えにし・イン・逢坂と3つの分権化、そして世直しの極意!!!!!!!

2004.2.8 天満宮の近い、いきいきエイジングセンターで

☆招待状もシンポジウムも関西弁で☆

 略歴に、「ある日東京に生まれる」「ずいぶん長いこと29歳です」なんて書いていただいている手前、大きな声ではいえないのですが、阪大を定年退官する日がやってきました。

 この業界には「退官記念最終講義」という儀式があります。
 自身の研究生活を振り返り、人生を論じ、背表紙に金文字が入った、ずっしり重い「業績集」を配ったりします。
 そのしきたりを、阪大ボランティア人間科学講座の学生・院生の皆さんがエレガントに粉砕してくださり、2004年2月8日、「えにし・イン・逢坂」と銘打った風変わりな集いが開かれました。

昨年暮れに発送された案内状が、まず、型破りでした。抜粋してみます。

ゆきこさん退官記念+“えにし in 逢坂”のご案内

 寒い日が続いておりますが、皆さまどないしてはりますか?
 さて、このたび2004年3月をもちまして、大熊由紀子教授「ゆきこさん」が大阪大学を退官しはることになりました(涙)・・お名残は尽きへんけど、在学生を中心に、ゆきこさんの退官記念を企画しよう!いうことになりました
 ほんで、ゆきこさんのご意向もあって、最終講義だけやのうて、毎年東京で開催される“えにしを結ぶ会”の“逢坂”版もやろうやないかという事になったんですわ
 せやから、豪華なゲストの方々のお話も聞けまっせ!(略)お忙しいところ恐縮ですが、何がなんでも何がなんでも来てくれはったらうれしいです。内容盛りだくさん、来な損しまっせ!どうぞよろしゅうに・・

会費:1000円(お茶代、おもろいお得な資料代)

 豪華なゲストとは、「世直しの人間科学」「福祉と医療の人間科学」など、私の授業にきてくださった達人のみなさん。この方たちに討論していただいて関西発の世直しの極意を突き止め、なぜ、関西発の改革が日本を変えていったかを解き明かそうという企てです。
 舞台の上では関西弁で話していただくという趣向。コーディネーター役には関西弁ネイティブの桃山学院大教授の石田易司さんとソーシャルサービス論初の博士、竹端寛さんに白羽の矢がたちました。

☆関西風世直しの極意は?☆

写真@:討論会「関西初・変えたるんや!」

 写真@は手弁当で駆けつけ、舞台の上から口火を切ってくださった方々です。左から、雑居部屋施設の非人間性を科学的に実証し、建築と福祉をつないで活躍する京都大学助手の三浦研さん。
 「みんなが、障害者をうらやましがる社会をつくること」「おもろい自立生活センター」が合言葉の西宮メインストリーム協会の玉木幸則さん。
 「チャレンジドを納税者にできる日本へ」と走り回るナミねぇこと、竹中ナミさん。
 バレンタインチョコ殺到の秀才美少年がなぜかシンナーに溺れ、薬物依存で精神病院の入退院を繰り返し、いまは支援者になった、女装の麗人、大阪ダルク代表の倉田めばさん。
 新語「カリスマ職員」のきっかけをつくった滋賀県の世直し仕掛け人、北川憲司さん。
 幼い星子ちゃんを失った悲しみをバネに、レセプト開示・カルテ開示の文化を日本社会に根付かせつつある高校の理科の先生、勝村久司さん。
 外資系コンサルタントの経験をもとに医療界に旋風を巻き起こす阪大出身の和服の姉御、大石佳能子さん。
 玉木さんは素足、ナミねぇは革ジャン、めばさんは派手な大きなイヤリング……とファッションもとりどりです。
 この7人に続いて、フロアから、これまた豪華なゲストのみなさんが議論に加わるという贅沢な企画の中で、関西発の世直しにまつわる“法則”が“発見”されました。

「ええことは、オカミにお伺いを立てずに、まず、やってみよやないか、というノリ」
「とめたりせえへんのが関西人。無責任に、ヤレヤレ、とあおる」
「あほといわれたい、そんなとこがある」
「好奇心旺盛」
「問題をかかえた当事者が、いつのまにか逆転して支援者になってる」
「当事者と研究者が仲よう、つながってる」
「物差しはひとりひとり全部違うてオーケー、という開き直り」
「阪神淡路大震災の経験がバネになったみたいや」
「嫌々やってもおもろないので、楽しみながら面白うやる」

☆えにし結びタイム・えにし結び人たち☆

写真A:バイオリン弾きの人形

 伝統的な最終講義には例がない「えにし結びタイム」も設けられました。
 盛り上げるための「えにし結び名簿」「えにし結び名札」「えにし結びテーブル」が工夫されました。
 出席者から、あらかじめ関心事を聞き取って名簿に載せ、テーブルや名札を「ア行」「イ行」と色分けして(写真A)、縁を結びたい人をすぐに発見できるように考えられました。
 ヴィットゲンシュタインが専門の哲学の教授、奥雅博さんと自立生活運動のリーダー、尾上浩二さんが、なぜか親密な様子で話込んでいました(写真B)。「おばんやおもて、舐めたらアカン」の著書で知られる元・天理市議の加藤信子さん(右)と松任市議の常光利恵さんが旧交をあたためていました(写真C)。

 プロなみの腕をもつ院生や学生のピアノやアルトサックスの生演奏が奏でられムードを盛り上げます。精神病体験をもつ人たちが焼いた、おいしさ抜群のクッキーや飲み物を勧める係を買ってでた学生もマメマメしく動き回っています。


写真B:ヴィトゲンシュタインの専門家・奥雅博教授と自立生活運動家の尾上浩二さんがなぜか親密な様子で 写真C:松任市議の常光利恵さん(左)と元天理市議の加藤信子さん(右)が旧交をあたためて
写真F:等身大の写真が、入り口でまず出迎え、メッセージボードに、そして舞台の上へ

 私のつたない“最終講義もどき”を補う発言をしてくださったのは、「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」の池田昌弘さん、「アメニティーフォーラム」の北岡賢剛さん、「ユニットケア」の名付け親、武田和典さん(写真D)。福祉を楽しげに変えてきた3つのネットワークの仕掛け人たちです。
 住民本位の市町村長の会「福祉自治体ユニット」を立ち上げた前・鷹巣町長の岩川徹さん、その鷹巣町を泊まり込みで訪ねたことのある参議院議員の山本孝史さんは、福祉と政治の切っても切れない間柄について熱弁をふるいました。私が爼上に載せた精神医療行政の元締、矢島鉄也さん(写真E)は、等身大のボード(写真F)に改革は「おまかせください」と決意表明を書き込んでくださいました。


写真D:ユニットケアの名付け親、武田和典さんが最終講義の途中でフロアから発言 写真E:最終講義の爼上に載った精神医療の責任者、厚生労働省精神保健福祉課長の矢島鉄也さん、フロアから「おまかせください」とひとこと、等身大ボードにも書き込み

☆電子会議で、アイデアが続々と☆

写真G:殺風景な多目的ホールと事務机

 この風変わりな集いの計画は、ボランティア人間科学講座の2年生から大学院生まで、120人が加わった電子会議、メーリングリストの上で行われました。

 準備段階で学生たちがアタマを抱えたのが、体育館を兼ねた多目的ホールのムードでした。写真Gのような事務机をどう並べても殺風景さは否めません。
 メーリングリストで呼びかけたところ、次々とアイデアが寄せられました。無粋なテーブルの脚を隠すために「テーブルクロスを借りてはどうだろうか」という提案。でも、予算が足りません。「問屋で安い布地を買い入れてはどうだろうか」「いい店を知っている」「ミシンをかけて縁取りする仕事を引き受けまーす」「原付オートバイで問屋から運ぶのは引きます」「テーブルクロスだけではムードがもうひとつ。マスコットをおいては?」……と、話は次々発展し、写真Hのような犬の親子も登場することになりました。

写真H:犬のテーブル飾り  耳の不自由な参加者2人のためにパソコン要約筆記グループも目覚ましい働きぶりでした。「障害者の欠格条項をなくす会」事務局長で聴覚障害がある臼井久実子さんが授業のゲストに来てくださったことがきっかけで生まれたグループです。

 「オトクでオモロイお土産」は、授業のゲスト約40人のトークとその反響のエッセンス集。この版下も学生の手作りでした。メールで次々と送った原稿をアメリカに留学中の学生がパソコンで個性的にレイアウトし、育児のため自宅を離れられない大学院生が校正を担当、海を隔てて徹夜で追い込み作業が続きました。印刷所との値引き交渉は、社会人入学の大学院生が特技を発揮しました。


☆デンマークの3つの分権理論の実践の場に☆

図:デンマーク・3つの分権化の歴史

 一連の動きは、はからずも、大学院生、福島容子さんが修士論文で紹介した「デンマークの3つの分権化理論」の再現実験になっていました。
 デンマークでは1960年代から70年代にかけて、国が万事きめるのではなく「自治体に権限と責任を移す」という第1の分権が行われ、土地柄にあわせたきめ細かな行政が行われるようになりました。
 1980年代中頃には、「現場スタッフに権限をおろす」という第2の分権が行われました。現場の創意工夫が生かされるので、スタッフは生き生きとし、小回りの利いた予算の使い方ができるようになりました。
 1980年代の終わりになると、分権化はさらに進み、高齢住民委員会や障害当事者委員会をはじめ、様々な利用者委員会が作られて、「当事者本人の提言を生かす」という第3の分権が実現しました。(図)

 「えにし・イン・逢坂」は、第2、第3の分権化そのものでした。
 みんなで情報を共有する。計画の全過程が公開されている……。
 すると、ボランティア精神が爆発し、様々なアイデアが沸きだすらしいのです。
 イベントが終わったいま、様々な絆が結ばれ、強まっている、そんな、文字通り「えにし・イン・『逢』坂」でした。

※写真撮影は、写真家という肩書も名刺に刷り込んでいる大学院生の山口洋典さんとデジカメをもって会場を走り回った3年生の岡崎貴志さん。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2004年3月号に加筆)

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