございました。

会場: (拍手)

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