【浅野史郎 前宮城県知事】 就労支援も含む在宅福祉の重視という、障害者自立支援法の目指すところは明確であり、積極的に評価できる。支援対象に精神障害者を取り込むことは、画期的である。 09年に見込まれる介護保険の改正で、障害者の介護保険への統合の地ならし的な意義もある。 障害者の受益者負担・強化といった部分もあるが、介護保険への参入を考えれば、避けられない方向と受け止める。これをどう評価するかは、運用次第の面があろう。所得水準に応じて負担の上限が決められたが、家族と同居する障害者の場合、「同一世帯」の決め方を懸念していた。特例措置を設けることにより、成人障害者の自立という趣旨に反しない、ぎりぎりの線を維持できたのではないだろうか。 施設福祉から地域福祉への流れは、後戻りできない。施設を運営する側の都合や、親の意向によって、障害者の地域生活への移行が阻害されていないか。大事なことは、「本人に聞け」である。 宮城県では、04年2月に、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」がなされ、重度障害者の大型施設である船形コロニーをはじめ、地域生活移行が計画的に進められている。自立支援法の成立は、この流れを進める際の大きな力として期待されている。 課題は、法の趣旨を現場でどう生かしていくかである。在宅支援のためのサービス提供を誰が行うか。人員の質的、量的確保は、現状でははなはだ心許ない。 全ての市町村で在宅支援の体制が確立しているとは、とても言えない。高齢者への在宅介護の体制は、まがりなりにもできあがり、現場での方法論も浸透しつつある。これに対して、在宅障害者の支援については、体制のみならず、墓本的知識さえ不足している状況である。特に、精神障害者への施策はどこからどのように始めたらいいのか。問題意識を持った市町村では悩み始めている。むしろ、その問題意識さえ持つに至っていない市町村が多いことが気にかかる。 地域によっては、市町村社会福祉協議会の役割が重要となるであろう。人材養成、専門性の確保、ネットワークの確立といった面で、県の社会福祉協議会の支援も求められる。いずれにしても、サービス供給側の強化が急務である。就労支援にしても、一定水準以上の賃金を保障できる仕事を、障害者にどう用意するか。これまでの積み重ねが、あまりにも不足している。 痛感されるのは、わが国の福祉サービスの歴史の中で、施設処遇に比較して在宅処遇が軽視されてきた事実である。施設処遇にあたる職員の待遇は、不十分とはいえある程度のものになっている。一方、障害者の在宅支援にあたる職員の待遇は、さらに低い。これで良質で経験豊かな人材が確保できるだろうか。 施設福祉から地域福祉への流れは、この部分においても徹底されなければならない。それによって初めて、自立支援法の趣旨が生きることになる。残された時間は少ないことが気になってならない。 ◇
【戸枝 陽基 全国地域生活支援ネットワーク事務局長】 2年前にスタートしたばかりの支援費制度は、どうして破綻したのか。当初の国の見込みを大きく上回る利用があり、財政負担に耐えられなくなったと言われている。同時に支援費制度の基本理念を根底から崩すようなモラルハザードとも言うべき利用実態が各地で見受けられたことが、納税者の不信感を増幅したことも大きな要因だと思う。事業者側の責任も否定できない。少子高齢化、低成長に入ったこの国の福祉における国民的合意形成には、納税者の視点が不可欠である。 ただ、障害保健福祉の予算は全体で約1.3兆円だが、身体、知的、精神の3障害合わせて福祉サービスの利用者は約500万人もいる。一方、介護保険は6.8兆円で、要介護高齢者は約360万人。障害者の人数が1.4倍も多いのに、予算は5分の1しかない。もともと障害者は悲しいくらいコストをかけられていないのだ。 障害者自立支援法は、サービスの支給決定システムの透明化、自己負担の導入など、介護保険との統合に向けたような改革が盛り込まれている。支援をユニバーサル化する視点からも、新たな福祉財源を生み出す現実的な装置としても、介護保険制度の活用が必要だと私は思う。 その際、今障害保健福祉に使っている1.3兆円を特別制度として残し、障害者の自立や社会参加のために使うことを約束してほしい。介護保険で障害者の介護部分を受け止め、2階建てにするのだ。自立支援法案の成立過程で障害者がとりわけ不安に思ったのが、地域社会で家族以外の人に支えられた個別の生活の保障がまったく担保されながったことだ。 「障害者は高齢者とは違う。だから介護保険の利用は反対、その布石となる自立支援法も反対だ」との論調がある。しかし、要介護のお年寄りと比べて、障害者はより「自分の状態像を当事者の立場で論理的に整理し、発信して社会変革ができ得る人たち」とも言える。まだ成熟したとはいえない介護保険制度の中に入り、すべての高齢者、国民のためによりよい制度に変革してほしい。その時こそ、国民は障害者のためのさらなるコスト負担に合意するのだと思う。 自立支援法にも気になることがある。精神、知的障害者はきちんと支援の必要度を判定されるのか。身体的な「できる・できない」の尺度では支援の必要度を測れない人は、相対的に必要度を低く判定される。支援費制度では、制度を理解できない人は申請自体ができなかった。相談支援体制を質量ともに充実させなくてはならない。 また、幼少期にきちんとした支援があれば、コミュニケーション力の低下などの2次障害が防げる。行動援護の対象拡大、重度訪問介護の子どもへの適応なども検討してほしい。さらに、大規模処遇より小規模処遇の報酬単価をどのサービス体系でも高く設定すべきだ。障害者が地域社会で生き生き暮らす生活実態があってこそ、共生社会がやってくる。 ◇
【尾上浩二 DPI(障害者インターナショナル)日本会議事務局長】 先の特別国会の最終盤、世間の関心は内閣改造に向けられるかたわらで「障害者自立支援法」が成立した。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」「このままでは自立ができない」との障害当事者や関係者の不安を押し切る形での可決だった。 同法は、身体・知的・精神障害のサービスを共通にし、国の財政責任を明確にする趣旨で提案された。だが、障害者が福祉サービスや医療を利用する際に1割の自己負担が求められ、サービス決定の仕組みも大きく変わる。概して、障害が重いほど必要な支援サービスは多くなるので、負担が増える仕組みだ。しかも、重度障害者の多くが低所得にあることから、事実上、その負担は家族に求められることになる。また、市町村ごとの審査会がサービス決定に大きな権限を持つ仕組みが導入される。だが、障害者本人に会うことなく書面だけの審査で、適切な決定がなされるのか疑問だ。 そのため、「障害が重いほど負担がきつくなりサービスを利用できない」「家に閉じこもらざるを得なくなる」といった問題が指摘されてきた。 これだけの問題を持つ法律が、来年4月から施行されることになる。実施に当たって重要な意味を持つ政省令について、慎重な検討が必要だ。当事者不在と言わざるを得ない同法の決定過程があるだけに、深刻な影響を受ける障害者や家族の声を十分反映させることを求めたい。今懸念されていることの一つに、グループホームの病院・入所施設の敷地内設置の動きがある。これが認められると、病院・施設から地域ヘの移行は進まなくなる。 03年度から始まった支援費制度は、「障害者の自己決定」「施設から地域へ」という流れを促し、地域で暮らす重度障害者を増やした。国際的なノーマライゼーションの考え方に沿ったものだ。長年にわたる施設生活にピリオドを打ち、地域での生活を築き始めた者もいる。同法の施行によって、再び施設に戻らざるを得なくなる状況がつくられることは、何としても避けなければならない。そのため、障害があっても当たり前に地域で暮らせるよう、在宅サービスの重点的な確保が緊急に求められる。社会的入院を強いられている精神障害者の退院促進のためにも、これは不可欠だ。 わが国の障害者サービスは、長年、施設や病院に偏重してきた。ホームヘルプ等の在宅関連予算は、施設に比べ3分の1以下と格段に少ない。都道府県別データを見ると、施設整備を中心に進めてきた自治体ではホームヘルプの利用率が低いという、裏表の関係にある。それに、施設中心の自治体の方が1人当たりのコストは高いという皮肉な状況だ。そうしたことからも、国・自治体は地域生活に重点を置いた施策を進めてほしい。 ノーマライゼーションの流れを止めることなく、どんな障害があっても当たり前に地域で暮らせる社会の実現を願う。 ([毎日新聞 2005年12月17日・朝刊 論点:「どうなる 障害者自立支援法」より) |
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