「地域で暮らす」を当たり前に 〜障害者自立支援法の根底に流れるもの〜
厚生労働省障害保健福祉部企画課 課長補佐 間 隆一郎

はじめに

 私は、これからの障害福祉を今後どうしたらいいのかと、そういうことを考える仕事をさせていただいていますが、その発想の拠り所は、これまで秋田市役所の福祉事務所でありますとか、東京の三鷹保健所、あるいは和歌山県庁などで体験したことにあります。特に福祉事務所の時代は、現場をかけずり回りながら、それぞれの方の生活の支えをどうしたら良いかということを随分勉強させて頂きました。同時に、私の身内に、知的障害、精神障害の者がおり、そして、既に亡くなりましたが父、祖母の介護や、共働きをしているために子どもがゼロ歳から保育所の世話になったりと、福祉の一ユーザーとして感じることが多くあり、そちらの方が、影響が大きいかもしれません。
 今回、障害者自立支援法案という障害福祉に大きな変革をもたらす法案を提案させていただいておりますが、いったい何を目指しているのか、制度設計をする上での背景という点を中心にお話をさせていただきたいと思います。

どのようなまちに暮らしたいのか

 皆さんはどんなまちに暮らしたいですか? 私は、自分の実家の周りを思い浮かべながら、老若男女、障害の有無を問わず、色々な方が交じり合いながら普通に安心して暮らせるまち、地域を日本中に増えていくといいなと考えています。
 しかしながら、障害のある方にとっては、息苦しくなく普通に暮らせるまち、地域はまだまだ多くないのが実情です。
 障害の問題の難しさの一つは、高齢者の介護の問題と違って、多くの人にとって障害が「自分事」ではなく、まだ「他人事」になっていて、十分に理解されていない、それどころか差別的な視線にさらされているということにあります。少なくとも全人口の5%が障害者であり、国民の5人に1人は一生涯のうちにうつ病など何らかの精神疾患にかかるといわれているにも関わらず、どうも障害のある方とない方の間に深い溝があるように思われがちです。これを変えていく必要があります。そんなの無理? 私はそうは思いません。駅や空港などには、車いすの方のためのエレベーターの設置が義務づけられています。実際には車いすの方だけでなく、高齢の方や、重い荷物を持ったお父さん、お母さんなど様々な方が利用され、皆が便利と感じています。そして今や車いすとすれ違っても振り返る人もほとんどいないでしょう。それくらい当たり前になってきたということだと思います。また、認知症(痴呆症)の高齢者のことを考えてください。少なくとも10年前は、配偶者や親が認知症(痴呆症)だとすると、隠しておきたいといった意識が非常に強かったと思います。介護保険によってグループホームなどのサービスも増える中で、今や普通のおじさん、おばさんが昼食をとりながら、認知症(痴呆症)について当たり前のように話題にするようになってきました。理屈も教育も大切でしょうが、障害のある方が知り合いにいる、身近なところにいる、という現実を作ることが、障害のある方やその家族を息苦しくする「差別的な視線」をなくしていく上で有効です。
 私は「障害者自立支援法案」は、まちづくりの法律なのだと説明しています。つまりこの法律という道具を使って、障害のある方々が普通に街の中で暮らしている、買い物していたり、行き交う風景が当たり前になる、そういう社会を目指したいわけです。

種別を越えて支えるということ

 まちづくり、地域社会づくりを考えるならば、支援を必要としている人をどう支えるかという考え方に立つことが重要です。特に精神障害のある方は、支援費制度の対象にすらなっておらず、地域での支えが誠に申し訳ないことに非常に貧弱です。今回の改革の一つのポイントは、精神障害のある方を含め、障害のある方を地域で支える体制を整備していこうということにあります。
 皆さんの地域で高齢者のデイサービスセンターは、近くにあるでしょう。中学校区に一つ、もしくは、もっと近くにあるかもしれません。高齢者の方がバスで20分のところにサービスの拠点があるなら、障害のある方だって同じようであってほしいですよね。じゃあ身体障害者のためのデイを作り、知的障害者のための授産施設をつくり、精神障害者のための地域生活支援センターを作り、障害児のための通園施設を作る。これは特に小規模な市町村ではやりたくても財政的にできません。障害種別ごとに何とかセンターという立派な建物をいちいちつくるのもお金があればいいかも知れませんが、立派な建物を建てようとすると数を整備することが難しくなります。
 しかし、障害のある方を地域で支えるためには、やはり身近なところにサービスの拠点がほしいですよね。その時に、学校の統廃合や子どもの減少でできた余裕教室を使えないか、商店街の空き店舗を使って、お店はできないか、作業所の活動はできないか。空いている民家があります。それを使ってグループホームはできないかといろいろと可能性を考える。これはただ単に余っているから使いましょうというのではないんです。小学校は地域の中で子どもたちが歩いていける便利なところにあります。商店街も例えばバス通りとか、人が集まりやすい所にあります。そういうところに障害のある方を支える拠点があった方が良いんじゃないかという発想です。ホームヘルプでもそこから出て行くということができないだろうか、ということを考えています。こうしてこそ、障害のある人もない人も共に行き交う風景が当たり前になっていくのだと思います。
 現在の制度で、こういうことをやろうとすると、じつはいろんな規制があってやりにくくなっています。その規制は、例えば建物の設備に対する規制であったり、運営主体が社会福祉法人でなければならないという規制であったりします。こうした規制を緩和し、これからの時代は、どんな建物で誰がサービスを提供するかということよりも、どんな支援が行われるのか、実質的な内容を問うていかなくてはいけないんじゃないかと思っています。そして制度が縦割りでしたから、障害のある人が一つのところに寄って支えていくというサービスがやりにくかった訳でが、身体障害、知的障害、精神障害の障害種別にかかわらず必要なサービスが利用できるように制度を一元化しようとしています。こうしたことを通じて、小さな町でも障害者福祉に取り組んでいただきやすくして、たとえば地域の公民館のようなところでお年寄りも、子どもも障害者も集まって、そこで必要な支援をしますというようにならないだろうかと、色々な可能性を検討しています。

「役割を持つ」ということ「働く」ということ

 「人間にとって一番悲しいことは何かわかるかい?」今から30年近く前、今年104歳になる祖父が私に聞きました。当時中学生だった私は質問の意味すらよくわからず、答を聞いてみると、祖父は「人間にとって一番悲しいことの一つは、誰にも必要とされないことなんだよ」と教えてくれました。正直申し上げて、その時は答を聞いてもよくわかりませんでしたが、この年になってやっとその意味がよくわかります。人にとって「役割を持つ」ということは、老若男女、障害の有無を問わず、心の張りを持って人が生きるために極めて重要なことです。
 今回の改革においては、「働く」ということの支援を重要視しています。こう申し上げると、「障害者を働ける人と働けない人に分断するのか」というおしかりの声をいただくのですが、そうではありません。「働く」というのは「役割を持つ」ことの重要な要素の一つでありますが、働きたくても働けない方にとっても、例えば、あなたがいてくれたから飾り付けが早くきれいにできたとか、あなたの笑顔で座が和んだとか、あなたの作品をみて心が動かされたとか、そうしたことがあって、「ありがとう」と人から言われることはやはり重要ではないでしょうか。これまでの障害福祉において、この「役割を持つ」「心の張りを大切にする」ということはどれほど意識されてきたでしょうか。そこを問う必要がありそうです。
 さて、働く意欲のある方がその適性にあった働きをするのは当然の権利であり、ある意味では義務なんだろうと思います。ところが、現実に働けないということは、いっぱいある。その理由は、様々ですが、親御さんの気持ち、施設の事情、企業の事情といったことがあげられます。
 私も親御さん方と良く話しをしますが、働く話をしますと「障害を持っているだけでも大変なのに、何でそんな社会の荒波にだすのか」と、こういう話しになります。「せっかく授産施設に入れたのに、社会に出て、もしうまくいかなかったら戻るところがない。どうしてくれるんだ」と。こうした不安感も現実ですし、そのようにおっしゃっていた親御さんがいざ我が子が社会で働き始めた姿をご覧になって涙を流されることがあるのも現実です。こうした思いに応えるためには、社会でうまくいかなくても受け止められる仕組み、再チャレンジできる仕組みを創らなくてはいけません。
 また、ある施設ではお中元やお歳暮の時期になると、贈答用のお菓子などを入れる箱を作っているんですね。そこではものすごいペースで綺麗に作っている人がいる。私が施設長さんに「あの人いつでも企業に働きにでられるんじゃないんですか」と聞くと、「あの人いなくなると、うちが困るんだよね」と施設長さんがいうんです。それも一つの現実なのですが、いったい誰のための福祉なのだろうか、もう一回問い直さなきゃいけないと考えるようになりました。ちゃんと社会に押し出していくような、そしてうまくいかなかったり、ある程度年配になったら施設に戻ってこられるような、そういう仕組みづくりが大事なんだろうと思います。
 また、「働く場」がないんだという話も良く聞きます。でも、実は本当にそうかなと思う部分もあります。実際に障害のある方の雇用に取り組んでおられる企業の方に話を聞きますと、そんなに高い給料は払えないかもしれないがニッチ(隙間)な仕事は棚卸しして考えればあるといいます。企業の担当者の方が障害や障害者のことをご存知ないことが、障害者雇用を難しくしている面が大きいのではないでしょうか。
 これは横浜の話ですけれども、その企業には、自閉症の方が20人以上働いておられました。小さなシールを部品にきれいに貼っていく機械化できない作業をされていました。ここで、一生懸命働いて、12〜3万円の給料をもらっているのです。金額が大事という話ではなくて、そこの社長さんが、「私は彼らをお情けで雇っているのではない、戦力として雇っているのだ」と断言されたのです。社長さんたちも最初からそんなに順調だったわけではありません。当初はパニックを起こす人が多くて、とても往生したそうです。どうしてよいか分からなかった。そこでずっと支援してくれていた授産施設のスタッフに相談したら、来てくれて、「あぁ社長さんこれがダメなんですよ。」という。何かって言うと、「構内は走ってはいけません」という張り紙があったんです。「え、何で悪いの?」ときくと「彼らは構内は走ってはいけないということは分かるけれども、じゃあどうして良いものかが、分からないんです」社長さんはびっくりして「そんなことってあるの?」と聞くと、「それが彼らの障害の特性なんですよ。『構内は歩きましょう』という張り紙にかえてみましょう」と施設の人が言った。実際に貼り替えると相当程度パニックが収まったそうです。こうした福祉関係者にとって当たり前のことも企業の方には当たり前ではありません。企業の側にもサポートが必要で、障害者が企業に就労した後も継続して、作業所や福祉がサポートできるような仕組みが必要だと考えます。
 今回の制度改正の中では、新しく企業などの一般就労に押し出していく事業というのをやろうと考えています。それから、障害のある方々が継続的に働き続けられるような福祉の場というのも当然必要であると考えています。同時に、福祉の法律だけでなく障害者雇用の法律も改正して、今まで以上に雇用と福祉が手をつないで精神障害のある方を含む障害者雇用や在宅就業を進めたいと考えています。

施設を地域に開く、地域へ移行する

 もう一つ大事なことは、施設の役割をどう考えるかということです。地域移行と、地域における施設という二点からお話しします。
 いま、施設におられる方に地域で暮らすことについてインタビューをすると、10年あるいは20年既に入所されている方々は「わからない」というお答えの方が多いと思います。それは単に「地域で暮らす」ということがどういうことかイメージしにくいからだと思います。実際に施設を出て地域生活をされている人や、実家を出て暮らしている人にお話を聞いたことがあります。すると、決断するまでに相当勇気が必要だったとおっしゃいます。地域に出るんだと覚悟するまでに相当時間がかかっているんですね。人によっては3年〜5年かかっている方もいます。本人の気持ちを応援するために、どうしたら、この決断がしやすくなるだろうか、それを考えました。
 私は、入所施設の役割というものは、これまでの歴史において否定はできないと思いますが、今、本人にとって本当にそこが住みたいところなのかどうかってことが、問われていると思います。そこで、今回、入所施設の機能に着目したわけです。入所施設の機能は大きく言うと2つある。夜、安心して泊まれる機能いわゆる住まいとしての機能、もうひとつは、日中活動の支援という機能、それが一体的に提供されている事業形態なのだということなんですね。この2つの機能を一旦分けて考えて、この機能を特定の人にセットで提供するのではなく、地域の社会資源として活用できるよう、セットでなくていい人は別々に利用できるようにする。こういう発想がもう滋賀県では構造改革特区という仕組みの中で動き出しています。これを受けて、今回の改革では、施設の入所者も日中活動を選べるようにしました。
 施設に入所されている方が、例えば月水金は自分のところの入所施設の陶芸のプログラムに参加するが、火木土は地域の作業所や授産施設に通って作業をするということがあってもいいのではないかと考えたのです。その中で、施設に入所されている方が自宅やグループホーム、アパートに暮らしている仲間の障害者と交流して、地域で暮らす決意を徐々に固めていくということができればいいなと考えました。
 逆に施設の側からすると、アパートやグループホームに住む方々に多く利用して頂けるよう、地域にある他の施設や作業所と協力して、日中活動のプログラムを分担できればよいと思います。例えば、うちの施設はパソコンを教えることができる、うちの作業所は自動車部品を分解する作業をやる、うちの施設は陶芸をやるといったように、それぞれの施設や作業所が特色を持つことができれば、利用者が自ら日中活動のプログラムを選んで参加することもできるようになるでしょうし、障害のある方を施設という点ではなく、地域という面で支えることにつながると考えています。それが入所施設を含めて施設が地域に開かれ、施設が地域生活支援に役割を果たす道だと思います。
 地域移行を本当にすすめていくのだとすれば、施設から良い意味で押し出していく力と地域の側で受け止める力と、2つの力が必要なんだと思います。その両方を支える仕組みを今回の改正では、盛り込んだのです。

「制度は共通に、支援は個別に」

 次は、今回の改正のコンセプトの一つである「制度は共通に、支援は個別に」ということであります。制度を三障害共通にしていくということは、お一人おひとりの障害特性を無視することではありません。制度という枠組みは共通にしながら、より個別支援を強めていこうということなのです。その時気をつけなければならないのは、例えば知的障害の方は繰り返しに強い、慣れたことをやらせた方が上手なんだという思い込みがないだろうかということです。障害種別ごとには考えても、十把一絡げになっていないでしょうか。
 今年は、昭和に直すとちょうど昭和80年です。65歳から高齢者とされていますので昭和15年生まれの方が高齢期に入ってきている。高齢者と一口に言っても、私の祖父のような明治生まれの者も、大正生まれも、昭和ヒトケタも昭和2桁の者も、みんな高齢者です。昭和生まれの人たちは、若い頃にダンスホールに通っていたかもしれない。戦後にハリウッドの3本立ての映画を毎日見ていたかもしれない。そんな人たちがいるのに、なぜ「お年寄りは民謡が好きだ」「北国の春が好きだ」と若い施設の職員が言って、デイサービスセンターで延々と流れているのか大変謎であります。そして今やビートルズを青春時代に聴いて育った団塊の世代が高齢期に入ってきているのです。職員が何をしても手を合わせて「ありがとう」と言ってくださる(我慢しておられる)高齢者像は変わりつつあるのです。障害者の支援は難しいとおっしゃる方がおられますが、高齢者の支援も同じように個別支援が求められています。今日の天気や今日の体調のことしか話題のない職員ではつとまらなくなっています。
 個別支援、エンパワーメントと難しいことのように語られますけれども、目指すところは、非常にシンプルであります。その人の生きる力を信じ、引き出し、どう支えるのか。そこを問い返していかなくてはいけないと思います。これからのサービスは、どのような個別の目標に基づいたどのような支援の中身かということが評価される仕組みにしていきたいと思っております。
 今回の改革では、重度の障害者のための支援を重視しています。国も地方も財政的には極めて厳しい状況にあります。そうした中で「青天井」などということは到底できませんが、お金のない中でも、本当に重度の方への支援を東京など一部の地域の方だけでなく地方でもなんとかできるよう、効果的なサービスを効率的に提供する仕組みや体制づくりが必要と考えています。このため、重度の障害者のための日中活動支援や、全身性障害者の方や行動障害のある知的障害者・精神障害者のための「ホーム」ではないヘルプサービス、重度の方向けの住まいとしてのケアホーム、極めて重度の方のために包括的にサービスを提供する仕組みなどを盛り込みました。今後、こうしたサービスを組み合わせながら、どう地域で支えていくのかということを各地域で議論していただきたいと思いますし、どんな方にどんなサービスが必要かということについて、実証的なデータに基づく議論を継続的に行っていく必要があります。

必要な財源を確保することと費用負担ということ

 さて、支援費制度がスタートして、変化したことの一つに、サービス空白の市町村が減り、サービス利用者が増えたことがあります。例えば、支援費施行1年前である平成14年3月に一度でも知的障害者のホームヘルプを提供した実績のある市町村は、全市町村の30%でありました。支援費がスタートした直後の平成15年4月に47%、一年後の16年3月は56%、さらに17年3月は、もっと増えたことでしょう。こうやって、サービスの空白地帯が無くなっていくのは、大変良いことです。これまで使ってこなかった方、使いたくてもサービスがなかった方がサービスを使うようになっています。こうした新たに利用を始めた人を私はNew Comerと呼んでいますが、既にサービスを利用されている方のみならず、こういう方のサービスを確保しなければなりません。問題はその費用をどうまかなうのかということです。
 必要なサービスを確保するためには、まず必要だということを福祉に詳しくなくても分かるようにしなくてはならない。そこがポイントです。なぜならば、自治体も国も役所は、夏ぐらいに予算要求をします。財政課に来年度福祉にはこれぐらいお金が必要だという交渉をするんですね。そのときに現行制度で一番辛いことは、支給決定の基準や支援の必要度に関する尺度がないために、どういう支援の必要な方がどれくらいいるのか、そのためにこれぐらいお金が必要なんだということが、客観的なデータに基づいて説明できないのです。お金のある時代ならいざしらず、財政厳しき折に、教育、産業振興、道路等の基盤整備、福祉の中でも高齢者福祉や児童福祉などと同じ土俵で、前年よりもっと予算が必要だということを説明しなければならないのです。どの分野も課題山積で、限られた社会資源の中で、お金の使い道を工夫して実質的な内容を高めていくか、同じ費用でより高い効果が得られないか腐心しています。その中で障害者福祉だけ、必要性の説明やお金の使い方について何の工夫もなく必要な予算が獲得できるわけがありません。
 今回の改革においては、支援の必要度に関する尺度や基準というものを導入する予定です。これについて何かサービスを抑制する手段じゃないかと考える方もいらっしゃいますが、予算要求の道具をちゃんと持っていないと自治体の担当者は予算の確保にものすごく苦労するわけです。必要なサービスと費用だとみんなに分かるようにする。首長さんにも分かるようにするということが大変重要です。
 また、この費用というのは、税金でまかなわれています。税金というのは、行政が住民の方々からお預かりしたお金であり、それを行政は使わせていただいています。いわば共同体の他人のお金を使っているわけですから、費用が増大するとすれば、それを負担する住民に納得のいくものでなければならないでしょう。利用者の方も応分の負担をされるということは、そうした納得を得るために避けては通れない問題だと考えています。このため、今回の改革では、増えていく費用を利用者の方も含め、皆で負担し支え合うということを基本にしています。
 利用者負担については、食費等の実費のほか、サービスの量と所得に着目したご負担をお願いしたいと考えています。サービスの量に応じた負担としながら、重度の方に配慮して負担の上限を設けます。さらに所得の少ない方に配慮して、その負担の上限を減免する仕組みを設けています。細かく説明すると難しくなりますが、つまるところ、お財布をあけていただいて所得も貯金もないような本当に負担能力のない方には、サービスの利用者負担は最大0円まで減免をします。
 基本的には、増えていく費用をまかなっていくためには、利用者はこういう公平な基準でサービスをお使いになる、応分のご負担もいただいている、効果的で効率的なサービスの提供になっている。だから、行政もしっかりお金を出さなくてはいけないんだ、市町村だけではなく、国や県も出さなくてはならないというわけです。これまでは、在宅サービスに対して、国や都道府県は、補助金という形でしか在宅サービスを支えてきませんでしたが、これからはきちんとしたルールにのっとって必要なものはちゃんと出します、負担金として出しますというルールに変えた訳です。これは重要な改革のポイントです。
 次に大きく話題になっているのは扶養義務者の問題です。支援費制度や措置制度であった扶養義務者の負担はありません。支払う義務があるのはご本人だけです。今回は、ご本人は原則定率負担ですよ、月毎の負担の上限を定めますよということにしていますが、この月毎の負担の上限を減免するときに、同じ釜のご飯を食べている生計を一にするご家族の収入をカウントしますと言っているわけです。問題はその生計を一にするという範囲をどうするかということが大きな課題になってきます。今までの障害者施策の流れ、障害者の思いということを大事にしたいですし、同時に世の中の人々が納得するものでなくてはならないというのもまた事実です。例えば、いくら本人のみでといっても人生のパートナーでもある配偶者は親兄弟とは違うのではないかとか、また、障害のある方が家族にいらっしゃるとその方の親や息子が障害のある方に着目して税金の控除を受けているとします。このとき、税金の控除を受けているご家族の方の収入を無視して、本人の負担の上限を決めるということは、世の中的にはなかなか納得していただけないんじゃないだろうか。その当たりのバランスが大切です。既に国会でも議論がなされており、良い解決策を見いだしたいと考えています。

利用者に選ばれるサービスとは

 支援の質について話しをしたいと思います。私は障害のある方のサービスはきちんとお金を使って行うべきだと思いますが、そのお金を使って良いサービスを提供できていなければ税金を払っている住民や、利用料を払う障害者の納得は得られないということです。実はこの「納得」ということが一番大事だと思います。支援の質は、より本質的な問題だと考えています。
 障害福祉の世界は、高い理念と個別具体的なケアと大きく2つある訳ですが、その真ん中がないという思いを持っています。標準的な支援の方法がもっと議論されていても良いのではないかと思います。これはマニュアルを作って画一的にやるという意味ではありません。業界内でよりよい支援のための具体的な方法論をもっと議論し、標準的なプログラムを開発して、それを修正しながら、一人ひとりの障害のある方に個別の支援につなげていくべきだと考えています。
 実例ですが、行動障害のある方の入所施設には、「安全室」なる部屋がある場合があります。入所者の方がパニックを起こして自傷他害行為を起こし始めると、3人がかりでその外から鍵のかかる「安全室」にいれるのです。これについて知り合いが疑問をもったのです。どうにかして「安全室」に入れない支援はできないものだろうかと。そこで彼はこういうことを考えました。行動障害のある彼らがパニックを起こすのには、なんか理由があるはずだ、われわれが分かってあげられないから、気づいて欲しいとその行動をする。彼の行動が問題ではなく、それに気づいてあげられないのが問題だと。ではどう言う取り組みをしたのか。施設の職員全員で、その人については、今月はパニックを起こした際の環境がどうであったかどの職員がそばにいてもきちんとチェックしようと目標を決めたのです。パニックを起こした時、天気はどうだった。晴れていたか、雨が降っていたか、雷が鳴っていたか。テレビはどうか、どんな番組をやっていた、どんな音をどんな大きさで出していた、画面の色は何色だった、周りに誰がいたかなど、項目を決めて、チェックしていったんですね。これを2ヶ月3ヶ月続けていくうちにだんだんとパニックを起こした際の共通項が見えてきて、どうやらこれが引き金らしいということが分かってきた。天気などは、取り除けませんが、取り除けるものは、取り除いて彼ができるだけパニックを起こさずに(安全室に入らずに)暮らせるようにしたんですね。こういうことは支援者の側が共通の明確な目標を持つことにより実現する例といえるでしょう。
 祖父の話をします。100歳になった時に家の真ん前にデイケアをやる医院がオープンしました。祖父にデイサービスって一回いくと何度も行きたくなるらしいよっていってみたんです。で、目の前にできたものですから、「じゃー俺も行ってみるか」って行ったのですね。すると3時くらいに帰ってきました。行く時は意気揚々といったんですが、帰ってきたらプリプリ怒っているんですね。すると「もう絶対に行かない!」っていうんです。「なにかされたの?」って聞くと私の耳元で「あんなチイチイパッパなんてばかばかしくてできるかー」って叫ぶんですね。風船バレーや、歌を歌ったりとかだったらしい。ところがうちの祖父は大学の先生だったもんですから、プライドが高くてそんなことできるかって言ったわけですね。でも足がどんどん弱ってくるし、なにか外出する機会がないと困るなって思っていた時に、別のデイサービスセンターの人が来てくれたんです。その方は「どうやったらそうやって長生きができるんですか? よかったら、うちにきて皆さんに教えてあげて下さいよ」っていうんです。そうしたら「うん、教えるのは私の仕事だ」って言って行くっていうんですよ。簡単でしょ。皆さんは現場のプロなわけですが、サービスの質とか専門性ってなんなんだろうと思います。いろんな要素あると思います。知識や経験、技術もあるでしょうが、私が思うのは提案力なんだと思うんです。本人が力を付けて、できることが増えて、自己決定ができるようにしていくことを考えていった時に、専門家がいくら正しいと思ってやっていたとしても、本人がノーといった瞬間に、それは良い支援では無くなってしまいます。本人が選びたくなるような提案の仕方ということも重要だと思います。
 ある重症心身障害者のかたがいらっしゃるんですが、その方が、以前新宿で絵の個展を開かれました。お母さんに伺いますと30年間何にもしないしできないと皆思っていたそうです。あるとき、支援者の方が、筆を持たせたところ、最初は何にも書かなかったのですが、半年続けたら、急に書き始めた。彼の内側にあるものがあふれ出てきたんですね。彼にとっては絵だった。なるほど、障害福祉には金を出す価値があると、利用者の方も納得されるでしょうし、世の中も納得するんではないかと思います。その時に、本人から学ぶと言うことも、大切にして頂きたいと思います。本当に好きなものはなんなのか、本当に望んでいることはなんなのかってことは、本人から教えてもらうしかありません。

まちづくり、地域社会づくりの道具として

 私は、制度というものは何かなしとげたいことがある場合にその実現を助ける道具だと思っています。ところが不幸にして、何をしたいのかという思いがなければ、制度があるからどう使おうというふうに制度に「使われてしまう」ということが起きます。
 これまで何を目指しているのかということを中心にお話ししました。3障害を一緒にする話、働くことをもっと応援していく話、もっと身近なところにサービスを展開していくために規制緩和をしていく話、必要なものは必要だというためにきちんとルールを作ろうという話、みんなで少しずつ負担をしていこうという話し、支援の質の話をしました。こうしたことを実現するために、障害者自立支援法案という「道具」を国会に提出しました。私たちはいわば採点を待っている状態です。この法律は骨格だけですから、これから細部に渡って魂を入れるためにいろんな方と議論しながらやっていきたいと思っています。
 障害者自立支援法案の第一条に規定した目的には「この法律は、他の障害者及び障害児の福祉に関する法律と相まって、障害者及び障害児がその有する能力及び適正に応じ自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず、国民が相互にと人格と個性尊重し、安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とすること。」と書いてあります。
 最初に触れましたように、この法律は「まちづくりのための法律」「住みよい地域社会づくりのための法律」だということです。抽象的なまちではなく、みなさま方の家を中心に半径数キロの世界でなにができるのかということをお手伝いする法律です。お金の無い中ですけれども、お金が無いなりに、工夫して、良く議論して、効果的で使い勝手の良いものにしていきたいと思っております。
 障害の問題が「自分事」になっていないというお話しを冒頭にしましたが、本当に地域で共に生きると言うことを考えるならば、その障害という問題が自分と繋がっているんだと、理屈ではなく現実で示していくしか方法はないんだろうと私は思うんです。住みよい地域社会、障害あってもなくても、胸を張って誇りを持って生きていける地域社会を作ろうと思えば、今、何ができるのか、なにができないのか、次は、何処へ進むのかということを明るく笑いながら諦めずにやっていくしかないと、私は、そういう気持ちで、今回の制度改革を現場レベルでとりまとめてきました。

おわりに

 この文章をお読みになって、「なんだ。当たり前のこと言っているだけじゃないか」と思われた方も多いと思います。そのとおりです。皆さんがこれまで、こうなったらいいな。こういう制度にしてくれよとご要望になっておられたことをできるだけ制度にもり込んだつもりです。30年近く本質的に変わらなかった制度を変える訳ですから、小手先の改革では済まずに結果としてたいへんな大きな改革になりました。制度の改革の中で利用者ご本人が不安に思われるのは、ある意味当然のことだろうと思いますし、事前にどれだけご説明しても制度が動き出さないと納得できないという面もあるでしょう。そして支援費制度がはじまって短期間で制度改革をせざるを得なかったということは、制度設計の甘さを否定できませんし、私は厚生労働省が率直に反省しなくてはいけないと思っています。しかし、改革は待ったなしです。
 理想ならざる地域が、少しずつ良くなっていくための仕掛けを今回いろいろと盛り込みました。その中心となるのが市町村や都道府県が策定する障害福祉計画です。明確にサービスの目標値を定めながら、これから3年に一度作り直していくことになります。地域や人々の意識が急に変わることは難しく、徐々にしか良くはなりません。こうした計画づくりは、最初は理想と現実のギャップから困難を伴うでしょうが、行政も本音をさらけ出しながら、住民とともにできること、できないことを整理する中で、本当の信頼関係も培われるでしょう。
 皆様方には、是非、それぞれの地元において、この制度を上手に使いながら自分たちの地域をどうするかということを、障害のある方、家族の方、支援者の方、行政関係者、町内会の方など地域の関係者とともに議論して頂きたいと思います。そして地域の現実を踏まえて前進する道を歩んでいただきたいし、それを国も一緒になって一生懸命応援させていただきたいと考えています。

精神保健ミニコミ誌クレリィエール2005年5月号(bQ90)より転載

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