グループホームで暮らす人は、施設や病院で暮らす人よりも、本人の満足感だけでなく健康面でもコミュニケーションや社会性においても、優れている。多くの調査や研究がそう、述べている。私も、この20年間、わが国だけでなく、世界中の施設や病院、グループホームで暮らしている人たちに会いに行く機会を得て、同様の印象をもった。
施設や病院よりもグループホームの利用者のほうが、障害が軽いわけではない。スウェーデンやカナダのある州では、もはや入所施設はすべて廃止されている。かつて入所施設の利用者で、現在グループホームで暮らしている人たちの調査でも、障害の程度にかかわらず、グループホームでの暮らしぶりのほうが断然いいことが分かっている。
それは、なぜであろうか?
当たり前のことだが、地域で普通に暮らす、それが本人の希望だからである。それなのに日本ではなぜ、多くの人が施設や精神病院で暮らしているのか。それは、本人には様々な支援が必要だからであり、地域にはそれがないからである。
地域で暮らす重い障害をもつ人にとって、グループホームこそは、ホームヘルパーと共に要である。施設のないスウェーデンでは、知的障害者の約半数の人がグループホームで暮らしている。カナダのブリティッシュコロンビア州では、4割の人がグループホームで暮らしている。ところが、わが国では、グループホームで暮らす人は1割に満たない。
さて、問題は、わが国をどうするかである。
新しい障害者自立支援法は、地域生活支援と就労支援をその自立支援の目標の中心にすえ、現在3万人分しかないグループホームを今後6年間、毎年1万人分ずつ増やして9万人分にし、逆に施設や精神病院の利用者を6万人減らす構想を打ち出した。また、重度の障害者のグループホームとして、介助スタッフや夜勤スタッフのいるケアホームも構想した。
それでも、残された課題がいくつかある。新しい法律では、2人から20人までの規模で自由に運営できるという。問題は、それを運営する運営費の額である。
運営費が少なければ、職員配置の関係で大きなホームになってしまう。規模が大きくなれば、普通の民家やアパートにはなじまない、市民にとって特別な存在になってしまう。土地の安い山奥にあったり、施設や精神病院の敷地の中にある場合もそうだ。
アメリカやカナダで、グループホームを訪問するとき、それが住宅街の普通の民家であるために、見つけられずに、いつも困ったことを思い出す。
普通に暮らしたい思いからすれば、当然のことなのだが、実は、アメリカでも、かつてはそうではなかった。大規模州立施設(精神病院)を縮小する過程で、16人以上のケアホームが認められ、やがて、6人以上でもOKとなり、現在では6人までがメインである。
もう一つの課題は、形だけではだめだということである。中には、あらかじめ決められた生活をしていたり、職員が命令口調であったり、することもなく手持ちぶさたな感じだったりする所もある。町なかで小規模であることは、利用者一人ひとりの市民生活への支援の基本条件ではあっても、十分条件ではないのだ。
自立支援法がいう、利用者一人ひとりの希望に基づく日中活動やウイークエンド活動をふまえた個別支援計画と、利用者どうしの話し合いによる民主的運営こそが、グループホームの命なのである。
◇きたの・せいいちさん
1950年生まれ。大阪市立大大学院卒。サンフランシスコ州立大客員研究員、滋賀県障害者計画策定委員長など歴任。編著に「障害者と地域生活」など。